「可」もなく、また、「不可」もない
デスクトップパソコンのモニターに、警告音とともにある一文が表示された。
無機質な男性の声が、不快な警告音に被さるように、表示された一文を読み上げる。
某国を名乗るその一文は、諸般の事情を鑑みた結果、我が国に最新鋭のミサイルを投下することを決定した、との旨を淡々と語っており、最後通告の思いやりなのか、正義の審判者としての慈悲のポージングなのか、投下時刻とともに我々一般国民への避難を呼びかけていた。
文章が書かれた不気味なウィンドウが立ち上がり、消え、また立ち上がり、を何度も繰り返す。
私はしばらくウィンドウの裏にあるエクセルに向かって所定のデータ入力を続けていたが、あまりにも何度も立ち上がり消えるそれがうっとおしすぎて、しかたなくパソコンの電源を切った。
家の中は少々慌ただしかった。
トスん、トスん、と乾いた音が等間隔で聞こえてくる。なんだろうと思って音のする方に行き、二階からベランダに出ると、丸くまとめられた掛け布団がよたよたと庭に転がっているのが見えた。布団にプリントされている錦絵もどきの赤い花柄が、くるくると回転して、しばらくするとこちらからは見えなくなる。
布団の横には、他の家具類や日用雑貨も散乱していた。どうやら誰かが二階から庭に家財道具を落としているようだった。
「避難しないと」
声が聞こえたのでそちらを向くと、同居している祖母がいた。
近頃は足腰が弱く、赤みがかった鼈甲色の杖を手放せない彼女だったが、私の前にいる彼女は、腹からずっしりと地に足をつけて、緊迫した表情で仁王立ちをしている。
避難って言ったって一体どこに?
私は口からそう言った、いや、もしかしたら言ってはいなかったかもしれないが、気がつくと、地元近郊で一番大きいターミナル駅のJR線ホームに立っていた。
私と、母と弟と祖母がいた。あれだけ転がっていた家財道具を誰も持ってはいなかった。誰も何も手に抱えてはいなかったし、誰も何も背負ってはいなかった。駅のホームは驚くほど閑散としていて、私はみんな《諦めてしまった》のだろうか、などと思う。
ホームにやってくる在来線に乗ったとして、いったい私たちはどこに向かおうとしているのか、全く見当がつかなかった。
中部地方に住む親戚の顔が少しちらついたが、すぐにそのイメージも消え、そのうちに彼らの顔も分からなくなる。
ホームに突如、サイレンが鳴り響いた。
しばらく鳴り続ける。鳴り続ける。鳴り続ける。幾分長い。
それは、なおも鳴り続いて、それでやっと私はこのサイレンが、駅のなんらかの設備が鳴らしてるそれではなく、どうやらお国の国防が、今この時この瞬間に、懸命に仕事を全うしているようだ、ということに気がついた。
サイレンがようやく止まり、少しの間をおいて、今度は気の抜けた炭酸飲料のペットボトルを開けた時のような音がした。
音ともに、ヒューと心もとない煙が数筋、鈍色の空に吸い込まれていく。一本、二本、三本。出た途端から消え始める、あまりに弱々しい煙の筋だったものをみて、私は合点する。なるほど、どうやらこれが、件の迎撃装置のようだった。
とある言葉のイメージが頭の中に浮かんだ。おぼろげな輪郭だったそれは、国防の煙の筋があたかたもなく灰色の空に溶けて消えた時に、ようやくはっきりとした言葉になった。
あっ、これもうダメなやつだわ
確信を持った言葉が頭の中にこだました後、私はおもむろに、コンクリートの地面に膝をついた。次にお腹をつけて、肘をつけて、最後に頭を垂れて、真っ黒なガムの汚れが付着している地面を、ただじっと見つめた。そうして体をまるくして地面にうずくまった。
私は、私の体は出来るだけコンパクトにしておいた方がいい、と思った。出来るだけコンパクトになっておいた方が、おそらく後の人が片付けがしやすいであろう、とも思った。後の人がはたしてこの場所にやってこれるのか、やってこれたとして、私たちを片付けてくれるのかということは、この際なんでもよくて、どうでもよかった。
右ほほがジワリと暖かくなる。
遠くで眩いばかりの光がポーーーーンと弾けたのを感じる。
それからきっかりふた呼吸後、私にとってはたしかに2秒後に、今まで見たことも聞いたことも感じたこともない爆風と爆音が体に降りかかってきた。鼓膜が破ける、というのを今から体感するんだろうか、と思った矢先に、母が私を呼ぶ声が耳に飛び込んでくる。
汚いコンクリートの地面しか見えなかった視界の端に、母が履いているライトグレーのズボンの裾が見えた。私の名前を呼び、母は、危ないと叫びながら、どうやら、うずくまった私の体に自身の身体を覆いかぶせてきているようだった。
もう、私たちのまわりの、どこもかしこも「危ない」はずだった。たとえ身を呈して覆いかぶさって何かを守ろうとしたって、そんなのもう全部無駄に決まっていた。母も私も、誰も彼も死ぬのは決まりきったことだった。こんなことしても無駄だと言おうとして、自分の耳がもう聞こえなくなっていることに気がついた。視界の中の母の灰色のズボンの裾に、てんてんてん、と模様がついていく。血でできた模様だった。爆風で飛ばされた瓦礫の破片が、私たちの体にいくつもいくつも突き刺さっているのだ。
私は緩慢に目を閉じる。
そうして目を閉じるとそこにあったのはただの「無」で、私はその「無」の中で、自我の輪郭がおぼろげになって、跡形もなくなり、やがて消えていくのをたしかに実感していた。
薄暗い室内だった。横には丸まったタオルブランケットがあった。
横になったまま身じろぎすると、枕元に前の会社で貿易事業部の鈴本さんからもらった、ピンク色のあざらしのぬいぐるみが転がっているのが見える。
私は、自室で目を覚ましていた。
雨戸の隙間から入る日光が、室内に舞うチリやゴミをキラキラと煌めかせていて、しばらくそれをじっと見つめる。
枕元にある充電中のiPhone6を触る、6時47分。たしかにそこには、2020年7月8日水曜日の朝があった。
あの時、たしかに私は死んだはずだった。
しかし、今このとき、私はこうして、生きているようだった。
自分の生死について問える自我に生きてる実感をまざまざと感じながら、私はやけに落ち着き払った思考の中で、とある確信を得ていた。
さっきの死は、まぎれもなく、誰かに降りかかった「死」であった。
それは未来の私に降りかかるものなのか、この世界の過去のどこかで誰かに降りかかったものなのか、それとも未来の誰かに降りかかるものなのか、それはわかりもしないことだった。
しかしながら、件の迎撃装置の煙が、薄暗い空に消えていくのを見て感じたあの感覚は、この世のどこかで誰かが必ず経験したそれで、そしてこれから誰かが必ず経験するであろうそれだった。断言できた。からからに乾ききっていて、軽く息を吹きかければ飛んでいきそうで、芯がなく、重みもなく、実体もなく、論理的な理由もなく、ただ薄暗い空に浮遊して、私にまとわりついてきたそれ。一度まとわりついたらもう引き剥がせないそれ。それとはまさしく、「絶望感」だった。
私は、自分が記憶しうる限りの災厄を思い起こしていた。それは洪水であり、地震であり、津波であり、竜巻であり、落雷であり、噴火であり、こちらに雪崩れてくる土砂であった。それらの真っ只中にいて、あの乾いた絶望感に包まれる、私や誰かを想像した。しかし、思いをめぐらせながら気がつく。いや、でもこんなもんではない。あれはそれだけではない。あれの本質は、「人間には太刀打ちできない、大いなる自然の力」だけなどではなくて、「手に負えない大きな流れ」などではなくて、もっと根深くて、もっと卑近で、もっと身につまされるものでもあった。そう気がついた。
あれは、炸裂した新型爆弾でもあり、降り注ぐ焼夷弾でもあり、刃渡り15センチの果物ナイフが背に突き立てられる痛みでもあり、首を結束バンドで締め付けられた時の喉がぐっと詰まる感じでもあった。隣席の人が怒鳴られている時の会議室の居心地の悪さでもあり、「机に伏せて、心当たりがある人は手をあげてください」と言われたときの教室の空気でもあり、プラ込みの日のゴミ集積所に平然と紛れ込んできた生ゴミでパンパンのゴミ袋でもあり、雑踏の中で耳が拾った誰かの舌打ちでもあった。どれも身に覚えがあって、どこかで誰かにおこっているのを見たものであって、見たのに見て見ぬ振りをしたものであった。
変化の目まぐるしいこの21世記を生きる私や私たちは、多様性を重視し、慣例に捉われない自由で発展的な思考でもって、限られた資源と上手に折り合いをつけながら、常に自身や社会の生産性を高めていかなければならない、ということを、いろいろな人が思ったり、思わなかったり、声高く発言したり、発言しなかったりしている。
慣例に捉われない自由で発展的な思考をもって多様性を重視し限られた資源と折り合いをつけながら生産性を高めてく社会ーが昨今ぼちぼちと求められているのは、おそらくそれが一番、「世が持続できる可能性が高い」シナリオであるからなのだろう。
世は持続するべきである。私やあなたや私たちやあなたたちが、肉体維持の限界を迎え、この世から自我を持った物体としての消失を迎えたとしても、それでも世は持続すべきである。それが「良い」から、そうするべきである。なにより、持続可能性のある世の中は、それ自体が正しく、健全で、倫理的であるからして、持続ができるのだ。つまり、持続できるのが正しい世の姿で、正しい世の姿には持続可能性がある。
まごうことなく持続すべき、健全で倫理的で正しいこの世では、至る所でカラカラにかわいた絶望感が、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしているようだった。そうして、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしたそれらは、そもそもなかったことにされたり、語り継がれたり、忘れ去られたりしているようだった。
いずれかの命が誕生し、いずれかの命が消失し、それがたまたま今日まで持続的に行われているというただそれだけの事実があることによって、私たちの世界は持続に値する世であるとー持続が「可」とされる世であるーとされているようだった。うっわ、まじかよ、それって、正気か?
寝返りを打って見たiPhone 6の画面が7時32分を示している。
私は良い加減、ベッドに横たわって天井を見つめるのをやめて、身支度をして、出勤して、労働して、退勤して、身支度をして、寝なければならないようだった。何度も何度も私はそれを繰り返して、いつまで続くかわからない連続した自我とともに、来るのか来ないのかわからない未来という余白を埋め続けなければいけないようだった。
カラカラに乾いた絶望感の上に成り立つことを前提とする私や世は、本当に持続「可」とすべき対象なのか、という問いについて考える。それと共に、なんらかの事象によって私や世が持続「不可」となった”いつか”について、乏しい想像を膨らませる。苦笑する。確固たる「可」も、穏便な「不可」もない。どこにも。なんだこれ、まじで詰んでるんだがどういうことだよ。
私は思考を停止させて、最寄駅8:12分発の電車に乗るために、身支度をして、家を出た。
救われちゃったひと
小中学校の同級生に、斎藤くん(仮名以下略)という男の子がいた。
小学二年生のクラス替えで、私と斎藤くんは同じクラスになり、出席番号が近かった私たちは、なんやかんやで、他愛もない話をしたり、一緒に遊ぶようになった。
斎藤くんは、大家族の長男で、小柄なおとなしい男の子だった。
色が白く、発話がどこか舌足らずで、縄跳びが上手くて、クラスの縄跳び四天王で、リコーダーを吹くのが好き。勉強はあまり得意ではなくて、担任の大島先生に授業中指されるたび、はにかみながら、舌足らずな声でよくこう言った。「わかんない」。
私たちは、斎藤くんと、出席番号の近い佐々木くん(仮名以下略)を交えて、三人でたまに遊んだりした。
私はそこで、キン肉マン二世というめちゃおもしろアニメがあって男の子たちはみんなそれを見てるらしい、ということを学んだ。駄菓子屋へ行ったりもした。佐々木くんから仙台のおばあちゃんちにいってきたからと笹かまぼこをもらって、それを三人で食べたりした。斎藤くんの家の近くの公園で遊んだこともあった。そんなこともあった。
小学三年生の時のクラス替えで私たちは別々のクラスになり、それ以降斎藤くんとは疎遠になった。高学年になるころには自分のクラスと隣のクラスが無事に学級崩壊。危機感をもった子たち(佐々木君含む)がそれなりの割合で「お受験」エスケープをかますのを横目で伺いながら、私と斎藤くんはろくにお互いを視界に入れないまま、地元の馬鹿公立中へと無事に出荷されていったのだった。
それからしばらくして、中学三年のクラス替えで、私は再び斎藤くんと教室の中で再会した。
私は、卑屈な顔で宙を睨む不細工な文学少女、斎藤くんは、結構重めのいじられキャラへとサイコーなメガシンカをキメていた。
斎藤くんを重めにいじっていたのは、一般的に「優等生」と分類されるような男子生徒たちだった。
通信簿が(馬鹿校での評価なんてたかが知れているが)4か5で、推薦で進学校への入学が決まっていて、サッカー部で、女子中学生基準でいうところの「イケメン」で、そんな連中が、退屈な生活の片手間に、ねちっこく斎藤くんや(奴ら基準で)斎藤くんに準じる存在の子たちをいじっていた。教師の前でもそれは「お構いなく」行われていた。でも教師たちは斎藤くんたちに「お構い」をすることは、なかった。私の見た所、ただの一度もなかった。
「お前は本当に馬鹿だよな、なんでこんなのも分からないの?」
「昨日の晩何やってた?俺は塾行ってたけど、お前はどうせゲームでもしてたんだろ、馬鹿は気楽でいいな」
「お前ゲームしか取柄ないな、何で生きてんの?」
斎藤くんは、絶対に言い返さなかった。したったらずなあの声を私が再び聞くことはなかった。卑屈な笑顔を浮かべる斎藤くんを私はただ、何もせずに見ていた。私も教師達と同じだった。あるいは、「イケメン」が「つまんない奴ら」を「面白くイジっている」のを見て、やばーい何言っちゃってんのーウケるーと笑う女バレ集団と同じだった。私は何もせず、卑屈な顔をして、フックにつるされた体育館履きが整列するシミのある漆喰の壁を、ただただ一人できもい顔しながらにらみつけることしかできなかったのだ。
映画『ジョーカー』を見ました
先日、会社の近くの映画館で『ジョーカー』を見た。
プラスチックのコップに入ったバカ高いビールを素材の味を生かした65点のバカ高いホットドックで流し込みながら、厭世を深める2時間を過ごす・・・という浅はかな予定はおもちゃ箱ひっくり返したみたいにめちゃめちゃに崩壊し、気がつくと私は、エンドロール前の、あの、画面が、一面真っ白な光につつまれるロングショットのシーンで、肩を震わせて泣きながら、あっけにとられて手をつけられなかったビールを一気飲みしていた。
とんでもないものを見てしまった、とんでもないものを見てしまった、とうわごとのように頭の中で呟きながら、劇場を出て、帰路につく。頭の中の言葉は、こうも続けた。「ジョーカーのおっさん、救われちゃったよ」「ジョーカーのおっさん、救われちゃったんだけど」
そう、あの映画の中で、ジョーカーのおっさんは確かに「救われちゃった」のだ。
私は、ジョーカーのおっさんが「救われちゃ」うところを確かに見て、戦慄した。
それは、畏怖であり、悲しみであり、尊敬であり、絶望であり、希望であるような気がしたが、でもそのどれでもないような気もした。
私は、その「どれでもないような、よくわからないけどヤバい戦慄」を俯瞰でよくよく眺めて、手に取り、気がついて、あ、これってもしかして、と、驚愕した。
あ、これ、たぶん、人間が、はじめて「奇跡」を見て、なんらかの信仰にめざめた時のそれ、なんじゃね?
ジョーカーの「おっさん」
映画をはじめとした物語コンテンツは、それがどんなに技術的に優れていたとしても(写実的で精巧なデッサンの漫画・作中人物の心情をありありと浮かび上がらせる文章・見る者の琴線に触れる俳優の熱演とか)、見るものとコンテンツの間には越えられない壁がある。
その壁は、例えば映画であれば、私たちが誰かと映画を見に行って、作品を鑑賞をして、 エンドロールの後に席を立って、座りっぱなしだったから、いくらかたどたどしく、シアターの出口に向かって歩く時に、ふとした言葉として現れて、あっという間に大きなものとなって、そびえたつ。
「これ(今見た映画)、やばかったね」
「それな」
ド迫力映像のスプラッタ・ホラー映画。陰鬱とした画面に血まみれ肉片、でも私たちはエンドロールが終わって、薄暗いシアター室を出れば、フカフカの絨毯が広がる明るい商業施設が目前に広がっていることを知っている。叫んだらのど渇いたね、向かいのドトールに入って何か飲もう。
苦難を乗り越えて、経済・名誉、何かしらの栄光を得るサクセスストーリー。勇気とリスクを抱えて果敢に挑戦する主人公の姿に私たちは胸を打たれるが、休日明けの月曜日には満員電車の中で代わり映えのしない中づり広告を何の感慨もなく眺めている。脱毛しましょう、英会話教室に通いましょう、マンションを買いましょう、芸能人の疑惑をみんなで追求しましょう。
物語世界の中に起きた快も不快も、私たちにとっては所詮他人事だ。
しかしながら、物語コンテンツは、複数の条件が重なり合うことによって、見るものと物語世界との境界線をいとも簡単に飛び越えてくることがある。
本作『ジョーカー』において、埋めがたい溝のある二つの世界の架け橋となるのが、作中の中で抑圧されて、拒絶されて、軽んじられて、僅かに手の内に持っている何かすら奪われ続けたアーサーと、その彼が、自身を抑圧するすべて、自身を拒絶するすべて、自身を軽んじるすべて、僅かに自分の手の内にある「何か」ありったけ、丸ごと捨て去って到達した際に出現したジョーカーという、二人のキャラクターである。
この映画をみた少なからずの観客は、ジョーカーに対してどこか心当たりがあって、アーサーに対してどこか見覚えがある。少なくとも私にはそれらがある。
前者は流し見をしていたテレビのニュース番組で、休日朝寝ぼけた頭で見たワイドショーで、興味本位でサーフィンしていたインターネットの海の中のだれが書いたかもわからない記事の中で。後者は、自分たちが過ごすコミュニティの、隅で何も言わずにただそこにいた今はもうどうなっているのかもわからないあの人、あるいは、大きな乗換駅のコンコースの隅で裸足でうずくまっていたあの人。
報道コンテンツのひとつとして、公衆放送コンテンツのひとつとして、どのような専門知識があるのかいまいちわからないコメンテーターに大声で叫ばれる名前のある誰か。誰もがいないものとしてなかったことみたいにされる名前も分らない誰か、いや、違う。斎藤くんだ。あの時、あの、シャーペンの折れた芯で汚れたリノリウムの床と、ノートをとろうと体重をかけるとがたがた揺れる古い机たちと、禿げた漆喰の壁に覆われていたあのしょうもない箱のなかで誰にも何にも言い返さなかった斎藤くん、誰もからいない者としてなかったことみたいにされていた斎藤くん。
私は、斎藤くんに対しても、「名前のある誰か」に対しても、いつかどこかで見かける「名前のない誰か」に対しても、いつかどこかで私が誰かに言われたみたいに、口には出さないけど、こんなことを、どこかで思っていた、「あなたと私はちがいます、あなたと私たちはちがいます」と。でもそれと同時にいつかどこかで誰かに言われた言葉を思い出す。「なんかかしわぎって変わってるよな、宗教とか立ち上げそうな感じ笑。怖いんだけど笑」。「私、友達はみんなかわいい子だけにしたいんだよね、かしわぎはなんていうか、あはは、別枠なんだけど」
映画という物語世界を見ながら、私たちは心当たりのあるジョーカーをみて、見覚えのあるアーサーを見る。その時、映画を見ている私たちの目に映るピエロ男は「アメリカンコミックのマーベル作品の中に登場する人気の高いサイコパスキャラのジョーカー」ではない。「最近タバコ屋の向かいの家のおっさんよく見ないなと思ったら、やらかして警察に捕まったらしいよ、怖くね?」「いつも○○駅で乗り込んでくるあのおっさん、電車乗るとずっと独り言言っているよね、謎じゃない?」というような、なにかしらの属性をもった、私たちと同じありふれた町のありふれた生活の中にいる、名前があったり、名前が無かったりする、でも決して私たちとは深く関わることはない「成人男性」、「おっさん」、その人である 。
誰もがアーサーやジョーカーのおっさんになり得ると思っている。ー本当に?
コンテンツの世界と観客の世界の境界があいまいになったとよく起きる現象の一つに、観客がコンテンツ世界の人間と「同一化」してしまう、というのがある。え!こいつの考えてること、わかる!え!コイツってウチじゃん!となるアレだ。
私は、映画『勝手にふるえてろ』がかなり好きだ。この映画の好きなシーンの一つに、自我と自意識の中の他者像のなかでモダモダしている主人公ヨシカが、自我が肥大化しすぎるあまり、歴史上の偉人であるジャンヌダルクと中小企業ペーペーOLである自分を比べて「私は何もできていない」と泣き叫ぶシーンがある。
いや、お前、何を言ってんの、土俵がちがうよ、生きてる世界が違うじゃん、と、まあ普通に考えればそうなる。でも同一化の渦中にいる人間にはそんな正論というのは通じない。主観の渦の中に飲み込まれた思考の中で、狂ったように「それな」と叫ぶ。過去の自分に起きた由なしごとが頭の中を駆け巡って、わーーーーーとなる。こうなった人間というのは始末におえなくて、でもこの「それな」はどこか中毒性があって、歳をとるにつれて「それな」の閾値は減っていくけど、性懲りもなく、「それな」を求める民、というのは世の中に一定数いる、ような気がする。
映画『ジョーカー』を見た人たちの感想の中にも、「それな」の民による感想というものがままある。それらはもちろん個人差があるものの、要約すると「自分もアーサーのような立場になったらジョーカーになってしまう可能性がないとは言い切れない」というものが多いように見受けられる。
凡人でもなんとなく気がつくぐらい、世界が変わるスピードというものは信じられないような加速をしてきている。
ついこの前のプロジェクトXでは「大企業のエリート開発者がデジカメ開発で四苦八苦!男たちは立ち上がり、何十年ごしに商品化を実現した!」とかいってたのにこの2019年では高機能カメラを搭載した新型iPhoneが数年毎に新発売されていやーカメラが3つあると映えるわーと三角関数もよくわかってない消費者が超世界的巨大企業を礼賛するのが当たり前の風景になった。
凡人が何かを習得したり、ある分野について完全に理解をするのにかかる時間の総数というのはおそらくほとんど変わっていないのに、どういうわけか、世界が変わるスピードだけ速くなって、早くなって、はやくなっている。気がついたら人間の脳よりはやくものを考えるAIが表れて、私たち人間は、特に大きな利益の生まれない死んだブルーオーシャンのなかで従来の職人芸業務をRPA化するための人力調査班(実際に調査できる保証はない)となるか、既存の他と比べるとまだ人権を保障されていた労働をAI様に献上するか、AI様以下の待遇でのファスト・労働をキメていくかの選択を強いられることになる、のはきっとみんな、薄々感じている。
だから、アーサーの立場が「わかる」と言う。
経済的に困窮して、資本主義社会から「いらない」と言われて、存在がなかったことにされて、絞りようのないところをさらに搾取されるアーサーの立場。そんな姿に、未来の、逃げ切れたか逃げ切れなかったか不確かな自分自身の姿を重ねて「わかる」と納得するのである。
しかしながら、でも、でも本当に仮にアーサーになった私たちは「ジョーカーのおっさん」になり得るのか、と考えるとどうしても、私にはひっかかりが残る。
このひっかかりは、ジョーカーのおっさんが「救われちゃった」ときのあの衝撃に由来する。
人が「救われちゃう」ときとはいつか
映画の前半→中盤→後半→エンド直前に渡り、劇中でアーサーあるいはジョーカーのおっさんは、自身と世界・社会とのかかわり方を微妙に変化させていっているように見えた。
アーサーがまだ善悪の価値観を持ち「ハッピーちゃん」として世界や社会から搾取されていた前半。このときのアーサーは、愚直に、誠実に、世界や他者とのつながりを求めている。
公共施設の雑然としたカウンセリングルームで、現場最前線の野良カウンセラーに語る「僕の話をきけ」。
マレーのトークショーの観覧席から「お父さんみたいな」マレーに自分を見つけてもらって、人々から称賛される夢想。
小人症の同僚が、太った自分よりがたいのいい同僚に揶揄された際にした同調のための大きな声の愛想笑いと拳銃を手渡されたときの強く断ることもできないへらへらとした表情。
しかし失業・投薬中止・暴行に対する過剰防衛による殺人・その殺人を「世の中が正当化」する、と様々な要素がつながっていく中盤では、アーサーはいびつな形でつながり始めた自身と社会とのつながりに薄ら暗い喜びを見出し始める。
殺人ピエロが取り上げられた新聞を立ち止まって見入る
街角のタクシーの中に、デモ隊の中に、自身と同じ「ピエロ」を見つける
それまでただ遠くから見つめるだけだったシングルマザーの女との人間関係の構築
老いた母親の口からきいた「本当の父親の名前」
意を決したライブハウスでのネタ披露とその後の思いもよらない反響
投薬中断の影響が冷蔵庫に入るといった奇行として発現しつつも、アーサーはまだ「社会とつながる」ことが幸せなことで、自分がそれまでずっと求めていたけどかなわないものであったと信じてやまない。しかしこの信仰は、自身の生い立ち(とおぼしきもの)が判明する終盤以降に一気に崩壊し、ここでアーサーの心象世界では、おそらく社会に生きる男アーサーとジョーカーのおっさんとの一騎打ちが起きる。
マレーのTVショーで自殺することによって、自身の中にいるジョーカーのおっさん共々に、「嫌いになれなかった世界」から潔く退場しようとしたアーサーだったが、マレーにはアーサーに社会から注目されて何かを成し遂げるための舞台を提供した覚えなんてさらさらなく、アーサーはそれに気がついて、マレーを、父親を銃で殺す。
そこからやっとのことでめざめたジョーカーのおっさんは、アーサーの弔い合戦と言わんばかりに世の中をめちゃくちゃにして、めちゃくちゃにして、めちゃくちゃにする。
ジョーカーのおっさんはそこでやっと満足して、そして最後のラストシーン、「救われちゃ」うラストシーンへとつながるのである。
真っ白い、おそらく精神病棟内のカウンセリングルーム。
拘束着を着たジョーカーのおっさんは、劇中でみたことがない、心の底から楽しそうな顔で笑っている。
自身が監禁されていて、これから耐え切れない苦痛を伴った刑事罰を与えられるかもしれないのに、不安は一切なく、楽しくて、楽しくて、笑いがとまらないという様子を、慈悲の表情を張り付けたえらく身なりの良いカウンセラーらしき妙齢の女が見つめている。
カウンセラーの女が、ジョーカーのおっさんに聞く。
「何がおもしろいの?」
それに対してジョーカーのおっさんはこう答えるのだ。
「お前にはわからないよ」
私はこの言葉を、映画の世界の向こう側から、こちらの世界から見た時に、あーーーーーーーージョーカーのおっさん、「救われちゃった」よーーーーーーーと叫びそうになった。
ジョーカーのおっさんは、心優しきアーサーでは到達できなかった世界へ到達したのだ。それは、善も悪も、社会も、世も、すべてを捨てて、自分自身の主観の中だけで生きる、という世界である。
不安がなくて、不満もなくて、納得していて、怒りもなくて、劣等感に苛まれることもなく、他者からの不用意な不確実な「意味づけ」からも解放される。あらゆる人として生きるための苦しみから解き放たれた世界のなかで、たった一人で生きる。これは、途方もない救済である。
この救済は、公共施設の、雑然としたカウンセリングルームの中にいた、非正規雇用の野良カウンセラーでも、身なりの良い、おそらく学会を牛耳る偉カウンセラーでも、ウェイン社の末端社畜でも、つるんでいキリ散らかすストリートクソガキでも、毅然としたシングルマザーでも、狡猾で太ったピエロ男でも、小人症の温かい男でも、デモ隊に囲まれた豪奢な劇場で、自分たちだけは助かっているなんて思いながらモダンタイムスを鑑賞する連中でも、自らの中の暴力性を発散させて暴徒化する市民たちでもなく、ジョーカーのおっさんにのみ降りかかる。この腐った世の中でたったひとり、アーサーという一人の人間の人格と一緒に一緒にすべてを―老いた母とのみじめだが穏やかな食卓を、凛としたシングルマザーの女を遠くで見つめる憧れの心も、小人症の同僚と育む人目を気にした友愛も、ピエロとして人々を楽しませるために生きるという美しい信条も―捨てたジョーカーのおっさんだけが解放されちゃうのである。「救われちゃった」のである。
ジョーカーのおっさんが「救われちゃった」あと、エンドロールで、ジョーカーのおっさんがよたよたと真っ白い精神病棟の廊下を光の指す方に向かって歩くロングショットで、私は頭の中に浮かぶ何人かの人たちに問いかけていた。
アーサー、あなたは本当は「救われちゃ」いたかったんですか、それとも。
ジョーカーのおっさん、「救われちゃ」うのはあなたの本当の望みだったのですか、それとも。
斎藤くん、元気ですか。今何してますか。ところで、斎藤くんは「救われちゃ」いたいですか?それとも。
私は、私自身は、本当に本当は「救われちゃ」いたいのですか。それとも。
救われちゃったひととそうでないものの間には、両者を隔てるための大きな川がきっと、流れている。さながら三途のなんたら、というところか。
拷問の果てに十字架と一緒にこの世界のすべての罪を背負って「救われちゃった」らしい誰か、と、痩せこけてボロボロになりながらも「救われちゃった」ジョーカーのおっさんの背中。その背中たちを呆然と見つめながら、川の向こう岸にいる私は、自身の背後に広がる途方もない地獄に絶望して、ただただ、川の向こうの二人の横に、まさか斎藤くんがいやしないか、と探し続けている。
2種のチーズ入りパンという私
徒歩20分かけて来たヤオコーのパン売り場、おつとめ品30円引きシールが貼られたパンの中から、彼がおもむろに1つのパンを取った時に私は思わずあっ、と声を漏らした。
フランスパンのような硬めの生地、十文字に切られた中心には角切りのチーズが詰め込まれ、切り口から溢れたチーズはこんがりと焼きあげられて、パンの表面を覆っている。
小学生の頃の私は、このパンのことを《限界パン》と密かに呼んでいた。
密かに、というからには実際に声に出していっていたわけではない。
私が幼い頃から職を転々としていて、ついに職を転々とすることも諦めた父が、あたりまえのように無職になって。社会にも家族にも自分にももうすべきことなど何もないはずなのに、律儀に近所の24時間営業のスーパーの売り場で毎日毎日明け方に買ってきたのがこのパンだった。朝、食卓に乱雑に置かれていたこのパンをみるにつけ、私は誰にも気づかれないように頭の中で、あっ、また《限界パン》だ、と律儀に言って、全く手をつけずに家を出て、クラスに友達が1人しかいない学校へ向かっていた。
幼心に、《限界》なのはパンだけではないという強い確信があった。
働く母、薬を飲み始めてから少し落ち着いたもののまだまだ興奮するとその辺りを駆け回る落ち着きのない「なかよし学級」の弟、老いた祖母、どこからも誰からも必要とされていない父、クラスのどの仲良しグループにも入れない私。
その頃の私は、世の中には、誰も教えてはくれないけど、《限界》側の人間とそうでない人間がいる、と本気で信じていた。《限界側でない人間》にとって《限界》側の人間はいてもいなくてもわからないような「非人間」で、《限界》側の人間にとっては《限界側ではない人間》は「意味がよくわからないが、強いて言うならよく笑う生き物」で、両者が分かり合えることは絶対にない。稚拙な仮説を立てて、その稚拙な仮説になんとか納得をしていた。それと同時に、私は《限界》側の人間だけども、それをちゃんと「分かっている」ので、「大丈夫だ」と強く自分に言い聞かせてもいた。
また徒歩20分かけて家まで帰って、冷蔵庫の水出し麦茶を飲みながら、トースターにヤオコーで買ってきたパンを2つ乗せ、温めボタンを押した。
「ねえこのパン好きなの?」
と彼に聞くと、何も言わずうなづくので、そうか、と言って、ベットに横になってスマホをいじる。
《限界パン》が食卓に並び始めた当初ー当初なので私はそのパンが《限界》の象徴であるということをまだ認識していなかったーに、私は《限界パン》を食べてみたことがあった。
パンを包む弱々しいビニールは、パンから滲み出た油でベトベトしていて、じゃあ包装を剥がそう、とすると、粘着したバーコード付きの商品名シールやおつとめ品シールが邪魔でなかなかパンにありつけない。
やっと包装を剥がし、口に運んでみると、時間が経って硬くなったパンに歯を立てなんとか噛み切る羽目になり、噛み切った断面からはボソボソとしたパン生地とモソモソとした角切りのチーズが口の中に広がる。
端的に言えば、美味しくはなかった。
美味しくはないが、私はしばらくそのパンを食べていた。
そのパンをしばらく食べていたが、しばらく食べたからと言って、私がそのパンを美味しく感じるわけでもなくて、しばらく食べたからと言って、《限界父》や《限界家族》の状況が好転するわけではないということを察知した。私はそのパンを食べるのを一切やめ、《限界》という称号を与えた。そして、毎朝食卓に鎮座するそれを、父にするのと同じように、見て見ぬ振りをすることに徹した。
《限界父》は、それでこそ《限界父》たる所以なのか、自分が買ってきたパンが食卓で見向きもされないことをおそらく分かっていないようだった。私はそれを見て、どうやら《限界》間にも断絶というものはあるようだ、と悟った。親・子ども、男・女、かなり限界・それなりに限界。稚拙な厭世観はさらに強固なものとなった。
トースターから温めが完了した音がして、のそのそと起き上がり、温まったパンを皿の上に乗せ、座卓に運んだ。
彼は座卓の前にちょこんと座っていて、私にお礼を言い、私が隣に並んで床に座ると、ゆっくりと、あの、《限界パン》を口にいれた。
「おいしい?」
固唾をのんで見守っていることに、自分の体に力が入っていることに気がついた。
私は、彼に言っているのか自分に言っているのか、それとも昔の私に言っているのかわからない声をかけると、今私の隣にいる彼が、うんおいしいよと答える。
あのとき、あのヤオコーには、おつとめ品が貼ってあるパンは、他にも色々あった。砂糖がまぶされたツイストパン、クリームが挟まれたフレンチトーストサンド、ベーコンエピ、もち明太フォカッチオ。
そんな中からおもむろに選ばれたのがこの《限界パン》であった。私はあの時に《限界》と決めつけたはずのそれを、彼はおもむろに選んだのだ。意味がわからない。不思議だ。おかしい。気になる。
私は、彼にお願いをしてかの《限界パン》を少し分けてもらうことにした。
手でちぎられた限界パンを口元近くまで運び、少しためらう。
それでも恐る恐る食べてみると、温めなおしたパンの表面が歯に当たってカリ、っと小気味良い音がした。
温かくなったチーズは塩っ気があり、少し柔らかくなっているように感じる。パンの生地自体も、少し硬いような気がするが、気になる硬さではない。
しばらく咀嚼をして、そうして私はやっと納得して、言葉を発した。
「これおいしいね」
大学を卒業し、月給でサラリーする身分になってもう直ぐ三年が過ぎようとしている。
この三年余りの時間は、私はどうやら月給でサラリーするくらいしか金を生み出せないようだ、と言うことに気がつかせてくれたし、実際に見たり、本当か嘘かの伝聞の中で、40を過ぎた平凡なサラリーの男が直面する《限界》についての知見を深めるよい機会となった。
私の父は、おつとめ品の「2種のチーズ入りパン」は温めないと美味しくないということ分からず、まともな職歴を積まないまま転職を繰り返すことがどう言うことかもわからず、酒に溺れることがどういうことかもわからず、それなりに苦しんで生き、死んだ。
これから先の、私自身ー驚くような高さの生産性もなく変革の激しいこの世に提供できる価値を創造することもできない人間ーの人生について思考を巡らせようとすると、頭に浮かぶ言葉は《限界》の2文字以外見当たらないが、《限界パン》にも本当の名前があるように、《限界パン》でも家のトースターで温めれば以外と美味しくなるように、《限界パン》には《限界》なりの何かがちゃんとある…そんなことを思い起こしながら、生活を過ごしていくのがきっと凡人の人生なのだ、と漠然と思う。そう思う。
20時過ぎて、一斉に、続々と、数え切れないくらい、おつとめ品シール貼られるわたし達。ハイソな客はもうとっくに全員帰ってて、店内には2000年代のj-popが無限ループ。
《限界》といえば、それはそうかもしれないが、《限界》なりにもおそらくきっと、矜持はある、かもしれない。
自由律俳句
地下フロアを抜け出し、トイレの一室に駆け込んで、うずくまって床を見つめていた。明度の低い白熱灯で照らされた床に数本の陰毛と、陰毛のような毛質の長い長い髪の毛が一本、落ちている。
シロツメクサの墓
JR奈良駅徒歩6分のビジネスホテルで、(おそらく)ローカルの経済番組を見た。
髪をおろした女の子のはなし
金曜日の池袋だった。
すみっこにいた女児のはなし
十代の終わり、インターネッツでこんな言葉に出会った。
「学校のクラスは社会の縮図だ。ここで馴染めなかったりパッとしなかったりするやつは、いくつになっても、何をしてもダメだ。」
ガラケーの狭い画面上に浮かび上がるその言葉を見た瞬間、わたしの中に膨大な量のイメージがあほみたいに流れ込んできたのを今でも覚えている。
1ねん3くみ、2ねん3くみ、3年4組、4年4組、5年2組、6年2組、1年6組、2年7組、3年6組、1年5組、2年6組、3年6組
給食袋と音楽バックが下げられた机の群れと大繁殖したモクモクの苔の中で気まずそうに泳ぐやせっぽちのメダカがいた水槽、あるいは、手作りのフェルトのお守りがぶら下がったななめ掛けのエナメルバックが乱雑に転がる足の踏み場もない床とむんわりと香るいろいろなシーブリーズのにおい、あるいは、チャックの空いた化粧ポーチがひとつふたつとならぶトイレの流し台と人名を伏せたひそひそ話。
いつだってどこにいたってなにをしたってわたしはずっと「かしわぎさん」で、どんなにおれたちさいこうな〇年〇組が様々な行事を経てよりいっそう最高の仲間たちとなり団結と絆を育んだとしても、わたしはずっと「かしわぎさん」で、いつだってわたしは教室のかたすみで数少ない友達とひっそり大喜利大会をして、わらって、わたしはほんとうは面白いニンゲンなのになあとおもって、おもうだけしてて、でもずっとわたしは「かしわぎさん」だから、友達が休んだりするとどこにも居場所がなくて、図書室に行く、いつだってどこにいたってそうだった。
いつだってそうだったけど、でもわたしは、人生というものは、それなりに努力して勉強をし、それなりに準備をコツコツとしていけば、いつかそれなりの真人間になれるかもしれないのである、などとも思っていた。真人間にさえなってしまえばこちらのもので、わたしはいつか、「この世の中にはこれっぽっちもみじめなことなんてありません」という顔で生きていけるのだ、なんて思うと、どんなみじめなことも大したことはないなどど思い込めた。わたしはたいへんにしあわせものだったのだ。
だから、その言葉を見たとき、怖くなった。
わたしは「今は」みじめで不幸せだけど、「これからも」ずっとみじめで不幸せなのかもしれない、ということに気がついてしまったから。
教室の隅が、いつしか講義室の隅になって、オフィスの隅になって、そして私は地元の隅の、築50年のオンボロ実家でじっと縮こまりながら、歳をとって、親は死んで、一人ぼっちで、もう大喜利をする相手もいなくなって、間の抜けたとんちを壁に向かってつぶやき続ける。
そんな未来は簡単に想像でき、そしてそんな未来はとてもとてもしっくりきたのだった。全部が全部どうでもよくなってしまった。
わたしは一気に自分はもしかしたらとても不幸な人間なのかもされないということに思い当たってしまったのである。
初めてその子と話したとき、なんだかよくわからない人だなと思った。
新宿のワイアードカフェ。先に座って待ってたその子は、気まずそうに背を縮こまらせて、アイスカフェラテを飲んでいた。
あ、あの、はじめまして、
ワタワタと着席しながら私がぎこちなくモゴモゴと話しかけると、同じようにその子も
あ、はい、どうも
とだけ言って、こちらを一瞥だけしてまた背を縮こまらせた。
友達の紹介だった。感性が面白い男友達がいるので、会ってみない?とても気があうと思うよ。と勧められ、数回LINEのやり取りをし、会ってみることになった。
キャベツ 千切り トントントン
事前に、面白い人なんだよねというフリでその子のツイッターのホーム画面を見させられてた。
つぶやきやリツイートがほぼ無く殺風景なそこには、キャベツ 千切り トントントンとだけ浮かんでいて、それを見て、わたしはなんだかまだ会ってもいないくせに、とたんにその子のことが好きなってしまったのをなんとなく覚えている。
ワイアードカフェでは特に会話が盛り上がることも続くこともなく、雨の新宿をあてもなくさまよい歩いて、そのまま流れで映画館で『ズートピア』を見て、照明暗めのお手頃価格のおしゃれ和食ダイニングみたいなところでご飯を食べたけど、そこでは特に感想を言い合うこともなく、ご飯食べ終わると同時にすぐに解散した。
そこからなんとなくその子との交流が始まった。
交流というか、交流というほど何かを話したりだとか打ち解けようと何かアクティビティーを行ってみたり、なんてことはなくて、適当に場所を決めて集合して、フラフラと歩いて、歩いている最中に彼がよく分からない間の抜けたボケみたいなことを言ってくるので、私がそれに同じく間の抜けた感じに返答をして、お金がないのでウィンドウショッピングをして、無印良品に立ち寄って、映画を見て、ご飯を食べて、帰るということを月に2回くらいやる。そういうことがしばらく続いた。
それで、いつだったか、何回めかのそういった交流で横浜の回転寿司屋に立ち寄った際に、ずっと黙って生海老と甘エビとエンガワばかり食べていたその子は、ああそういえば思い出したなぁという感じにポツリポツリと私に自身の話をし始めたのだ。
小学生の頃とかさ、何か覚えてたりする?という枕から
親が転勤族だったため、小学校は3度変わった。
最終的に九州の外れに一家は居を構えて落ち着いた。
小学生の頃は今以上にぼっとしていた。
お昼休みの時間、クラスには「クラスの子どもみんなで外に出て全員で遊ぶ」というしきたりがあったのだが、自分は外で全員で遊ぶということがとても嫌だったので、昼休み毎に図書室に行き、司書の年配の女性と、クラスの隅っこにいた女の子と本を読んで過ごしていた。
中学から陸上を続けていて、高校でも陸上部だったのだが、年頃の男子が集まると必ず始まる「クラスの女子の格付け大会」が苦手で、それが始まるたびにそっと席を外して一人になっていた。
それらの話を淡々とその子は話していった。恥ずかしそうにも、気まずそうにも、後ろめたそうにも見えなかった。話の合間合間にその子は流れてくる海老をとって食べ、わたしはサーモンをとって食べた。サーモン取って食べ、話聞いて、カンパチをとって食べ、お茶をすすりながら、わたしは不思議な心地になっていた。
それは最初、既視感たった。
しかしその輪郭は非常におぼろげで、この既視感はなんなのだろうなどと思っていると、徐々にゆっくり、ゆっくりと頭の中にまた、例の、例のあのイメージが駆け巡ってきたのである。
給食袋と音楽バックが下げられた机の群れと大繁殖したモクモクの苔の中で気まずそうに泳ぐやせっぽちのメダカがいた水槽、あるいは、手作りのフェルトのお守りがぶら下がったななめ掛けのエナメルバックが乱雑に転がる足の踏み場もない床とむんわりと香るいろいろなシーブリーズのにおい、あるいは、チャックの空いた化粧ポーチがひとつふたつとならぶトイレの流し台と人名を伏せたひそひそ話
わたしは、そこでようやく、いま目の前で海老ばかり食べているこの子はきっとわたしに違いないと、そんなバカなことを自分が感じているのだということに気がついた。
この子はきっと男の子として生まれたときのわたしである。たしかに私はその時、そう感じた。
そう思ったらとたんに、わたしは行ったこともない九州の外れの、公立小学校の老朽化した校舎の別館で『エルマーとりゅう』を読んでいた。あるいは陸上部の更衣室のロッカーから足早に立ち去ろうとミズノのシューズを乱暴に脱ごうとしていた。あるいは、あるいは。
たくさんのあるいは、が頭の中に注ぎ込まれてきて、わたしは一人でアタフタした。あわてて醤油皿の小脇にあったビールをぐぐぐと煽る。
アルコールはいい具合に精神を落ち着けてくれて、心拍数がトクトク、と静かに早まるのを感じた。心地が良い。心地が良かった。
学校のクラスは社会の縮図だと誰かが言った。なるほどたしかに、この社会というものはいじめっ子もいじめられっ子も、頭でっかちな優等生も、噂大好きスピーカーも、凡庸な傍観者も、スケープゴートも、多数決も、運動会も、合唱コンクールも、文化祭も、お遊戯会も、お楽しみ会もある混沌と悪意と善意と感情に満ち溢れた世界である。
でもきっと、例えば怒号が飛び交う合唱コンクールの練習をふと一緒に抜け出して、校舎の隅っこで大喜利をしあえる相手が、そんな相手が誰か一人でもいれば、人生というものはとても幸せなのかもしれないなと、思った。
ひどく救われたような気持ちで焼きハラスを食べた。サーモンの寿司は美味しい。サーモンアボカド巻きも美味しい。サーモンユッケ軍艦も美味しい。
悪くないじゃん、案外、人生。悪くないのかもしれない。
アルコールで浮遊する頭の中でたしかにそう呟く声が聞こえた気がした。