斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL2年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

「可」もなく、また、「不可」もない

デスクトップパソコンのモニターに、警告音とともにある一文が表示された。

 

無機質な男性の声が、不快な警告音に被さるように、表示された一文を読み上げる。

某国を名乗るその一文は、諸般の事情を鑑みた結果、我が国に最新鋭のミサイルを投下することを決定した、との旨を淡々と語っており、最後通告の思いやりなのか、正義の審判者としての慈悲のポージングなのか、投下時刻とともに我々一般国民への避難を呼びかけていた。

文章が書かれた不気味なウィンドウが立ち上がり、消え、また立ち上がり、を何度も繰り返す。

私はしばらくウィンドウの裏にあるエクセルに向かって所定のデータ入力を続けていたが、あまりにも何度も立ち上がり消えるそれがうっとおしすぎて、しかたなくパソコンの電源を切った。

 

 

家の中は少々慌ただしかった。

トスん、トスん、と乾いた音が等間隔で聞こえてくる。なんだろうと思って音のする方に行き、二階からベランダに出ると、丸くまとめられた掛け布団がよたよたと庭に転がっているのが見えた。布団にプリントされている錦絵もどきの赤い花柄が、くるくると回転して、しばらくするとこちらからは見えなくなる。

布団の横には、他の家具類や日用雑貨も散乱していた。どうやら誰かが二階から庭に家財道具を落としているようだった。

 

「避難しないと」

 

声が聞こえたのでそちらを向くと、同居している祖母がいた。

近頃は足腰が弱く、赤みがかった鼈甲色の杖を手放せない彼女だったが、私の前にいる彼女は、腹からずっしりと地に足をつけて、緊迫した表情で仁王立ちをしている。

 

 

避難って言ったって一体どこに?

 

 

私は口からそう言った、いや、もしかしたら言ってはいなかったかもしれないが、気がつくと、地元近郊で一番大きいターミナル駅JR線ホームに立っていた。

私と、母と弟と祖母がいた。あれだけ転がっていた家財道具を誰も持ってはいなかった。誰も何も手に抱えてはいなかったし、誰も何も背負ってはいなかった。駅のホームは驚くほど閑散としていて、私はみんな《諦めてしまった》のだろうか、などと思う。

ホームにやってくる在来線に乗ったとして、いったい私たちはどこに向かおうとしているのか、全く見当がつかなかった。

中部地方に住む親戚の顔が少しちらついたが、すぐにそのイメージも消え、そのうちに彼らの顔も分からなくなる。

 

ホームに突如、サイレンが鳴り響いた。

しばらく鳴り続ける。鳴り続ける。鳴り続ける。幾分長い。

それは、なおも鳴り続いて、それでやっと私はこのサイレンが、駅のなんらかの設備が鳴らしてるそれではなく、どうやらお国の国防が、今この時この瞬間に、懸命に仕事を全うしているようだ、ということに気がついた。

サイレンがようやく止まり、少しの間をおいて、今度は気の抜けた炭酸飲料のペットボトルを開けた時のような音がした。

音ともに、ヒューと心もとない煙が数筋、鈍色の空に吸い込まれていく。一本、二本、三本。出た途端から消え始める、あまりに弱々しい煙の筋だったものをみて、私は合点する。なるほど、どうやらこれが、件の迎撃装置のようだった。

とある言葉のイメージが頭の中に浮かんだ。おぼろげな輪郭だったそれは、国防の煙の筋があたかたもなく灰色の空に溶けて消えた時に、ようやくはっきりとした言葉になった。

 

 

 

あっ、これもうダメなやつだわ

 

 

 

確信を持った言葉が頭の中にこだました後、私はおもむろに、コンクリートの地面に膝をついた。次にお腹をつけて、肘をつけて、最後に頭を垂れて、真っ黒なガムの汚れが付着している地面を、ただじっと見つめた。そうして体をまるくして地面にうずくまった。

私は、私の体は出来るだけコンパクトにしておいた方がいい、と思った。出来るだけコンパクトになっておいた方が、おそらく後の人が片付けがしやすいであろう、とも思った。後の人がはたしてこの場所にやってこれるのか、やってこれたとして、私たちを片付けてくれるのかということは、この際なんでもよくて、どうでもよかった。

 

右ほほがジワリと暖かくなる。

遠くで眩いばかりの光がポーーーーンと弾けたのを感じる。

それからきっかりふた呼吸後、私にとってはたしかに2秒後に、今まで見たことも聞いたことも感じたこともない爆風と爆音が体に降りかかってきた。鼓膜が破ける、というのを今から体感するんだろうか、と思った矢先に、母が私を呼ぶ声が耳に飛び込んでくる。

汚いコンクリートの地面しか見えなかった視界の端に、母が履いているライトグレーのズボンの裾が見えた。私の名前を呼び、母は、危ないと叫びながら、どうやら、うずくまった私の体に自身の身体を覆いかぶせてきているようだった。

 

もう、私たちのまわりの、どこもかしこも「危ない」はずだった。たとえ身を呈して覆いかぶさって何かを守ろうとしたって、そんなのもう全部無駄に決まっていた。母も私も、誰も彼も死ぬのは決まりきったことだった。こんなことしても無駄だと言おうとして、自分の耳がもう聞こえなくなっていることに気がついた。視界の中の母の灰色のズボンの裾に、てんてんてん、と模様がついていく。血でできた模様だった。爆風で飛ばされた瓦礫の破片が、私たちの体にいくつもいくつも突き刺さっているのだ。

 

私は緩慢に目を閉じる。

そうして目を閉じるとそこにあったのはただの「無」で、私はその「無」の中で、自我の輪郭がおぼろげになって、跡形もなくなり、やがて消えていくのをたしかに実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い室内だった。横には丸まったタオルブランケットがあった。

横になったまま身じろぎすると、枕元に前の会社で貿易事業部の鈴本さんからもらった、ピンク色のあざらしのぬいぐるみが転がっているのが見える。

 

私は、自室で目を覚ましていた。

 

雨戸の隙間から入る日光が、室内に舞うチリやゴミをキラキラと煌めかせていて、しばらくそれをじっと見つめる。

枕元にある充電中のiPhone6を触る、647分。たしかにそこには、202078日水曜日の朝があった。

 

あの時、たしかに私は死んだはずだった。

しかし、今このとき、私はこうして、生きているようだった。

自分の生死について問える自我に生きてる実感をまざまざと感じながら、私はやけに落ち着き払った思考の中で、とある確信を得ていた。

 

さっきの死は、まぎれもなく、誰かに降りかかった「死」であった。

それは未来の私に降りかかるものなのか、この世界の過去のどこかで誰かに降りかかったものなのか、それとも未来の誰かに降りかかるものなのか、それはわかりもしないことだった。

 

しかしながら、件の迎撃装置の煙が、薄暗い空に消えていくのを見て感じたあの感覚は、この世のどこかで誰かが必ず経験したそれで、そしてこれから誰かが必ず経験するであろうそれだった。断言できた。からからに乾ききっていて、軽く息を吹きかければ飛んでいきそうで、芯がなく、重みもなく、実体もなく、論理的な理由もなく、ただ薄暗い空に浮遊して、私にまとわりついてきたそれ。一度まとわりついたらもう引き剥がせないそれ。それとはまさしく、「絶望感」だった。

 

私は、自分が記憶しうる限りの災厄を思い起こしていた。それは洪水であり、地震であり、津波であり、竜巻であり、落雷であり、噴火であり、こちらに雪崩れてくる土砂であった。それらの真っ只中にいて、あの乾いた絶望感に包まれる、私や誰かを想像した。しかし、思いをめぐらせながら気がつく。いや、でもこんなもんではない。あれはそれだけではない。あれの本質は、「人間には太刀打ちできない、大いなる自然の力」だけなどではなくて、「手に負えない大きな流れ」などではなくて、もっと根深くて、もっと卑近で、もっと身につまされるものでもあった。そう気がついた。

 

あれは、炸裂した新型爆弾でもあり、降り注ぐ焼夷弾でもあり、刃渡り15センチの果物ナイフが背に突き立てられる痛みでもあり、首を結束バンドで締め付けられた時の喉がぐっと詰まる感じでもあった。隣席の人が怒鳴られている時の会議室の居心地の悪さでもあり、「机に伏せて、心当たりがある人は手をあげてください」と言われたときの教室の空気でもあり、プラ込みの日のゴミ集積所に平然と紛れ込んできた生ゴミでパンパンのゴミ袋でもあり、雑踏の中で耳が拾った誰かの舌打ちでもあった。どれも身に覚えがあって、どこかで誰かにおこっているのを見たものであって、見たのに見て見ぬ振りをしたものであった。

 

 

 

変化の目まぐるしいこの21世記を生きる私や私たちは、多様性を重視し、慣例に捉われない自由で発展的な思考でもって、限られた資源と上手に折り合いをつけながら、常に自身や社会の生産性を高めていかなければならない、ということを、いろいろな人が思ったり、思わなかったり、声高く発言したり、発言しなかったりしている。

慣例に捉われない自由で発展的な思考をもって多様性を重視し限られた資源と折り合いをつけながら生産性を高めてく社会ーが昨今ぼちぼちと求められているのは、おそらくそれが一番、「世が持続できる可能性が高い」シナリオであるからなのだろう。

 

世は持続するべきである。私やあなたや私たちやあなたたちが、肉体維持の限界を迎え、この世から自我を持った物体としての消失を迎えたとしても、それでも世は持続すべきである。それが「良い」から、そうするべきである。なにより、持続可能性のある世の中は、それ自体が正しく、健全で、倫理的であるからして、持続ができるのだ。つまり、持続できるのが正しい世の姿で、正しい世の姿には持続可能性がある。

 

まごうことなく持続すべき、健全で倫理的で正しいこの世では、至る所でカラカラにかわいた絶望感が、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしているようだった。そうして、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしたそれらは、そもそもなかったことにされたり、語り継がれたり、忘れ去られたりしているようだった。

いずれかの命が誕生し、いずれかの命が消失し、それがたまたま今日まで持続的に行われているというただそれだけの事実があることによって、私たちの世界は持続に値する世であるとー持続が「可」とされる世であるーとされているようだった。うっわ、まじかよ、それって、正気か?

 

 

 

 

寝返りを打って見たiPhone 6の画面が732分を示している。

 

私は良い加減、ベッドに横たわって天井を見つめるのをやめて、身支度をして、出勤して、労働して、退勤して、身支度をして、寝なければならないようだった。何度も何度も私はそれを繰り返して、いつまで続くかわからない連続した自我とともに、来るのか来ないのかわからない未来という余白を埋め続けなければいけないようだった。

 

カラカラに乾いた絶望感の上に成り立つことを前提とする私や世は、本当に持続「可」とすべき対象なのか、という問いについて考える。それと共に、なんらかの事象によって私や世が持続「不可」となった”いつか”について、乏しい想像を膨らませる。苦笑する。確固たる「可」も、穏便な「不可」もない。どこにも。なんだこれ、まじで詰んでるんだがどういうことだよ。

 

 

私は思考を停止させて、最寄駅8:12分発の電車に乗るために、身支度をして、家を出た。

 

 

救われちゃったひと

小中学校の同級生に、斎藤くん(仮名以下略)という男の子がいた。

小学二年生のクラス替えで、私と斎藤くんは同じクラスになり、出席番号が近かった私たちは、なんやかんやで、他愛もない話をしたり、一緒に遊ぶようになった。

 

斎藤くんは、大家族の長男で、小柄なおとなしい男の子だった。

色が白く、発話がどこか舌足らずで、縄跳びが上手くて、クラスの縄跳び四天王で、リコーダーを吹くのが好き。勉強はあまり得意ではなくて、担任の大島先生に授業中指されるたび、はにかみながら、舌足らずな声でよくこう言った。「わかんない」。

 

私たちは、斎藤くんと、出席番号の近い佐々木くん(仮名以下略)を交えて、三人でたまに遊んだりした。

私はそこで、キン肉マン二世というめちゃおもしろアニメがあって男の子たちはみんなそれを見てるらしい、ということを学んだ。駄菓子屋へ行ったりもした。佐々木くんから仙台のおばあちゃんちにいってきたからと笹かまぼこをもらって、それを三人で食べたりした。斎藤くんの家の近くの公園で遊んだこともあった。そんなこともあった。

 

 

 

小学三年生の時のクラス替えで私たちは別々のクラスになり、それ以降斎藤くんとは疎遠になった。高学年になるころには自分のクラスと隣のクラスが無事に学級崩壊。危機感をもった子たち(佐々木君含む)がそれなりの割合で「お受験」エスケープをかますのを横目で伺いながら、私と斎藤くんはろくにお互いを視界に入れないまま、地元の馬鹿公立中へと無事に出荷されていったのだった。

 

 

 

 

それからしばらくして、中学三年のクラス替えで、私は再び斎藤くんと教室の中で再会した。

私は、卑屈な顔で宙を睨む不細工な文学少女、斎藤くんは、結構重めのいじられキャラへとサイコーなメガシンカをキメていた。

 

斎藤くんを重めにいじっていたのは、一般的に「優等生」と分類されるような男子生徒たちだった。

通信簿が(馬鹿校での評価なんてたかが知れているが)4か5で、推薦で進学校への入学が決まっていて、サッカー部で、女子中学生基準でいうところの「イケメン」で、そんな連中が、退屈な生活の片手間に、ねちっこく斎藤くんや(奴ら基準で)斎藤くんに準じる存在の子たちをいじっていた。教師の前でもそれは「お構いなく」行われていた。でも教師たちは斎藤くんたちに「お構い」をすることは、なかった。私の見た所、ただの一度もなかった。

 

「お前は本当に馬鹿だよな、なんでこんなのも分からないの?」

「昨日の晩何やってた?俺は塾行ってたけど、お前はどうせゲームでもしてたんだろ、馬鹿は気楽でいいな」

「お前ゲームしか取柄ないな、何で生きてんの?」

 

斎藤くんは、絶対に言い返さなかった。したったらずなあの声を私が再び聞くことはなかった。卑屈な笑顔を浮かべる斎藤くんを私はただ、何もせずに見ていた。私も教師達と同じだった。あるいは、「イケメン」が「つまんない奴ら」を「面白くイジっている」のを見て、やばーい何言っちゃってんのーウケるーと笑う女バレ集団と同じだった。私は何もせず、卑屈な顔をして、フックにつるされた体育館履きが整列するシミのある漆喰の壁を、ただただ一人できもい顔しながらにらみつけることしかできなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

映画『ジョーカー』を見ました

先日、会社の近くの映画館で『ジョーカー』を見た。

 

プラスチックのコップに入ったバカ高いビールを素材の味を生かした65点のバカ高いホットドックで流し込みながら、厭世を深める2時間を過ごす・・・という浅はかな予定はおもちゃ箱ひっくり返したみたいにめちゃめちゃに崩壊し、気がつくと私は、エンドロール前の、あの、画面が、一面真っ白な光につつまれるロングショットのシーンで、肩を震わせて泣きながら、あっけにとられて手をつけられなかったビールを一気飲みしていた。

とんでもないものを見てしまった、とんでもないものを見てしまった、とうわごとのように頭の中で呟きながら、劇場を出て、帰路につく。頭の中の言葉は、こうも続けた。「ジョーカーのおっさん、救われちゃったよ」「ジョーカーのおっさん、救われちゃったんだけど」

 

 

 

そう、あの映画の中で、ジョーカーのおっさんは確かに「救われちゃった」のだ。

私は、ジョーカーのおっさんが「救われちゃ」うところを確かに見て、戦慄した。

それは、畏怖であり、悲しみであり、尊敬であり、絶望であり、希望であるような気がしたが、でもそのどれでもないような気もした。

私は、その「どれでもないような、よくわからないけどヤバい戦慄」を俯瞰でよくよく眺めて、手に取り、気がついて、あ、これってもしかして、と、驚愕した。

 

あ、これ、たぶん、人間が、はじめて「奇跡」を見て、なんらかの信仰にめざめた時のそれ、なんじゃね?

 

ジョーカーの「おっさん」

映画をはじめとした物語コンテンツは、それがどんなに技術的に優れていたとしても(写実的で精巧なデッサンの漫画・作中人物の心情をありありと浮かび上がらせる文章・見る者の琴線に触れる俳優の熱演とか)、見るものとコンテンツの間には越えられない壁がある。

その壁は、例えば映画であれば、私たちが誰かと映画を見に行って、作品を鑑賞をして、 エンドロールの後に席を立って、座りっぱなしだったから、いくらかたどたどしく、シアターの出口に向かって歩く時に、ふとした言葉として現れて、あっという間に大きなものとなって、そびえたつ。

 

「これ(今見た映画)、やばかったね」

「それな」

 

 

ド迫力映像のスプラッタ・ホラー映画。陰鬱とした画面に血まみれ肉片、でも私たちはエンドロールが終わって、薄暗いシアター室を出れば、フカフカの絨毯が広がる明るい商業施設が目前に広がっていることを知っている。叫んだらのど渇いたね、向かいのドトールに入って何か飲もう。

 

苦難を乗り越えて、経済・名誉、何かしらの栄光を得るサクセスストーリー。勇気とリスクを抱えて果敢に挑戦する主人公の姿に私たちは胸を打たれるが、休日明けの月曜日には満員電車の中で代わり映えのしない中づり広告を何の感慨もなく眺めている。脱毛しましょう、英会話教室に通いましょう、マンションを買いましょう、芸能人の疑惑をみんなで追求しましょう。

 

物語世界の中に起きた快も不快も、私たちにとっては所詮他人事だ。

しかしながら、物語コンテンツは、複数の条件が重なり合うことによって、見るものと物語世界との境界線をいとも簡単に飛び越えてくることがある。

 

本作『ジョーカー』において、埋めがたい溝のある二つの世界の架け橋となるのが、作中の中で抑圧されて、拒絶されて、軽んじられて、僅かに手の内に持っている何かすら奪われ続けたアーサーと、その彼が、自身を抑圧するすべて、自身を拒絶するすべて、自身を軽んじるすべて、僅かに自分の手の内にある「何か」ありったけ、丸ごと捨て去って到達した際に出現したジョーカーという、二人のキャラクターである。

 

この映画をみた少なからずの観客は、ジョーカーに対してどこか心当たりがあって、アーサーに対してどこか見覚えがある。少なくとも私にはそれらがある。

前者は流し見をしていたテレビのニュース番組で、休日朝寝ぼけた頭で見たワイドショーで、興味本位でサーフィンしていたインターネットの海の中のだれが書いたかもわからない記事の中で。後者は、自分たちが過ごすコミュニティの、隅で何も言わずにただそこにいた今はもうどうなっているのかもわからないあの人、あるいは、大きな乗換駅のコンコースの隅で裸足でうずくまっていたあの人。

道コンテンツのひとつとして、公衆放送コンテンツのひとつとして、どのような専門知識があるのかいまいちわからないコメンテーターに大声で叫ばれる名前のある誰か。誰もがいないものとしてなかったことみたいにされる名前も分らない誰か、いや、違う。斎藤くんだ。あの時、あの、シャーペンの折れた芯で汚れたリノリウムの床と、ノートをとろうと体重をかけるとがたがた揺れる古い机たちと、禿げた漆喰の壁に覆われていたあのしょうもない箱のなかで誰にも何にも言い返さなかった斎藤くん、誰もからいない者としてなかったことみたいにされていた斎藤くん。

私は、斎藤くんに対しても、「名前のある誰か」に対しても、いつかどこかで見かける「名前のない誰か」に対しても、いつかどこかで私が誰かに言われたみたいに、口には出さないけど、こんなことを、どこかで思っていた、「あなたと私はちがいます、あなたと私たちはちがいます」と。でもそれと同時にいつかどこかで誰かに言われた言葉を思い出す。「なんかかしわぎって変わってるよな、宗教とか立ち上げそうな感じ笑。怖いんだけど笑」。「私、友達はみんなかわいい子だけにしたいんだよね、かしわぎはなんていうか、あはは、別枠なんだけど」

 

映画という物語世界を見ながら、私たちは心当たりのあるジョーカーをみて、見覚えのあるアーサーを見る。その時、映画を見ている私たちの目に映るピエロ男は「アメリカンコミックのマーベル作品の中に登場する人気の高いサイコパスキャラのジョーカー」ではない。「最近タバコ屋の向かいの家のおっさんよく見ないなと思ったら、やらかして警察に捕まったらしいよ、怖くね?」「いつも○○駅で乗り込んでくるあのおっさん、電車乗るとずっと独り言言っているよね、謎じゃない?」というような、なにかしらの属性をもった、私たちと同じありふれた町のありふれた生活の中にいる、名前があったり、名前が無かったりする、でも決して私たちとは深く関わることはない「成人男性」、「おっさん」、その人である 。

 

 

 

 

 

誰もがアーサーやジョーカーのおっさんになり得ると思っている。ー本当に?

コンテンツの世界と観客の世界の境界があいまいになったとよく起きる現象の一つに、観客がコンテンツ世界の人間と「同一化」してしまう、というのがある。え!こいつの考えてること、わかる!え!コイツってウチじゃん!となるアレだ。

私は、映画『勝手にふるえてろ』がかなり好きだ。この映画の好きなシーンの一つに、自我と自意識の中の他者像のなかでモダモダしている主人公ヨシカが、自我が肥大化しすぎるあまり、歴史上の偉人であるジャンヌダルクと中小企業ペーペーOLである自分を比べて「私は何もできていない」と泣き叫ぶシーンがある。

いや、お前、何を言ってんの、土俵がちがうよ、生きてる世界が違うじゃん、と、まあ普通に考えればそうなる。でも同一化の渦中にいる人間にはそんな正論というのは通じない。主観の渦の中に飲み込まれた思考の中で、狂ったように「それな」と叫ぶ。過去の自分に起きた由なしごとが頭の中を駆け巡って、わーーーーーとなる。こうなった人間というのは始末におえなくて、でもこの「それな」はどこか中毒性があって、歳をとるにつれて「それな」の閾値は減っていくけど、性懲りもなく、「それな」を求める民、というのは世の中に一定数いる、ような気がする。

 

映画『ジョーカー』を見た人たちの感想の中にも、「それな」の民による感想というものがままある。それらはもちろん個人差があるものの、要約すると「自分もアーサーのような立場になったらジョーカーになってしまう可能性がないとは言い切れない」というものが多いように見受けられる。

 

凡人でもなんとなく気がつくぐらい、世界が変わるスピードというものは信じられないような加速をしてきている。

ついこの前のプロジェクトXでは「大企業のエリート開発者がデジカメ開発で四苦八苦!男たちは立ち上がり、何十年ごしに商品化を実現した!」とかいってたのにこの2019年では高機能カメラを搭載した新型iPhoneが数年毎に新発売されていやーカメラが3つあると映えるわーと三角関数もよくわかってない消費者が超世界的巨大企業を礼賛するのが当たり前の風景になった。

凡人が何かを習得したり、ある分野について完全に理解をするのにかかる時間の総数というのはおそらくほとんど変わっていないのに、どういうわけか、世界が変わるスピードだけ速くなって、早くなって、はやくなっている。気がついたら人間の脳よりはやくものを考えるAIが表れて、私たち人間は、特に大きな利益の生まれない死んだブルーオーシャンのなかで従来の職人芸業務をRPA化するための人力調査班(実際に調査できる保証はない)となるか、既存の他と比べるとまだ人権を保障されていた労働をAI様に献上するか、AI様以下の待遇でのファスト・労働をキメていくかの選択を強いられることになる、のはきっとみんな、薄々感じている。

 

だから、アーサーの立場が「わかる」と言う。

経済的に困窮して、資本主義社会から「いらない」と言われて、存在がなかったことにされて、絞りようのないところをさらに搾取されるアーサーの立場。そんな姿に、未来の、逃げ切れたか逃げ切れなかったか不確かな自分自身の姿を重ねて「わかる」と納得するのである。

 

しかしながら、でも、でも本当に仮にアーサーになった私たちは「ジョーカーのおっさん」になり得るのか、と考えるとどうしても、私にはひっかかりが残る。

このひっかかりは、ジョーカーのおっさんが「救われちゃった」ときのあの衝撃に由来する。

 

 

 

人が「救われちゃう」ときとはいつか

 映画の前半→中盤→後半→エンド直前に渡り、劇中でアーサーあるいはジョーカーのおっさんは、自身と世界・社会とのかかわり方を微妙に変化させていっているように見えた。

 

アーサーがまだ善悪の価値観を持ち「ハッピーちゃん」として世界や社会から搾取されていた前半。このときのアーサーは、愚直に、誠実に、世界や他者とのつながりを求めている。

 

公共施設の雑然としたカウンセリングルームで、現場最前線の野良カウンセラーに語る「僕の話をきけ」。

マレーのトークショーの観覧席から「お父さんみたいな」マレーに自分を見つけてもらって、人々から称賛される夢想。

小人症の同僚が、太った自分よりがたいのいい同僚に揶揄された際にした同調のための大きな声の愛想笑いと拳銃を手渡されたときの強く断ることもできないへらへらとした表情。

 

しかし失業・投薬中止・暴行に対する過剰防衛による殺人・その殺人を「世の中が正当化」する、と様々な要素がつながっていく中盤では、アーサーはいびつな形でつながり始めた自身と社会とのつながりに薄ら暗い喜びを見出し始める。

 

殺人ピエロが取り上げられた新聞を立ち止まって見入る

街角のタクシーの中に、デモ隊の中に、自身と同じ「ピエロ」を見つける

それまでただ遠くから見つめるだけだったシングルマザーの女との人間関係の構築

老いた母親の口からきいた「本当の父親の名前」

意を決したライブハウスでのネタ披露とその後の思いもよらない反響

 

投薬中断の影響が冷蔵庫に入るといった奇行として発現しつつも、アーサーはまだ「社会とつながる」ことが幸せなことで、自分がそれまでずっと求めていたけどかなわないものであったと信じてやまない。しかしこの信仰は、自身の生い立ち(とおぼしきもの)が判明する終盤以降に一気に崩壊し、ここでアーサーの心象世界では、おそらく社会に生きる男アーサーとジョーカーのおっさんとの一騎打ちが起きる。

 

マレーのTVショーで自殺することによって、自身の中にいるジョーカーのおっさん共々に、「嫌いになれなかった世界」から潔く退場しようとしたアーサーだったが、マレーにはアーサーに社会から注目されて何かを成し遂げるための舞台を提供した覚えなんてさらさらなく、アーサーはそれに気がついて、マレーを、父親を銃で殺す。

 

そこからやっとのことでめざめたジョーカーのおっさんは、アーサーの弔い合戦と言わんばかりに世の中をめちゃくちゃにして、めちゃくちゃにして、めちゃくちゃにする。

ジョーカーのおっさんはそこでやっと満足して、そして最後のラストシーン、「救われちゃ」うラストシーンへとつながるのである。

 

真っ白い、おそらく精神病棟内のカウンセリングルーム。

拘束着を着たジョーカーのおっさんは、劇中でみたことがない、心の底から楽しそうな顔で笑っている。

自身が監禁されていて、これから耐え切れない苦痛を伴った刑事罰を与えられるかもしれないのに、不安は一切なく、楽しくて、楽しくて、笑いがとまらないという様子を、慈悲の表情を張り付けたえらく身なりの良いカウンセラーらしき妙齢の女が見つめている。

カウンセラーの女が、ジョーカーのおっさんに聞く。

「何がおもしろいの?」

 

それに対してジョーカーのおっさんはこう答えるのだ。

 

「お前にはわからないよ」

 

 

私はこの言葉を、映画の世界の向こう側から、こちらの世界から見た時に、あーーーーーーーージョーカーのおっさん、「救われちゃった」よーーーーーーーと叫びそうになった。

 

ジョーカーのおっさんは、心優しきアーサーでは到達できなかった世界へ到達したのだ。それは、善も悪も、社会も、世も、すべてを捨てて、自分自身の主観の中だけで生きる、という世界である。

不安がなくて、不満もなくて、納得していて、怒りもなくて、劣等感に苛まれることもなく、他者からの不用意な不確実な「意味づけ」からも解放される。あらゆる人として生きるための苦しみから解き放たれた世界のなかで、たった一人で生きる。これは、途方もない救済である。

 

この救済は、公共施設の、雑然としたカウンセリングルームの中にいた、非正規雇用の野良カウンセラーでも、身なりの良い、おそらく学会を牛耳る偉カウンセラーでも、ウェイン社の末端社畜でも、つるんでいキリ散らかすストリートクソガキでも、毅然としたシングルマザーでも、狡猾で太ったピエロ男でも、小人症の温かい男でも、デモ隊に囲まれた豪奢な劇場で、自分たちだけは助かっているなんて思いながらモダンタイムスを鑑賞する連中でも、自らの中の暴力性を発散させて暴徒化する市民たちでもなく、ジョーカーのおっさんにのみ降りかかる。この腐った世の中でたったひとり、アーサーという一人の人間の人格と一緒に一緒にすべてを―老いた母とのみじめだが穏やかな食卓を、凛としたシングルマザーの女を遠くで見つめる憧れの心も、小人症の同僚と育む人目を気にした友愛も、ピエロとして人々を楽しませるために生きるという美しい信条も―捨てたジョーカーのおっさんだけが解放されちゃうのである。「救われちゃった」のである。

 

 

ジョーカーのおっさんが「救われちゃった」あと、エンドロールで、ジョーカーのおっさんがよたよたと真っ白い精神病棟の廊下を光の指す方に向かって歩くロングショットで、私は頭の中に浮かぶ何人かの人たちに問いかけていた。

 

アーサー、あなたは本当は「救われちゃ」いたかったんですか、それとも。

 

ジョーカーのおっさん、「救われちゃ」うのはあなたの本当の望みだったのですか、それとも。

 

斎藤くん、元気ですか。今何してますか。ところで、斎藤くんは「救われちゃ」いたいですか?それとも。

 

私は、私自身は、本当に本当は「救われちゃ」いたいのですか。それとも。

 

 

救われちゃったひととそうでないものの間には、両者を隔てるための大きな川がきっと、流れている。さながら三途のなんたら、というところか。

 

拷問の果てに十字架と一緒にこの世界のすべての罪を背負って「救われちゃった」らしい誰か、と、痩せこけてボロボロになりながらも「救われちゃった」ジョーカーのおっさんの背中。その背中たちを呆然と見つめながら、川の向こう岸にいる私は、自身の背後に広がる途方もない地獄に絶望して、ただただ、川の向こうの二人の横に、まさか斎藤くんがいやしないか、と探し続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2種のチーズ入りパンという私

徒歩20分かけて来たヤオコーのパン売り場、おつとめ品30円引きシールが貼られたパンの中から、彼がおもむろに1つのパンを取った時に私は思わずあっ、と声を漏らした。


フランスパンのような硬めの生地、十文字に切られた中心には角切りのチーズが詰め込まれ、切り口から溢れたチーズはこんがりと焼きあげられて、パンの表面を覆っている。

 

小学生の頃の私は、このパンのことを《限界パン》と密かに呼んでいた。

 

密かに、というからには実際に声に出していっていたわけではない。
私が幼い頃から職を転々としていて、ついに職を転々とすることも諦めた父が、あたりまえのように無職になって。社会にも家族にも自分にももうすべきことなど何もないはずなのに、律儀に近所の24時間営業のスーパーの売り場で毎日毎日明け方に買ってきたのがこのパンだった。朝、食卓に乱雑に置かれていたこのパンをみるにつけ、私は誰にも気づかれないように頭の中で、あっ、また《限界パン》だ、と律儀に言って、全く手をつけずに家を出て、クラスに友達が1人しかいない学校へ向かっていた。

幼心に、《限界》なのはパンだけではないという強い確信があった。
働く母、薬を飲み始めてから少し落ち着いたもののまだまだ興奮するとその辺りを駆け回る落ち着きのない「なかよし学級」の弟、老いた祖母、どこからも誰からも必要とされていない父、クラスのどの仲良しグループにも入れない私。

その頃の私は、世の中には、誰も教えてはくれないけど、《限界》側の人間とそうでない人間がいる、と本気で信じていた。《限界側でない人間》にとって《限界》側の人間はいてもいなくてもわからないような「非人間」で、《限界》側の人間にとっては《限界側ではない人間》は「意味がよくわからないが、強いて言うならよく笑う生き物」で、両者が分かり合えることは絶対にない。稚拙な仮説を立てて、その稚拙な仮説になんとか納得をしていた。それと同時に、私は《限界》側の人間だけども、それをちゃんと「分かっている」ので、「大丈夫だ」と強く自分に言い聞かせてもいた。

 

 

 

 

 

また徒歩20分かけて家まで帰って、冷蔵庫の水出し麦茶を飲みながら、トースターにヤオコーで買ってきたパンを2つ乗せ、温めボタンを押した。

「ねえこのパン好きなの?」
と彼に聞くと、何も言わずうなづくので、そうか、と言って、ベットに横になってスマホをいじる。


《限界パン》が食卓に並び始めた当初ー当初なので私はそのパンが《限界》の象徴であるということをまだ認識していなかったーに、私は《限界パン》を食べてみたことがあった。

パンを包む弱々しいビニールは、パンから滲み出た油でベトベトしていて、じゃあ包装を剥がそう、とすると、粘着したバーコード付きの商品名シールやおつとめ品シールが邪魔でなかなかパンにありつけない。
やっと包装を剥がし、口に運んでみると、時間が経って硬くなったパンに歯を立てなんとか噛み切る羽目になり、噛み切った断面からはボソボソとしたパン生地とモソモソとした角切りのチーズが口の中に広がる。

 

 

端的に言えば、美味しくはなかった。

 

 

美味しくはないが、私はしばらくそのパンを食べていた。
そのパンをしばらく食べていたが、しばらく食べたからと言って、私がそのパンを美味しく感じるわけでもなくて、しばらく食べたからと言って、《限界父》や《限界家族》の状況が好転するわけではないということを察知した。私はそのパンを食べるのを一切やめ、《限界》という称号を与えた。そして、毎朝食卓に鎮座するそれを、父にするのと同じように、見て見ぬ振りをすることに徹した。

《限界父》は、それでこそ《限界父》たる所以なのか、自分が買ってきたパンが食卓で見向きもされないことをおそらく分かっていないようだった。私はそれを見て、どうやら《限界》間にも断絶というものはあるようだ、と悟った。親・子ども、男・女、かなり限界・それなりに限界。稚拙な厭世観はさらに強固なものとなった。

 

 

 

 

トースターから温めが完了した音がして、のそのそと起き上がり、温まったパンを皿の上に乗せ、座卓に運んだ。

彼は座卓の前にちょこんと座っていて、私にお礼を言い、私が隣に並んで床に座ると、ゆっくりと、あの、《限界パン》を口にいれた。

 

「おいしい?」

 

 

固唾をのんで見守っていることに、自分の体に力が入っていることに気がついた。
私は、彼に言っているのか自分に言っているのか、それとも昔の私に言っているのかわからない声をかけると、今私の隣にいる彼が、うんおいしいよと答える。

あのとき、あのヤオコーには、おつとめ品が貼ってあるパンは、他にも色々あった。砂糖がまぶされたツイストパン、クリームが挟まれたフレンチトーストサンド、ベーコンエピ、もち明太フォカッチオ。

そんな中からおもむろに選ばれたのがこの《限界パン》であった。私はあの時に《限界》と決めつけたはずのそれを、彼はおもむろに選んだのだ。意味がわからない。不思議だ。おかしい。気になる。

 

私は、彼にお願いをしてかの《限界パン》を少し分けてもらうことにした。

 

手でちぎられた限界パンを口元近くまで運び、少しためらう。
それでも恐る恐る食べてみると、温めなおしたパンの表面が歯に当たってカリ、っと小気味良い音がした。
温かくなったチーズは塩っ気があり、少し柔らかくなっているように感じる。パンの生地自体も、少し硬いような気がするが、気になる硬さではない。

しばらく咀嚼をして、そうして私はやっと納得して、言葉を発した。

 

 

 

「これおいしいね」

 

 


大学を卒業し、月給でサラリーする身分になってもう直ぐ三年が過ぎようとしている。
この三年余りの時間は、私はどうやら月給でサラリーするくらいしか金を生み出せないようだ、と言うことに気がつかせてくれたし、実際に見たり、本当か嘘かの伝聞の中で、40を過ぎた平凡なサラリーの男が直面する《限界》についての知見を深めるよい機会となった。

 

私の父は、おつとめ品の「2種のチーズ入りパン」は温めないと美味しくないということ分からず、まともな職歴を積まないまま転職を繰り返すことがどう言うことかもわからず、酒に溺れることがどういうことかもわからず、それなりに苦しんで生き、死んだ。

 

これから先の、私自身ー驚くような高さの生産性もなく変革の激しいこの世に提供できる価値を創造することもできない人間ーの人生について思考を巡らせようとすると、頭に浮かぶ言葉は《限界》の2文字以外見当たらないが、《限界パン》にも本当の名前があるように、《限界パン》でも家のトースターで温めれば以外と美味しくなるように、《限界パン》には《限界》なりの何かがちゃんとある…そんなことを思い起こしながら、生活を過ごしていくのがきっと凡人の人生なのだ、と漠然と思う。そう思う。


20時過ぎて、一斉に、続々と、数え切れないくらい、おつとめ品シール貼られるわたし達。ハイソな客はもうとっくに全員帰ってて、店内には2000年代のj-popが無限ループ。
《限界》といえば、それはそうかもしれないが、《限界》なりにもおそらくきっと、矜持はある、かもしれない。

自由律俳句

地下フロアを抜け出し、トイレの一室に駆け込んで、うずくまって床を見つめていた。明度の低い白熱灯で照らされた床に数本の陰毛と、陰毛のような毛質の長い長い髪の毛が一本、落ちている。

指の先から肘までの長さのそれを端から端まで目で追って、また床を見つめる。そうしたら、どうやら、くすんだリノリウムの床に何か、何かの液体が、てんてんてん、と垂れている、ということに気がついた。
営業達がいちいちめんどくさいからと施錠をしない、地下駐車場のセキュリティドアから良く侵入してくる、外部の変質者がまた撒き散らした尿だろうか。しばらく凝視して、そこでやっと、それがどうやら、ポツリ、ポツリと今、まさにこの瞬間にどこかから垂れ落ちている液体であることを認識する。あ、これってもしかしてと思い、膝を抱えていた腕を解き、手でぎこちなくアゴのあたりに触れた。幾分か濡れた感触があって、あ、私は泣いているのだなと初めてそこで合点した。

また腕で膝を抱え直し、しばらくそうしてじっとしていたが、そうしていれば何かがどうなるわけでもないので、立ち上がり、冷房が辛いからと羽織った作業着の袖で顔を拭った。
個室を出て、目前にある洗面所で手を洗っていると、前に貼られた鏡ごしに、地下駐車場の入り口から戻ってきた、隣の課の営業と目があう。
各フロアの両端にあるトイレは、いずれも男女並んで設置されていて、なおかつ、出入り口に近い方がかならず女子トイレで、遠い方が必ず男子トイレだった。どこのフロアも、同一だった。
私たちはトイレへ向かう時、鏡ごしに男性社員と目があったことは一度もないが、その逆は日常茶飯事である。
一瞬あった目をそらし、そうしていると営業はどこかに消えるので、鏡ごしに若い女と対峙する。血色の悪い顔色に、締まりのない口元。苦笑いをしようとしたが、顔の表面がうまく動かなかったので、仕方なく手短に手洗いを済ませ、ドライタオルで手を乾かした。

シロツメクサの墓

JR奈良駅徒歩6分のビジネスホテルで、(おそらく)ローカルの経済番組を見た。


市場の縮小から経営不振に苦しむ老舗企業を立て直した若き社長。社長は自社だけではなく市場全体のことを考え、現在自身の持つノウハウを活用した他社へのコンサル事業や、製品の共同開発にも力を注いでるという。

キー局の経済番組とおんなじような、落ち着いた色彩の、しかし幾ばくか簡素な造りのセット。いかにも秘書の女の人が着ていそうな、白い変な形の襟のスーツを着た女性アナウンサーと、なんかもっともらしいことを言いそうな眉毛が太く恰幅のいいおじさんが座るテーブル、中央に謎の空間を挟み、向かいのテーブルには若い社長と合間合間で解説を喋るおそらくVTRの取材を担当したであろう若々しい男。それらがテレビの枠いっぱいに、窮屈そうに収まっていた。

VTRと若々しい男がフリップを出してなにやら解説するのと社長の今後の展望を述べるコーナーが終わり、そろそろ番組が終わろうかという場面になって、眉毛の太いおじさんが「私がこれから総括をします」という神妙な面持ちで、ゆっくりと話を始めた。

「かわっていくということは、改革をするということは、必ずしも破壊をするということではないんですよね」

「何かを変えない人はそれに価値があると思っているから変えないのであって、でもその信じている価値がビジネスの世界では必ずしも「価値」であるとも限らないわけで」

「だから若社長さんのように、おんなじような立場で改革をして、現に成功をしている人しか言えない言葉、伝えることができる言葉というのはあると思う」

たしかこのようなことをおじさんは言っていたと思う。

かわっていくこと、という言葉が頭に引っかかって、テレビを消して、部屋を出て、エレベーターでフロントまで降りて、チェックアウトをしてからも、若社長の顔の輪郭や女性アナウンサーの変な襟の形は次第におぼろげになってなっていくというのに、その言葉だけがやけに頭に残っていた。




○○○○○○





奈良に向かう数日前に、ツイッターのタイムラインであるツイートを見かけた。



原文をママ引用すると、
『久々に会った親友が彼氏とのセックスと同僚の愚痴しか話さなくなっていて気持ちがだいぶやられてしまった、女子校の頃みたいに好きな魚とか米とか変なおじさんの話をしてくれよ、ねえ』。

これを見たのは、ちょうどヘボみたいな残業を終えて帰宅する電車の中で、華金からかあまり混雑していないいつもの路線の、最寄駅で改札に向かうホーム出口の近くに降りられるいつもの車両の、いつもとおんなじような席でそれを読んでいた私は、思い当たる節がありすぎて、げげげと顔を歪めるしかなかった。

例えば、先週大学時代の友達と行った大江戸温泉物語のサウナ室で、地下フロアの給湯室で、お昼を食べる地下フロアの休憩室で、コピー機の前で、地元の雑居ビルの地下にある鳥貴族で、駅前のデニーズのテーブル席で。いつどこで誰といようと私は、嫌いな先輩に暴言を吐いたことを武勇伝風に語り、女子社員のトイレの回数と時間を測ってくる既婚男性社員をディスる愚痴り、誰々は経営層の親族だとかいう噂話をし、軽蔑している上司が取締役の印鑑を勝手に使って稟議書を作成しそれを印鑑を『盗った』取締役本人に提出するという本当にあったおもしろ落語を披露し、会社の女子トイレには外部から侵入してくるスタメン3人の痴漢がよく出没するが、会社がなんの対策も講じないため『あそこはいける』という噂が立ちスタメンの数が増えたというすべらない話を提供した。それが最近の「わたし」だった。そういう、悲惨な限界集落で村から出ることもできず、やせた土地で田畑を耕し、たかが知れたわずかばかりの作物を収穫しながら、悲壮話や噂話をすることしかできない側の人間である自分に気が付いてしまって、顔を歪めた。虚しくなって、悔しくなって、しかし泣いたらいいのか怒ったらいいのかもわからず、途方に暮れながらげげげと顔を歪めたのだ。私は本当はもっと、化学の先生のおもしろモノマネとか、最近行った美術展の話とか、青い鳥文庫の若女将は小学生に最新刊が出た話とか、若女将は小学生の最新刊を図書館でずっと借りてる奴が誰なのかを推理してみた話とか、フィリピンでマングローブを植えていて気が付いたマングローブの根っこはまじで足に刺さると痛いという話とか、お遍路をしていて気が付いた、人間1日に楽しく歩ける距離12キロ説だとか、パンダのお尻って意外と汚いよねとか、そういう本当は誰も傷つけずバカにもせず恨みもせず、ウィットに富んだ、まあ話す相手が面白いと思ってくれるかは別としてもっと、そういう、そういうことしか話さない人間だったはずなのに。なのに、なのに、なんで、なんでこんなことになってしまったんだ。私は、わたしは、くそみたいな人間に変わってしまったの?

気が付いたら最寄駅についていて、改札を出ていた、出口を出て、二つ目の角を曲がるころには私の頭は愚かなので、ローソンで何味のチューハイを買おうかなという気持ちになっていたのだった。




○○○○○○○○○



二つ目の角を曲がった時にはもうどうでもよくなっていたはずのあの時の気持ちがいきなり蘇ってきたことに驚いてしまい、歩みを止めて、立ち止まる。

スマホで地図を見るふりをしていると、少し前を歩いていた恋人が、どうしたの、という顔でこちらを見てきた。

なんでもないという旨を口に出して、止めていた足をまた動かす。

奈良公園へ向かう、緩やかな坂を登る。
右手に淀んだ色のため池が見えた。岸辺に植えたばかりの柳の木が、鹿に食べられないように網で囲われて、暑い無風の空気の中で、だらんとこうべを垂れている。

左手にはこじんまりとしたお土産屋の商店が何軒も何軒も立ち並んでいた。
けれど、お昼時だというのに、ほぼ全ての店はシャッターが閉まっていて、開いているのは一軒しかない。バックパックを背負った外国人観光客や、軽装の観光客が、お土産屋の立ち並ぶ道を、唯一開いているお土産屋の店頭のおみやげに一瞥もせず通り過ぎていく。
真新しい白いシャッターと立派な習字で書かれた「〇〇屋」と書かれた看板が立ち並ぶ道を通りながら、私は、もう顔すらも思い出せない眉毛が太かったということしか覚えていないおじさんの声を思い出していた。

「何かを変えない人はそれに価値があると思っているから変えないのであって、でもその信じている価値がビジネスの世界では必ずしも「価値」であるとも限らないわけで」

きっとこのお店たちは、「変わっていない」し「変えない」のだろうなと思った。

でも一方で、「変わっていかれ」て「取り残された」んじゃないかなとも思った。

 「気が付いたら変わっていたんだよ」
「昔はこれでも商売になったんだ」
「気が付いたら変わってたんだよ、世の中が」

頭の中にそんな言葉が浮かんで、私は気味が悪くなり、怖くなり、悲しくなり、目の前に現れた鹿にすかさず「かわいいねー」といってスマホを掲げて写真を撮った。
 

○○○○○○○○○


帰りの新幹線は、京都から取っていた。

奈良から京都に向かい、お昼ご飯を済ませ、いくらか時間が余ったので、鴨川の沿いベンチに腰掛けて、しばらくぼんやりとした。

お腹がいっぱいで、日差しが強いから暑くて、でも水の音が聞こえるからなんだか心地いい。

いそいそと塗った日焼け止めに、じわじわと毛穴からにじみ出てきた汗が混ざってデロデロになっていくのを感じた。川の近くで地面を見ながらウロウロしている恋人をぼんやりと見つめる。

都市ではいつでもどこかぼうっとしていて、口数も少なく、同じ場所にずっと突っ立っていてもあまり苦ではありません、というような顔をする恋人だが、川や自然になると、ちょこちょこと落ち着きなく周りを歩き出すのがたいていだった。ある時はきれいな石を拾いたいとか、ここら辺にいつもいる顔なじみの野良猫を探したいだとか。そんな恋人を側から見ているとなんとも面白いので、私はそれがはじまるといつも遠くでながめているのだが、今回は「四つ葉のクローバーさがす」とだけ呟いて、ちょこまかと歩いて行ってしまった後ろ姿を、ぼんやりベンチから眺めていたのだった。

「四つ葉のクローバーをさがす」と言い出すくらい、鴨川沿いの原っぱは一面のシロツメクサで覆われていた。

群生の中で、いくつかのシロツメクサが揺れている。風で揺れているかと思ったら、たくさんのミツバチが、花の間を行ったり来たり、行ったり来たり、ただただそうしていた。

蜂が止まるたび、花がわずかばかりに揺れて、蜂が飛び立つと、花は茎ごと大きく揺れる。

蜂の数をいちにいさんと数えていると、恋人が遠くから、なにやら手をもぞもぞさせながらこちらへ戻ってくるのが見えた。

お目当てのものが見つかったのだろうか、と思っていると、私の前で一度立ち止まり、何か言いたそうな顔をした。

「なにどうしたの」

私がそう言うと、恋人はもぞもぞさせていた手元をこちらに見せてきた。

「これ作ったけどしっぱいした」

そこには額の近くの花びらが枯れかけているシロツメクサが、クタッとした姿で丸い円を描いていた。

それは、シロツメクサの指輪だった。

恋人は特に言葉を続けることなく、私の隣にストンと座り、もうこれ自分でつけちゃおーといって器用な手つきで自分の人差し指にシロツメクサを巻きつける。

その様子を横からじっと見ていると、綺麗でしょと花のついた自分の指を見せてきて、私がうんと言うと、おもむろに花の指輪を外し、立ち上がり、腰を屈めて、シロツメクサの原っぱにクタクタの指輪をそっと置いた。

「私にもつけて」

思わず声をあげていた。
恋人はかがんだ姿勢のまま、何も言わずに、大勢のシロツメクサのなかから花を一本を選んでつんで、またベンチに腰掛けた。

丁寧な手つきで茎をカーブさせて、カバンに入れていたキーケースから折りたたみ式のナイフを取り出して、茎に切れ目を入れる。切れ目に茎の先端を通した後、輪を作り、余った部分をくるくると輪に巻きつけた。

「できた」

一言言う。私が手を差し出すと、そっと指にその、今ほど作った指輪をはめてくれた。

「うまくできたと思う」
「そうだね、ありがとう」

自分の肌の上に、白い小さな花と、黄緑色の茎がちょこんと乗っかっているのをぼんやり見つめていた。そろそろ時間だから行こうと言われて、立ち上がり、しばらくそれをつけたまま歩いていたが、駅に向かうバスに乗るときに取って、バックの中に丁寧にしまった。



○○○○○○○○○


帰りの新幹線の中で、バックの中から、シロツメクサを取り出した。

花は萎れ、茎は輪の形を崩し変色していた。

死ななくてもいい花を死なせてしまったなと思ったし、あんなに綺麗だった指輪が、『変わり果ててしまった』とも思った。

横の座席に座っていた恋人を見ると、イヤホンで音楽を聴きながら、口を開けて寝てしまっている。

太くて短い首と、ちょこんとした鼻に滲む汗を見つめた。

今隣にいるこの人は、出会った時から変わったような気がするし、変わっていないような気もした。というかそもそも私はこの人のことを変わったか変わってないか判断できるほどのことを実は何にも知っていないし、分かってもいないような気もした。

私のような、恋人のような、閑散とした土産物屋街のような、私たちのような、特に特筆すべき点もないにんげんは、特に特筆すべき点のないシロツメクサの群生は、気が付いたら自分が変わったり、周りに変わられたりして、変わったり変わられたりそれを繰り返して、ある時誰かに摘み取られたり、踏まれたり雨が降らなかったりして、特に特筆されることなく死んでいくのだ、と思った。

変わることに変わられることに意味や価値を持たせることができるのはきっと「限られた」ものことひとだけであり、残念ながら私は「そちら側」ではないのかもしれない。私は限られた自分の周りで起きたミクロの話からマクロの真理を叩き出し、たかが自分の考えだけど、でもこれがマジで真理なのであると思い、納得したような、安心したような、そんな気持ちになった。




○○○○○○○○○○○○


家についたら、玄関先に荷物を置いて、すぐに庭に出た。

そこらへんに落ちてた木の枝で雑草の生える地面を掘り、手頃な穴を開けてクタクタのシロツメクサを入れて、埋めて、それを指輪の墓とした。私だけは、忘れないでいようと思ったから。頭に思い浮かんだのは、太くて短い首と、ちょこんとした鼻に滲んだ汗だった。

髪をおろした女の子のはなし

金曜日の池袋だった。

池袋西武沿いの大通りを、スマホの地図片手にのそのそと歩いているときに、横から、見知った声に囁かれた。

「今日上がる前給湯室よったらさ」

同じ部署の同期Yちゃんだった。いつのまにか隣に来ていたことに驚きながら、スマホをスーツの内ポケットにしまいつつ、潜めた声に倣って体をそれとなく、彼女の方へ傾ける。

少し先を行く幹事役が、スマホ片手に新入社員の集団を先導しているのが見えたり、見えなくなったりしていた。雑踏の切れ間から浮かんだり消えたりする、少しだけシワの目だってきたリクルートスーツの集団や、浮き足立った足取りが、どことなく視界からぼんやり霞んで行くような気がする。
彼女は前方の集団を一瞥すると、いくぶんか声量をあげて、続けた。

「大川さんに声かけられて」
「へーなんて」
「これからお出かけなのって。研修中の新入社員と懇親飲みですっていったらさ」

そこで彼女は一息置いて

「なんか、今度入ってくる子がどんな子なのか教えてね、って言われたわ」

はーと私は息を吐きながらついでに声を出して、しばらく間延びした声とも音とも言えない何かを発し続けたあと、早口でなるほどねとだけ続けた。

「こう言って来たのって実質さ、あの子のことじゃん。大川さんのところの部署に配属されるのってあの子だけだもん」
「まあそうだろうね」
「はいわかりましたーとだけは言っといたけど」
「正直めんどい感じじゃん」
「でもさー私やばいと思うんだよね、あの子」
「それは私も思うわ」

2人揃って、前方をそろりそろりとうかがい見る。
リクルートスーツの集団の中で、ぼんやりとした夢の中みたいな足取りで歩く1人の女の子、真っ暗な髪をうなじ近くで一つにくくった黒いスーツの彼女を見つめながら、私は、腹ただしいような呆れたような心配なような羨ましいようなそんな気持ちに苛まれながら、フラフラと覚束なく、慣れないヒールで、点滅する青信号に焦りながら、横断歩道を小走りでどうにか渡りきったのだった。




最初に違和感を訴えて来たのは、同じフロアの他部署の同期Rからだった。

「あの子、変わってると思う」

地下フロアのトイレは、白熱灯に照らされていてもいつもどこか薄暗く、閉塞的である。
3つ並んだ手洗い洗面台の、向かって1番右。女子ロッカーの1番近くの特等席で、しゃがれた声を出しながら、その子はサラサラのアッシュ系の茶髪に綺麗に映える、落ち着いたピンク色のアイシャドウを塗り直していた。

「あー」

矯正器の合間をぬって歯ブラシをゴシゴシとしながら、緩めた口の端から返答にもなれないような声を上げる。フロアに入っても挨拶らしきものを誰に対してもしないなとか、他の新入社員の女の子と口を聞いたりしないな、とか、いつもどこかすましたような、というか、クリッとしていつもブラウン系のアイシャドウで綺麗に縁取られた、でもどこか虚ろな大きな目とか、クリームがかった色白の肌に包まれたほっぺたはピクリともせず大抵はのっぺらぼうだとか、ツンと形の良い高い鼻が随分小ぶりなこととか、そういうことが走馬灯のように頭に流れてきて、なんとも言えない気持ちになった。

「よくわかんなさはある」

今自分に起こっている感情含めそのように返すと、あーねとだけ声が帰ってきて、トイレにしばらく沈黙が流れた。

あ、

沈黙の中、歯ブラシをシャコシャコしながら、あっと気がついた。鏡越しに彼女を見ると、彼女もあっという顔をしている。
2人で鏡越しにアイコンタクトを交わしたほんの数秒後、カッカッカッと、さっき気がついた音がさらに大きくなったのが聞こえた。誰かがヒールでこちらに歩いてくる音だった。

鏡越しに黒い人影を見る。

件の彼女だった。
黒い長髪をうなじのところで1つにして、白いタオル地のハンカチを片手に、こちらを一瞥することもなく個室に入ろうとしていた。

「お疲れ様です」

ほぼ反射のように声をかけていた。
お疲れ様です、と消えいるような声が彼女から帰ってくる。

「お疲れ様です」

Rも彼女に声をかける。
彼女は数秒、固まって同期の方を見たあと、少し肩を強張らせて、何事もなかったかのように個室に入っていった。

ほうほう、はーという顔をするRと一緒に
あはははという顔をしてトイレを足早に立ち去った。





4月が始まってまだそんなにたっていなかったころ、散りかけの桜を少しでも愛でたいと会社の近くの公園でご飯を食べていた時期があった。
どこからやってくるのか、普段はがらんどうな石畳の広場には何軒かの的屋が立ち並び、子どもや、近隣の大学生の集団らや、おじいさんおばあさんの集団らが、楽しそうに散りかけの桜が舞う公園を行き交っていた。

花粉症を極度に恐れるYちゃんはオフィスで食べたいというので、意図に賛同してくれたRと一緒に、桜並木から少し離れたベンチに座り、もそもそと家から持ってきたお弁当を食べる。
昨日自炊したご飯(チキンのトマト煮。オシャレすぎる)の残りを詰めたお弁当を食べるRが話してくる同棲中の彼氏とのあれそれを、なるほどなるほどお気持ちだ…と聞いていると、こちらに近づく人影があるのに気がついた。


「あっ、お疲れ様です」

Rと2人、どちらともなく声を出して軽く頭を下げた。

ああお疲れ様と返され、私も一緒に食べて良い?と続けられたので、もちろんですとRが返す。
ありがとう、と言いながら、近づいてきた人ー大川さんはベンチに腰掛けて足を組んだ。

大川さんが派遣社員だと知った時、私は結構な衝撃を受けた。
オフィスの女の情報をたくさん仕入れるのが生きがいみたいな男は、世にはそれなりにいるらしく、Rの上司はその手の人種らしい。会社にいるそんなに少ない女性社員が派遣社員か正社員か、ケッコンしてるかしてないか、リコンしてるかしてないか、カレシはいるのかいないのか、といったおおよその情報をRは上司からくどくどと叩き込まれ、記号じみた情報たちはちょうど去年のGW明けくらいから私とYちゃんのもとにもRの口からポツポツと流れてきて、2人で都度驚いたものだった。

大川さんは、幾らか肉付きのいい、でもいかにも秋田美人というような品のある佇まいをした少し年配の女の人だった。
いつもは優しいし、なんでも知ってるし、質問したら丁寧に答えてくれるし、色々な気配りをしてくれるし、でもその気配りが態とらしくなく、偉いおじさん達から絶大な信頼を得ているのだけど、たまにふっと冷たい目をすることがある、そんな人だった。
Yちゃんは大川さんのことが割と苦手なので、タイミング良くてよかったな、なんて人のことを考えていたら、すでに始まっていた大川さんとRの会話を聞き逃していた。

「ね、でさ!かしわぎちゃんはどうなの?」
「えっ?」
「だからさ!彼氏いるの?彼氏!」

えっ割とパーソナルな話を席ついて僅かの間にしていたの?と驚いてしまい、Rの方を見る。Rは以前大川さんに彼氏との話をして痛い目にあったことはなんとなく聞いていた。案の定、なんとも言えない表情をしていたので、あらかたのことを察し、どことなく様子を伺うことにした。

「あはは〜」

笑ってごまかしていると、視線が少しだけきつくなった気がして、なるほど、なるほどねと思う。
視界の端を昔懐かしいキックボードを走らせた子供が横切る。

「えっ、なになに?言わない感じ?」

普段のおっとりな喋り方とは違う、早口でまくしたてるようなその姿に、確信の情報を与えず周辺のどうでも良い情報を小出しに与えて服従を見せた方が良いと直感した。仕方なく今付き合っている人の話を適度にぼやかしながら、二、三する。

「うらやまし」要素が発生することはすなわち地雷のような気がしたし、聞いたらすぐ他の人に話したくなるような「おもしろ」要素があることもはばかられるような気がした。
結局、ぼんくらな男と月一で会う彼氏のことはそんなに好きではないよくわからない不思議ちゃんな女、という設定で情報を提供したところ、大川さんの興味はこの場にいないYちゃんの色恋沙汰の有無になり、Rと2人で適当にYちゃんの話をごまかした。

しばらくしてタバコを吸いに立ち去った大川さん背中を見つめながら、Rと2人でどちらからともなく言い合う。

「うちら、あれが、あれで正解だよね?」









幹事役のセンスが冴え渡っていたのか、歓迎会の店はとても良い雰囲気の隠れ家バルだった。
二階席がワンフロアぶち抜きのロフトみたいになっていて、大人数でもくつろげそうである。
行きの電車でそれとなく決めた席順で新入社員を並べ、間に同期達が座る。

女性の一般職くくりである私とYちゃんと彼女の席はもちろん近い。
私とYちゃんが横並びで、机を挟んで前が彼女、そして、彼女の横にはRが座った。

酒が入ってくると、各々限度を超えない程度に好き勝手なことを言いはじめる。
調子に乗り始めた数名の子達をはいはい、と見つめていると、幹事の同期がいきなり会社の闇話をぶっ込んできた。

「てかさ!みんな知ってる?!あのさ、ほら下村さんの話!」

うっわまじかよこいつというお気持ちを露骨にだしたRの顔が面白すぎて少し吹き出してしまう。キョトンとしている新入社員に、Yちゃんがやれやれとたりない言葉を補う。

「ほら広報の女の人、いるでしょ、下村さんってその人のことだよ」

以外にも、Yちゃんの言葉に一番はじめに反応を返してきたのは彼女だった。

「あっ、知ってます。社内報とか出してる人」

それまでずっと黙っていた彼女が声を発したことに少しだけ驚く。顔は相変わらず強張っていて、目が虚で頬がひくりとも動かない。

「そうそう、その人がね、まー得意先のね
社長の令嬢なわけよ。あー、まーそんでさ」

Yちゃんはポツポツと下村さんの武勇伝を語り出す。あまりにもあまりにもな数々は
私たちが体験したことでもあり私たちじゃない誰かが体験したことでもあったが、各々の話はまま刺激が強く、どこのメロスでも激怒するような邪智暴虐さがあった。ロフトにいた面々はしばらく沈黙してしまい、バルの喧騒がどこか遠くに感じられた。

「ま、うちの会社はね、そういうなんていうの?コネが多いからさ、そういうのは気をつけたほうがいいよ、意外な人間が実は力持ってたとかあるあるだからね」

Yちゃんが締める。

しばらく沈黙が続いたが、気を利かした体育会系の新入社員が、自分のサークルにいた理不尽な先輩の笑い話をして場を和ませる。
マジであいつ空気読めねえと話の発端となった同期の幹事に呆れたの視線を向けるRをまあまあと視線でなだめていると、向かいの席の彼女が、ポツリポツリと近くの席の私たちにだけ聞こえるような声量で、口を開いた。

「そうですよね、会社っていろんな人がいるんですよね」

それは自分に言い聞かせているような言葉にも、私たちに対する同意を示す言葉にも、社会に対する服従を表す言葉にも聞こえて、私とYちゃんはじっと彼女を見つめる。

「なんか、配属されたら、オフィスカジュアルでいいよ、とか、就活じゃないんだから、そんな硬くならないでとか、言われるんですけど」

言葉を選ぶように、探り探り話す姿は、非常に見覚えがあった。私にとっては、人ごとではない。

「髪の毛とかも、本当は、おろしたいな、とか思ってて、ははは」

そこまで言って、彼女は少しだけ、はにかんで笑った。のっぺらぼうだった頬が少しこんもりと盛り上がって、虚な目が、一瞬、細められて、小さい歯が口から覗く。
可愛い顔だなと、私は思った。

「いいじゃん!いいじゃん!」

RもYちゃんも私も、誰からともなく言い出していた。

「おろせばいいんだよ、好きにすればいいんだよ。本当ね、大人って意外とみんな好き勝手やってるんだから、髪下ろすくらいいいんだよ、自分の似合う格好、自分の好きな格好すればいいんだよ!」

気がついたら私はアホみたいに饒舌にそのようなことを割と大きな声で口に出していた。

彼女は少しびっくりした顔をした後、また顔を強張らせて、そうですね、と言って、少し俯いたのだった。








歓迎会が終わった次の日の朝、デスクに座ってダラダラとメールを見ていると、誰にも挨拶せずフロアに出勤してくる彼女を見かけて、あっと思った。

おろした長い黒髪が、少しシワのできた黒のリクルートスーツにサラサラと揺れている。

いいじゃんいいじゃん。
そう思った。彼女は誰にも挨拶をすることなく、研修室に音もなく滑り込んで行く。

私は保温マグからティーバックでいれた紅茶をすすすと飲む。

いいじゃんいいじゃん。

大川さんのことも、下村さんのことも、記号大好きなRの上司のことも、全てが遠のいていくのを、嬉々として感じていた。

すみっこにいた女児のはなし

十代の終わり、インターネッツでこんな言葉に出会った。

 

「学校のクラスは社会の縮図だ。ここで馴染めなかったりパッとしなかったりするやつは、いくつになっても、何をしてもダメだ。」

 

ガラケーの狭い画面上に浮かび上がるその言葉を見た瞬間、わたしの中に膨大な量のイメージがあほみたいに流れ込んできたのを今でも覚えている。

 

1ねん3くみ、2ねん3くみ、3年4組、4年4組、5年2組、6年2組、1年6組、2年7組、3年6組、1年5組、2年6組、3年6組

 

給食袋と音楽バックが下げられた机の群れと大繁殖したモクモクの苔の中で気まずそうに泳ぐやせっぽちのメダカがいた水槽、あるいは、手作りのフェルトのお守りがぶら下がったななめ掛けのエナメルバックが乱雑に転がる足の踏み場もない床とむんわりと香るいろいろなシーブリーズのにおい、あるいは、チャックの空いた化粧ポーチがひとつふたつとならぶトイレの流し台と人名を伏せたひそひそ話。

 

いつだってどこにいたってなにをしたってわたしはずっと「かしわぎさん」で、どんなにおれたちさいこうな〇年〇組が様々な行事を経てよりいっそう最高の仲間たちとなり団結と絆を育んだとしても、わたしはずっと「かしわぎさん」で、いつだってわたしは教室のかたすみで数少ない友達とひっそり大喜利大会をして、わらって、わたしはほんとうは面白いニンゲンなのになあとおもって、おもうだけしてて、でもずっとわたしは「かしわぎさん」だから、友達が休んだりするとどこにも居場所がなくて、図書室に行く、いつだってどこにいたってそうだった。

 

いつだってそうだったけど、でもわたしは、人生というものは、それなりに努力して勉強をし、それなりに準備をコツコツとしていけば、いつかそれなりの真人間になれるかもしれないのである、などとも思っていた。真人間にさえなってしまえばこちらのもので、わたしはいつか、「この世の中にはこれっぽっちもみじめなことなんてありません」という顔で生きていけるのだ、なんて思うと、どんなみじめなことも大したことはないなどど思い込めた。わたしはたいへんにしあわせものだったのだ。


だから、その言葉を見たとき、怖くなった。

わたしは「今は」みじめで不幸せだけど、「これからも」ずっとみじめで不幸せなのかもしれない、ということに気がついてしまったから。


教室の隅が、いつしか講義室の隅になって、オフィスの隅になって、そして私は地元の隅の、築50年のオンボロ実家でじっと縮こまりながら、歳をとって、親は死んで、一人ぼっちで、もう大喜利をする相手もいなくなって、間の抜けたとんちを壁に向かってつぶやき続ける。

そんな未来は簡単に想像でき、そしてそんな未来はとてもとてもしっくりきたのだった。全部が全部どうでもよくなってしまった。

わたしは一気に自分はもしかしたらとても不幸な人間なのかもされないということに思い当たってしまったのである。







初めてその子と話したとき、なんだかよくわからない人だなと思った。


新宿のワイアードカフェ。先に座って待ってたその子は、気まずそうに背を縮こまらせて、アイスカフェラテを飲んでいた。


あ、あの、はじめまして、

ワタワタと着席しながら私がぎこちなくモゴモゴと話しかけると、同じようにその子も


あ、はい、どうも

とだけ言って、こちらを一瞥だけしてまた背を縮こまらせた。



友達の紹介だった。感性が面白い男友達がいるので、会ってみない?とても気があうと思うよ。と勧められ、数回LINEのやり取りをし、会ってみることになった。


キャベツ 千切り トントントン


事前に、面白い人なんだよねというフリでその子のツイッターのホーム画面を見させられてた。

つぶやきやリツイートがほぼ無く殺風景なそこには、キャベツ 千切り トントントンとだけ浮かんでいて、それを見て、わたしはなんだかまだ会ってもいないくせに、とたんにその子のことが好きなってしまったのをなんとなく覚えている。


ワイアードカフェでは特に会話が盛り上がることも続くこともなく、雨の新宿をあてもなくさまよい歩いて、そのまま流れで映画館で『ズートピア』を見て、照明暗めのお手頃価格のおしゃれ和食ダイニングみたいなところでご飯を食べたけど、そこでは特に感想を言い合うこともなく、ご飯食べ終わると同時にすぐに解散した。


そこからなんとなくその子との交流が始まった。


交流というか、交流というほど何かを話したりだとか打ち解けようと何かアクティビティーを行ってみたり、なんてことはなくて、適当に場所を決めて集合して、フラフラと歩いて、歩いている最中に彼がよく分からない間の抜けたボケみたいなことを言ってくるので、私がそれに同じく間の抜けた感じに返答をして、お金がないのでウィンドウショッピングをして、無印良品に立ち寄って、映画を見て、ご飯を食べて、帰るということを月に2回くらいやる。そういうことがしばらく続いた。


それで、いつだったか、何回めかのそういった交流で横浜の回転寿司屋に立ち寄った際に、ずっと黙って生海老と甘エビとエンガワばかり食べていたその子は、ああそういえば思い出したなぁという感じにポツリポツリと私に自身の話をし始めたのだ。


小学生の頃とかさ、何か覚えてたりする?という枕から

親が転勤族だったため、小学校は3度変わった。

最終的に九州の外れに一家は居を構えて落ち着いた。

小学生の頃は今以上にぼっとしていた。

お昼休みの時間、クラスには「クラスの子どもみんなで外に出て全員で遊ぶ」というしきたりがあったのだが、自分は外で全員で遊ぶということがとても嫌だったので、昼休み毎に図書室に行き、司書の年配の女性と、クラスの隅っこにいた女の子と本を読んで過ごしていた。

中学から陸上を続けていて、高校でも陸上部だったのだが、年頃の男子が集まると必ず始まる「クラスの女子の格付け大会」が苦手で、それが始まるたびにそっと席を外して一人になっていた。


それらの話を淡々とその子は話していった。恥ずかしそうにも、気まずそうにも、後ろめたそうにも見えなかった。話の合間合間にその子は流れてくる海老をとって食べ、わたしはサーモンをとって食べた。サーモン取って食べ、話聞いて、カンパチをとって食べ、お茶をすすりながら、わたしは不思議な心地になっていた。


それは最初、既視感たった。

しかしその輪郭は非常におぼろげで、この既視感はなんなのだろうなどと思っていると、徐々にゆっくり、ゆっくりと頭の中にまた、例の、例のあのイメージが駆け巡ってきたのである。


給食袋と音楽バックが下げられた机の群れと大繁殖したモクモクの苔の中で気まずそうに泳ぐやせっぽちのメダカがいた水槽、あるいは、手作りのフェルトのお守りがぶら下がったななめ掛けのエナメルバックが乱雑に転がる足の踏み場もない床とむんわりと香るいろいろなシーブリーズのにおい、あるいは、チャックの空いた化粧ポーチがひとつふたつとならぶトイレの流し台と人名を伏せたひそひそ話


わたしは、そこでようやく、いま目の前で海老ばかり食べているこの子はきっとわたしに違いないと、そんなバカなことを自分が感じているのだということに気がついた。

この子はきっと男の子として生まれたときのわたしである。たしかに私はその時、そう感じた。


そう思ったらとたんに、わたしは行ったこともない九州の外れの、公立小学校の老朽化した校舎の別館で『エルマーとりゅう』を読んでいた。あるいは陸上部の更衣室のロッカーから足早に立ち去ろうとミズノのシューズを乱暴に脱ごうとしていた。あるいは、あるいは。


たくさんのあるいは、が頭の中に注ぎ込まれてきて、わたしは一人でアタフタした。あわてて醤油皿の小脇にあったビールをぐぐぐと煽る。

アルコールはいい具合に精神を落ち着けてくれて、心拍数がトクトク、と静かに早まるのを感じた。心地が良い。心地が良かった。


学校のクラスは社会の縮図だと誰かが言った。なるほどたしかに、この社会というものはいじめっ子もいじめられっ子も、頭でっかちな優等生も、噂大好きスピーカーも、凡庸な傍観者も、スケープゴートも、多数決も、運動会も、合唱コンクールも、文化祭も、お遊戯会も、お楽しみ会もある混沌と悪意と善意と感情に満ち溢れた世界である。


でもきっと、例えば怒号が飛び交う合唱コンクールの練習をふと一緒に抜け出して、校舎の隅っこで大喜利をしあえる相手が、そんな相手が誰か一人でもいれば、人生というものはとても幸せなのかもしれないなと、思った。


ひどく救われたような気持ちで焼きハラスを食べた。サーモンの寿司は美味しい。サーモンアボカド巻きも美味しい。サーモンユッケ軍艦も美味しい。


悪くないじゃん、案外、人生。悪くないのかもしれない。

アルコールで浮遊する頭の中でたしかにそう呟く声が聞こえた気がした。