斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL2年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

『魔女の宅急便』からみる13歳の就活

魔女の宅急便、今見ると趣きが全く違います。

これは、13歳の女の子が歯を食いしばって就活して、自分で生きていこうとする話です。今の私にはそう見えました。以下、感じたことのメモ。

 

 

 

 

 

 

1.「空を飛ぶしか能がない」

 

 

 

「空を飛ぶしかできない」という言葉、物語の至る所に登場します。

 

旅立つ前、実家のお母さん(魔女)が病気のおばあさんに薬を作ってあげながら、「あの子(=キキ)は空を飛ぶことしかできないから」

 

旅立ちの夜、出会った先輩魔女が一言。

「私は占いができたからなんとかやっていけてるわ。あなた特技ないの?」

に対してキキ

「私は飛ぶしか能がないので」

 

後半、魔法の力が弱まり空を飛べなくなったキキが一言。

「私は修業中の身です。空が飛べなくなったら、本当に私ただの能無しになっちゃう」

 

魔女の中では「空を飛べること」ってあたりまえなんですよね。出来てもプラス加点はされないけど、かといって出来ないと大幅なマイナスになる。

だから、「それしか能がない」とか、「それしかできない」と卑下の言葉をつけないと、特技として話せない。し、出来なくなったら「こんなこともできないなんて本当に能なしだ」と必要以上に落ち込んでしまうんでしょう。

キキや魔女たちにとって箒で自由に空を飛ぶということは、特技なんて言えるほどのものじゃない(と思ってる)んです。

 

一方で、魔女が一切いないコミュニティ、大都会コリコでは、キキの空を飛ぶ力は賞賛の的となります。

 

「あんたすごいじゃない!気に入った」とキキの力と人柄を気に入ったおソノさん。

 

空を飛ぶことを夢見ていて、実際に空を軽々と飛んでしまうキキに関心を持つトンボ。

 

キキの箒にわくわくしてまたがって、こっそり真似をする「コスモス色」の服を着たおばばさん。

(冒頭で魔女の黒い服を初めて着たキキが「コスモス色ならいいのにな」とむくれるシーンとの対比かな?)

 

これってようは、フィールドによって自分の能力は「特技」にも「それしか能がない」とも言い換えられるということだと思います。

 

 

ここで、就活でお馴染みの質問事項「あなたの強みはなんですか?」

 

強みとか知るかよ、ただの普通のバイトと授業とゼミに明け暮れるJDだわって、これまでは思ってました。ですが、キキの姿を見て、そんな私にもフィールドを変えれば(=視点を変えれば)自分じゃ気がつかなかった特技や能力に気付けるのかなって

 

 

 

 

 

 

 

 

思うわけないじゃん!!実際何もないわ!ぼけ!

 

 

 

 

 

 

2.「コミュ力を持ってしても避けられないクソとのエンカウンター」と「1人ですべてを背負う覚悟」

 

 

冒頭の田園風景から一転、大都会に転がり込んだキキにとって、毎日は驚きでいっぱい。そしてなんとか適応し渡り歩いていくのに必死です。

 

もともと、お母さんの作る薬を買いに来たお客のおばあさんに愛想よくハキハキ挨拶できたり、旅立ちの見送りに友達がたくさん来ていたことからコミュ力の高さを見せつけていたキキ。

 

しかし、1人で世の中を生きていくって愛想とコミュ力という大きな武器をもってしても難しいんだなと。それが新しい環境なら尚更で。

 

どんなにコミュ力があっても、愛想良くしても、嫌なやつや理不尽なこととのエンカウンターって避けられないんですよね。働くってなったらそれはなおさらで。

これまでは、そのエンカウンターを親や周りの大人がある程度一緒に引き受けてくれたけど、これからは1人で背負わなければいけないんだなぁって。

 

 

 

 

 

生意気なニシンのパイの少女の配達の帰り、雨に濡れ熱を出してしまったキキ。

翌朝おソノさんがあったかいミルク粥をもってきてくれて、しばらくキキの様子を見た後店番に戻るため、立ち去ろうとする。

「おソノさん」

ってキキは呼びかけるけど

「……ううん、なんでもない」

 

ってすぐに言葉を切るんですね。このシーン多分、「もっと一緒にいて」って言いたかったんだろうなぁと。

 

昨日頑張って配達したのにこんな嫌な客がいて、腹が立って、しかも雨にも打たれて、パーティーにも行けなくて、熱でダルくて、とっても辛い。

 

って言いたかったんだろうなぁって思って、胸を打たれました。どんなクソなことやクソな奴に会っても自分で消化して乗り越えなきゃいけない、人には頼れないし頼らない。キキのそんな覚悟が見えた気がしました。ここすごいジーンとした。

 

 

 

総括すると魔女の宅急便ってすごい話ですね。思春期の話と宮崎監督は言ってましたが、どっちかっていうと思春期の子(第二次性徴期の開始から終わりまで)よりは、社会に出る前の、独り立ちする前の青年期の人の方が胸にくるものがあるんじゃないかなー。

 

独り立ちの過程として、私たちには就活があり、キキには修業がある。

 

そんなことを考えながら、ぼんやりとテレビを見てました。

 

 

 

 

 

 

三浦海岸に沈む夕日をみたくて猛ダッシュした話

トピック「年末年始の風景」について

 

分かる人はあれ?と思うタイトルです。ですが、今しばらくお付き合いください。

 

先日、大晦日にみさきまぐろきっぷを利用して横浜→三浦海岸→三崎口→三崎港という日帰り小旅行を楽しんできた。

 

横浜⇆三崎口京急線代+京急バスフリーパス+食事券+レジャー施設利用券ついてお値段2960円スペシャルおとくなみさきまぐろきっぷ。前々から気になってはいたものの、ついに今回使う機会に恵まれたので、撮った写真に簡単な文章を添えてルポっぽく発信したいと思う。

 

 

10:00に横浜の京急中央改札の前で待ち合わせ。

だがまさかの相手が迷ってしまい。お互いに券売機できっぷを買い、各々改札を通ってホームで合流することに。青春18きっぷ的な感じで、お客様センターみたいなところで買うのかなと思ってたから結構びっくりした。

 

そこから快速に乗り三崎口方面へ。途中YRP野比駅??!!って駅名に驚愕しつつ、とりあえず三浦海岸へ。綺麗に言えば、めちゃノスタルジーな、無骨に言えばちょい寂れた昭和っぽい街並みをテクテク歩いて、まずは腹ごしらえ。

 

廻転寿司 海鮮さんへ行った。

 

文句なしに美味しかった。写真撮るの忘れるくらい。

まぐろきっぷ出すと問答無用でセットを出してくれたんだけど、まぐろ5貫(大トロ?中トロ?赤身?謎の美味しいところと焼いたまぐろ)、イカ×2、ハマチかイナダ×2、白身魚×2と謎の軍艦っていう計12貫。

 

他のランチセットメニューの相場が1000〜1500円くらいだったから、このお寿司だけできっぷ代の半分を占めていることになる。恐ろしや〜

 

たらふく食べた後は歩いて三浦海岸へ。神奈川だからって思ってたけど、信じられないくらい海の水が綺麗でびっくり。浜辺歩いて、カモメ追いかけたりした。

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海が綺麗。あと大根がずらーーりと。圧巻。

海の家の残骸、波に乗ろうとしてるサーファーがちらほら。冬の海って平和だなー。パリピッピしてなくてホッとしました。

 

三浦海岸でぐだぐだした後は三崎口へ。そっからバスに揺られ20分。

 

レジャー施設利用券使うために、遊覧船?にじいろさかな号が出る船着場へ

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にじいろさかな号です(虹色じゃない※借り物画像)

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これに乗ってしばらく城ヶ島方面まで遊覧。船底がガラスになってるので魚が間近で見えたり。かもめがいっぱい寄ってきて可愛かったり。和みました。

 

40分で遊覧がおわって、海に沈む夕日見たくない?!となる。城ヶ島かで悩んだんですが、三浦海岸がすごく素敵だったので、また戻ってみようということに。

 

この時の時刻が15:55くらい。日の入りが16:35なので、とても際どい。

 

大急ぎで三崎口までバスで行き、京急にのって三浦海岸まで戻る。そして、三浦海岸駅からは走る走る走る!

 

 

そして、私たちはついに16:30に三浦海岸へ到着した

 

 

 

 

 

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って、ここ東海岸やないかーーーーーい!

 

一気に疲れが。そして大笑い。

 

皆さん、三浦で夕陽を見たければ、大人しく城ヶ島へ行きましょう…

 

 

 

 

 

のぼうの城で上地雄輔という怪物を見た

あえてSMAPではなく、その裏で放送されていた『のぼうの城』について書きます。てか、石田三成を演じていた上地雄輔に戦慄したことについて書きます。

 

 

まず簡単なストーリーのあらまし

豊臣秀吉が天下統一目前

→最後に関東の北条氏攻め落とすぞ

◉天下の豊臣氏vs北条氏とその子分領主たちの構図が出来上がる。決戦の地は小田原城。子分の大将たちはみんな小田原へ駆り出される。

北条氏の子分の城の一つ(野村萬斎一族の城:忍城in埼玉)の討伐を任されたブンシャカ

→やっべ!チャンス来たわ!親方様みたいに俺もカッコよく憧れてた水攻めでガンバンベーしたいわ!

◉しかし、(萬斎一族の当主:古畑任三郎の西園寺くん)は多勢(豊臣2万)に無勢(萬斎500)と判断。小田原行くふりしてこっそり豊臣に下り開城の意思を伝える=北条裏切る

◉その旨聞いたお留守番役萬斎「やっぱ無理だよねーわかるわー」と一旦は開城を受け入れる。酒盛りして三成待つ。

◉しかしその降参に対し

 

「もっと熱くなれよ!」気に食わなかった上地雄輔が使者を使ってわざと萬斎を怒らせる!

(萬斎といい感じの姫寄越せと言われ、萬斎ガンおこ)

 

→怒った萬斎、無謀にも開戦宣言

 

とまあ。なんやかんやありつつも結局は多勢に無勢どー戦ってくの?っていうのがこの話の大きな骨格となります。 すごい既視感!ってわけでストーリーの基本プロットは単純で、古今東西使い古された日本人大好き下克上物語なわけです。

 

んで、この作品、

野村萬斎さん面白い〜変だけど愛されるキャラクターを熱演してる〜

とかいうのが主な感想だと思います。ですが、私的には

 

「え?なんであんな奴が人気者なの?」

としか思えなかった。なおかつ

 

「え?そこでキレちゃう?そこは譲っちゃう?そこは怒らないの?そこは許すの?」

 

っていう????な言動が彼には多すぎて…

なんかさ、一貫性がないんですよね、萬斎。だってさっきまで「豊臣とか無理だよね〜」とかいった次のシーンで姫とられるって聞いて「戦いまする」とか言っちゃうし。

開戦前、領内の者たち鼓舞しようとお立ち台に上がって「みんな〜(開戦することになって)ごめ〜ん!」ってテヘペロしたかと思えば、今さっき息を引き取った父親(平泉成)のこと思い出してぐだぐだ泣き姿(でも泣いてはいないの、変な顔してるだけ)晒し。

たかと思えば、領民の「がんばれ〜」って掛け声に秒で笑顔になったり。

 

え?気分の切り替えと意思決定の切り替え早すぎじゃね?怖いんだけど?

っていう感じでまるで共感も愛着もわかないキャラクターでした。のぼう様。

 

 

それに引きかえ、ブンシャカ様いや三成さんはね全然違いました。

なんかね、彼は彼で正直バカなんですけど、バカなりに真っ直ぐだし一貫性があるんですよ。萬斎にある意味不明さとか????なところがないんです。狂気がないんです。

 

映画の冒頭、秀吉が鬼アツい敵相手に壮大な水攻めかまして豪快に破るってのを三成が見てて「わー最高にカッケー」っていうシーンがあります。

この「カッケーーー」こそ、三成の根幹にある一貫性なんですよ。おそらく彼の一貫した軸は単純明解。

 

アツーい男と、アツーい戦して、最終的には自分の圧倒的力を行使して水攻めしてカッケー錦飾る

 

ほら、もうビックリするくらい単純。

でも、だから、この「カッケー」があるお陰でこのお話って成り立ってると言っても過言ではないと思うんです。

 

 

だってねえ。2万対500ですよ。普通に考えたらね、そんなの秒で勝敗がでるに決まってるじゃないですか。お話なんて、小説なんて、映画なんて作る余地もなくあっけなく終わる雑魚戦になるに決まってるじゃないですか。でも、現に映画がここに存在して、多勢に無勢が健闘するというスペクタクルな話が成立するのは何故か。

金と力にかこつけて汚い手使って、小国のでくのぼう萬斎を捻りつぶすことなんていくらでもできるはずなのに、三成はそれをしないからです。じゃあ、なぜそれをしないのか、それは「カッケー」じゃないからです。

 

「カッケー」に踊らされ、萬斎に翻弄される実直水攻めバカな石田三成。映画の中盤で、三成に与えられたそのキャラクター性に気がついた時、

 

私は戦慄しました。

 

 

これ、上地雄輔氏のイメージそのままやないかーーーい!!!!!

 

 

まんますぎですよね。適任にもほどがあります。

 

なんか彼に対する批判も聞いた気がしましたが、ちゃんと台詞言えてたし、ヒゲにあってたし、鎧兜似合ってたし、よくないですか?私は上地雄輔石田三成、とても好ましいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉橋ヨエコさんって知ってますか?

 

倉橋ヨエコさんが大好きだ。

 
 
ヨエコさんの作品はとても独特である。
第一に、メロディラインがなんか変だ。
変なところで盛り上がり、盛り上がりに従って音程は中途半端に高くなって(あるいは極端に高くなって)、フレーズがおさまるところでは音程が下がりきらず変な高さでふらふら低空飛行をする。(一例:『椿荘』『蛙の歌』『部屋と幻』)
だから、彼女の書くメロディラインはとても不安定で掴み所がない印象をうけやすい。し、メンタルが不安定なメンヘラの耳と親和性が高い。
 
第二に「歌声が下手(に聞こえるようにわざとしている)」だ。
誤解がないようにいうと、断じてヨエコさん、歌が下手なのではない。だが、曲を聴いてるとなんかすごく「下手」に聞こえる時がある。『梅雨色小唄』とかは綺麗で誰が聴いても「上手く」聞こえるだろうから、多分わざと彼女はわざとそうやって聞こえるように歌ってるんだと私は思っている。
何がどう「下手」なのか。音程とリズムの取り方がめちゃめちゃなのだ。カラオケ測定マシーンとかで測ったら音程上がりきってないです、とかリズムあってないですとか言われちゃいそうなくらい、型にピッタリとはまってない。感情の揺れ動くまま、思うままに声を張り上げ、歌い上げている。叫ぶように。泣くように。駄々をこねるように。
カラオケ採点歌手の某.Jとは正反対なのである。
 
第三に、歌詞が独特だ。
同じ言葉を繰り返したり(『夜な夜な夜な』『不安のお山』)、シャバダバシャバダバ言ったり。
ポップでファンシーな忌み節から、キラキラスイートなストーキング妄想ラブポエム、ドロドログズグズの嫉妬の叫び、お布団をしくしく濡らす自己嫌悪の涙まで。ヨエコさんの歌詞は、どれももれなくぶっとんでる。ぜひ確かめていただきたい。
 
最後に倉橋ヨエコ初見の方にぜひ聴いていただきたいおすすめ3曲を勝手に紹介して、結びとする。
 
 
 
 

1.  2番目の道

ライトなもの。ライトといっても曲調に反して歌詞はほの暗い。開き直りの歌。
 
♪そうよ、2番目の道
 
 
 
 
 

2.  沈める街

これぞヨエコという曲。自分を捨てた男を「あの子」って呼ぶ感じが、未練タラタラで無理してる感じでとても良いです。
 
♪アイロンのかけ方をほめてくれたあの子を今処刑します
 
 
映像はファンお手製
 
 

3.  流星

RYUSEIつったら倉橋ヨエコですよ
 
♪結局私は1人きり 出会った意味などありますか?
 
 
これもファンお手製
 
 
番外編:今日も雨
ポガティブ(ポジティブなネガティヴ)で泥臭いヨエコ流ロック
 
♪でも飛び出して 飛び出していこう  待ってる人はいないけど  
 
 
2008年に「解体」されてしまった倉橋ヨエコさん。今どこで何をしているのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、父を語る1

 

 

私の父は、一昨年の11月にホスピスで死んだ。

 
 
職が続かない人だった。建築会社、証券会社、中規模商社と将来設計が感じられない転職を繰り返したのち、40半ばで拾ってくれたシロアリ駆除会社で左遷に合い自主退職。その後は郵便局や冷凍センターのアルバイトにつくも、それらもどうして長続きはしなかった。
私が中学生に上がった年、ついに父は再就職と労働を放棄した。
日がな一日家にいて、たまに近所をボロい自転車でフラフラし、ブックオフで読みもしない三流自己啓発本を買いあさり、セブンイレブンダイソーで食べ物を買いこんでは食べ漁り、酒をあおり、妄想で家族を怒鳴り、昼夜問わず爆音で矢沢永吉をかますようになった。
 
アル中無職アラフィフ(2児の父)の爆誕である。
 
こうして冷静に父の姿を字面に起こしてみると、我が父ながらもう、なんというか、お腹いっぱいだ。
 
時を経て今は素直に、父に対してある程度の距離をもってして「お腹いっぱい」と言うことができる。だが、当時弱冠12歳の私にはこの父はあまりにも、そうあまりにも「クレイジー」で「キチガイ」で社会の型からはずれた負け犬だった。この世の中で最も恥ずべき、最も隠すべき、最も蔑むべき存在であった。
 
中学生の私が知っていた世界や社会はあまりにも狭かった。そして父とは違った「父親」たちばかりが生きていた。そんな「父親」の庇護のもとのびのびと生きる「普通の子ども」。私の世界はそのペアで溢れていた。私だけが異質で、足りない子だった。そう思っていた。
 
「私ちゃんって、変わってるよね(笑)」とよく言ってきたお金持ち一人っ子のゆめちゃん(仮名)の家のお父さんはCanonに勤める真面目サラリーマンだった。
 
深海魚のコブダイにそっくりだったいじめっこのももかちゃん(仮名)のお父さんは地元で知らない人はいない地域の人気レストランのコックとして華々しく働いてた。
 
一見家庭が荒れてそうなクラス一番の番長の家のお父さんだって、漁師って職業を全うしてた。
 
だいたいの父親は働いていた。父親という存在は、夜爆音で矢沢永吉を聞かず、酒を呑んだくれず、酒からくる妄想で子供を怒鳴らず、まっとうな職についていた。まっとうに生きていた。
当時の私からしてみればまぶしくて、「格上」の父親たちだった。同級生たちは皆「格上」の子供に見えた。この世界は、「格上」の父親が率いる「格上」の家庭ばかりだ…それに気がついた時、私は馴染めないクラスの教室の片隅で、1人で本を読んでるフリしながら絶望した。あの時の惨めでどうしようもない気持ちは今でも覚えてるし、これから先、忘れもしないだろう。
 
コネなし職なし金なし協調性なし。ないないづくしの父が率いる家庭は、当時の私にとっては沈みゆく泥舟以外の何物でもない、居心地の悪いものだった。父無職アル中、パートで母は過労から難聴に、父を一切責めない過保護な父方の祖母、ADHD+知的な障害をもつ、「ふれあい学級」の弟。もう、てんこもりだ。お腹いっぱい通り越して、吐きそうだった。
 
自分の人生はクソだ、詰んでると思った。いつしか父と家族と、それから「自分」が私の中で「格下」で「負け犬」で、「恥ずべきもの」となっていた。そうやって、私は自分に呪いをかけたのだ。
 
 
父の無職化を契機とした、この「自尊感情崩壊クライシス」は思春期以降の私と父との関係を徹底的にこじらせ、家族を苦しめた。
 
中2くらいまでは、それでもなんとか取り繕うことができていた。シンとした食卓で、必死に明るい話題を提供し父の機嫌をとったり、ブックオフで仕入れた二束三文で手垢まみれ教養本を、深夜勝手に自室に侵入してきた父親に手渡されても「ありがとう」と笑顔を見せたり、友達と下校中に街を自転車で徘徊している父に大きな声をかけられても、嫌な顔ひとつしなかった。祖母から私の息子(父)こんなにすごいの武勇伝を聞かされてもスルーせず聞いたフリをできた。祖母に「私ちゃん、将来は弟くんのこと頼むよ、あの子は1人で生きていけないから。絶対ね」とテメェの息子の処理もままならないのに将来を約束された時も、神妙な顔をしてうなづけた。疲れ切った母に、学校での悩み相談をし「私ちゃんは理想が高い、考えすぎ、そんなの普通、大したことない。」とあしらわれても、言い返さなかった。そんな、器用な真似が出来ていた。
 
それは、「育ててもらった恩がある」とか「子どもは親を大切にしなければいけない」とか「家族は何よりも大切なものである」といった世間に溢れる善良な言葉たちに、本当は納得してないくせに、納得したふりをしていたからだった。善良な言葉たちに日々押しつぶされ、息も絶え絶えに、やっとのことで自分の感情を殺しながら生きていたからできた芸当だった。
 
「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「親なんだから」「家族は大切に」「家族は大切に」「家族は大切に」「家族は大切に」
 
母が、父方の祖母が、親戚が、養護教諭が、スクールカウンセラーが、先生が、テレビが、本が、映画が、そう私に言い聞かせた。
 
「仕方ない」「仕方ない」「仕方ない」「我慢して」「我慢して」「我慢して」「それが当たり前」「それが当たり前」「それが当たり前」
 
当たり前じゃない父、当たり前じゃない家庭。なのに、そこは、私には当たり前を求めるのか。
 
ある時、怒りが一気に爆発した。
 
怒りに任せて包丁を持って、母に切りかかった。父にではなかった。母に切りかかった。父は私を止めもせず、自室に籠もっていた。祖母に止められた。警察とかは特に呼ばれなかった。
 
全ての騒動が終わった後、父は自室から出てきて、一言私に言った。
 
「お前、頭おかしーんじゃねーの?」
 
負け犬の遠吠えだと、その時は思った。
 
 
(親も、家族も、たいしたことねーな。てゆーかクソじゃん。てか、産んだのもあんたらがセックスしたからじゃん、私頼んでないじゃん別に、もうどーでもよくね?恩とかなくね?好きにしよ)
 
気弱ないい子ちゃんが、暴力に任せた開き直りを覚えた瞬間だった。
 
 
そこから先は、「好きにした」。
父親の存在を徹底的に無視した。話しかけられても答えず、視線も向けなかった。いない者として扱った。でもイライラした時にだけ、サンドバッグみたいに怒鳴りつけた。気まぐれに、思いのままに。
爆音で矢沢永吉かけた暁には、それと張り合うくらいの声量で怒鳴りつけた。さいっこうにスッキリした。なんでもっと早くこうしなかったんだろう、私、バカじゃんって思った。
 
「うっせーよカス、黙れ」
「お前なんか糞製造機なんだよ」
「とっとと死ね」
 
 
色々言った。父は言い返さなかった。祖母も母も何も言ってこなかった。何も。
でもたまに、「俺は大学受験の頃、浪人して不眠症になった」だとか、「長年インポだった」とか、父は言い訳なんだかよくわからない妄言を返してきたりもした。は?今更カワイソーしろって?ダルっ、てかキモいと私は一刀両断した。
 
「キモい!!!死ね!!!!!!!!!」
 
 
そのうちに、父はヤザワを聞かなくなった。代わりに部屋のリビングで、すっごい昔に撮ったホームビデオを日中ぼうっと眺めることが増えた。ずーーっとビデオを見てた。このDVDのご時世にビデオデッキでビデオテープを見ていた。うちにはDVDプレイヤーがなかった。
 
荒い画面の中には、幼い私がいた。
 
音割れする音声が「私ちゃーーーーん」「私ちゃーーーーん」とよちよち歩きをする私に呼びかけていた。それはずっと前の父の声だったり、母の若い声だったりした。
 
「今日はどこにきましたか?」
「今日は何しにきたんですか?」
「たのしいですか?」
「よかったねーーーーーー」
 
声はずっと幼い私に話しかけていた。私は恥ずかしそうに、いちいちそれに答えていた。タンポポの花かんむりを、最高の宝物を持つような手つきで優しく抱えていた。
 
 
それを見て、画面の中の自分とそれを見つめる父を見て、ふざけるな、とその時私は怒りを覚えた。ふざけんな、ふざけんな、何が家族だ、何が家族だ、綺麗事だ、綺麗ごとだ、家族なんてクソだ!
 
「こんなん見て何になるんだよ、カス!私がクソ娘になったって言いたいんだろ!!子が子なら親も親だ、お前のせいだよ、お前のせいだよ、お前のせいだ!現実逃避してんじゃねーよクズ!」
 
思ったことは、素直に言った。好きにした。父は黙り込んだ。そして、とうとう父は自室にこもるようになった。
 
 
つづく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

目黒線でナンパしてきた男の人の心を解体新書しようとした話

 

 
祝日の早朝の車内、人はまばら。
最寄り駅から車両に乗り込んでいた私は、端っこの席で来月末のtoeicのためにダラダラと単語帳を見ていた。
私の座席の列には誰も座ってなくて、しばらく気楽にガタンガタン。こりゃー寝るぞと思った矢先、どっかの駅で「寒みーな」とデカめの独り言をつぶやきながら、人が隣に座ってきた。
 
その独り言が、まーわりと結構デカめで。
 
私は、高校のクラスにいた、イケメン高身長&サッカー部という恵まれたスペックを持ちながらも独り言の多さとナルシスト傾向の強さから、男子たちからややハブられ、女子からは遠巻きにされていた田島くん(仮名)のことを唐突に思い出した。そして、あーそういえば元気してるかなあと感慨に浸っていた。
 
「寒いっすね」
 
だから、隣からそう話しかけられて、驚いた。「ん???あれ?田島くん??!大学では上手くいったの??!!!」と脳内はてんやわんや大混乱し、慌てて隣を向く。
 
そこで目があったのは3代目のがんちゃん似イケメンの田島くんじゃなくて、宮川大輔を綺麗にした感じのおにーさんだった。まあ当たり前だ。ちなみに、この大ちゃん似おにーさん、酒臭かった。
 
「寒いですね」
 
あーこれ酔っ払いだわ、絡まれたわと直感。反射的に返答をした。
 
このおにーさん、足元は石原純一よろしく素足で、半端丈パンツに高そうなとんがった革靴という出で立ちだった。靴擦れの目立つ足首がもろ露出。だから寒いんだよ大輔。
 
「おねーさんそれ☆○*¥っすか?」
「え??」
「だから、それ、とーいっくすか?英語勉強してるんですか?」
 
おにーさんの声は呂律が回ってなくて聞き取りにくい。でも彼はどうやら私の手にある単語帳に関心を示したようだった。
 
「はい。そうですね」
「なんで?なんでとーいっくやるの?」
「えーー?まぁ、自分の英語力を試してみたいからですかね」
「ふーん。おねーさん大学生だよね?慶応?」(沿線に日吉・三田両キャンパスがある)
「いや、そんなわけないです」
 
 
本当は就活の履歴書にかければいいな〜と思ってのことだったけど、なんか就活の話して年齢が分かるのがだるかったから、話を濁した。し、大学も濁した。
 
「今度お茶しよーよおねーさん」とLINEをきかれた。ここで、「あ、これってナンパなんだ?私ナンパされているんだ」と思った。20年生きてきて、人生数えるほどしかナンパをされたことがない。最寄りの駅の高架下でバングラデシュ人に「オネーサンカワイネーso beautiful.coffe飲まない?」って可愛い笑顔で握手をされた記念すべき初ナンパ以来、半年ぶり2回目のナンパであった。
 
ああーおにーさんのID聞くんで、あとから友達申請します〜っつてかわした。「まーそういってさーみんな逃げるんだからー。別に良いんだよ俺はさ」と言われる。おにーさん慣れてる。
その口ぶりから色々な人に当たってくだけていそうなおにーさんの姿が浮かんできて、あーナンパも飛び込み営業もそんな変わんないんだなぁとか思ったりした。ある程度自分の中の「何か」を捨てないと取り組めない作業。自意識過剰、臆病な自尊心、尊大な羞恥心………果たして私に出来るだろうか。ふと思う。
 
「てかさ、とーいっく受けるんだ。でもさーそれってあれなんだよね、日本人と韓国人向けに作られてるテストなんだよね〜」
「はぁ」
「今、酒臭い奴に絡まれてめんどくせーなーって思ってる?」
「いやぁ、特に」
 
ちょくちょくこういう風に、おにーさんはこちらの心を探ろうとする態度を提示してきた。「今こういう風に思ってるでしょ」「こう考えてるでしょ」
心理学部生の端くれだから、この提示の意図するところはなんとなくわかる。
多分、おにーさんは俺はお前の心を把握してんだよと見せかけることで、この会話の主導権を握ってコントロールをしようと思ってる。そんな気がした。その推測を裏付けるように、おにーさんは一方的に自分を大きく見せるような話を饒舌にし始めた。
 
「俺は、今度さ、会社から#@☆♪(後から調べた。おそらくIELTSと言っていたと思われる)受けるように言われてんだよね。ほらあのさーTOEFLみたいなもんでさー。言っちゃえばさ、とーいっくとは全然レベルが違うわけよ。」
TOEFLは知ってます。すごいテストなんですね。TOEFLとかと一緒ってことは、スピーキングとかもあるんですよね?大変そう」
「英語なんてたいしたことないよーはなせるはなせる。俺はさ〜」
 
ここから英語話せる俺エピソードみたいなものを話される。すげー長かった。割愛。
 
「なんか話しててわかるわーおねーさん意志が強いね。自分を持ってる」
「あ、そーですか。ありがとうございます。どんなところでそう思いました?」
「俺も割と自分持ってるって言われんだけどさ」
「あーーー(笑)はい。(…….スルーかよ)」
「今仕事辞めてさ、独立しようと思ってんだよね。」
「へーそうなんですね。てか、社会人の方だったんですね。」
「学生に見えたー?」(おにーさん結構ご機嫌に)
「えーおいくつですか?」(←とりあえず聞いた)
「25」
「えーーーーーーーー」(取り敢えず言っておいた)
「見えない?」
「びっくりしました(社交辞令)」
 
ここからおにーさんは今働いているところ(法律関係)の話と年収の話(年収500万)と新規で事業を立ち上げようとしている話をしてきた。ファスティング事業を立ち上げたいらしい。ファスティングって初耳だったので尋ねてみると、酵素?を使った断食のことを指すみたいだった。断食=ラマダンって認識だったので驚く。なんなんだろう。おしゃれヘルシーファッション断食がファスティングで、ガチ勢がラマダン?どちらにしろお腹減っても何も食べないなんて、複雑怪奇だ。
 
そんなことを思いながら。なんか新事業の話は特に聞いて欲しそうだったので、うんうんと深掘りして話半分に聞く。ファスティングの良さについて熱く語られる。最初は辛いけど、ある一定の日を超えると頭がめちゃめちゃ冴えて気持ちいいらしい。え、それって普通にヤバくない??大丈夫なの?
車窓に多摩川が映る。電車がガタンゴトンと多摩川を越える。
なんか、自身でもファスティングするらしい。14日間。やべーな。普通にガチ勢じゃん。
 
「俺の身の回りのやつはさ、皆頭良くて優秀で稼いでるわけ。だからさ、俺もこーんなね、500万ぽっちで使われるんじゃなくて、何かデッカいことしたいわけよ。バカなりに何かやってこうって思ってさ、それで、このね、ファスティングをってわけ」
「(だんだん酔いが覚めてきたのかな、饒舌になってきた)でも、20代で500万って今でも十分すごいですよ。比べてる周りの方がすごすぎるだけじゃないんですか?」
 
話を締めつつ、おにーさんは急に自分を卑下しだしたので、とっさにフォローした。私の父は、私が中学に上がった頃から無職&アル中で、その後病気で結局死んだので、20代で500万稼ぐとか十分すごいじゃんっていうのは、心からの賛辞の言葉であった。労働is尊い。
 
「いやー確かにね。この歳で俺くらいの給料もらってる奴なんて全体の☆♪%だって、わかってるけどね。」
「………………(いやーーーー切り替え早!てかあんま気にしてないんやないかーーい!自虐風自慢だったんやないかーーい)」
「やっぱなんだかんだ俺の周りはみんな優秀なのよ。なのに俺なんか、偏差値65だからさ。私立☆☆☆☆なのよ、出身。知ってる?中高一貫のとこ」
「わーー知ってまーすすごーい」(知らない)
 
こうなってくると茶番だった。もういっそこの電車を降りてしまって次の電車を待とうにも、そうすると目的の時間に間に合わない。だるすぎる。
ならば私はここで、このクソくだらないなんの生産性もない会話に何か目的や使命を設定しようと思った。そうじゃなきゃやってらんない。電車に乗る数十分の精神的健康をゴミ箱に捨てたくない。ただ、酔っ払いナンパ師のクソつまんねー話を聞いてなんだったんだよもーとモヤモヤするより、この会話を通じて何か発見や新たな学びを得たかった。
 
ここでふと思った。ナンパ師の心を解体新書してみたら、面白いんじゃなかろうか。
 
 
 
 
 
心を解体新書と一口に言っても、その切り口は様々ある。とりあえず様子を見る質問でジャブを入れてから様子を見よう、そう思った。
 
 
 
 
 
「昨晩はお酒、飲んだみたいですけど、どこで飲んだんですか?」
 
まず、手近にした行動から探りを入れようと聞いてみた。人の価値観は行動に現れる、はず。「どーせ若い女or綺麗な若い女と昨夜もよろしくやってたんだろう。そっから好みの女の傾向でも探って、手始めにナンパ師がどーやって女と出会うのかでも聞き出せたら」と踏んでいた。
 
「あれだよー〇〇(沿線某駅)でねーおねーさんと飲んでた。35歳。結構よかった。俺の将来の展望についてきてくれそうな感じで。」
 
正直衝撃だった。それは、えーーめっちゃ年上攻めんな、10個上?!!ってのがひとつ。次にブサイク+低身長+性悪+ナンパマスターでサークルの後輩女子を格安キャバ嬢のように扱ってたくせに超絶人望はあった大学の男の先輩×2(現在大手商社・銀行に勤務)もこぞって年上好きだったなぁ、この人もなのか、、ってのがひとつ。
(彼らのことは後々文章に起こしたいと思う。)
 
そして、おにーさんの声のトーンが存外に真面目なものだったっていう点がひとつ。おにーさんの目に浮かぶこれまでの軽薄なものとは違った何かを、私は感じ取った。
 
ここはもっと深く聞き取りをしたほうが良いポイントなのでは思った。この人はなぜ35歳の女性をナンパしたのか。いや、そもそもおにーさん含めナンパ師はなぜナンパをするのか。女とやりたかったら風俗に行けば済ませられるのに、なぜナンパするのか。ナンパをする際、どんな相手とのマッチングを求めるのか。そして、私の出会ってきたナンパ師はなぜこぞって年上が好きなのか。
 
これらの根底にあるテーマ「ナンパ師はナンパに何をもとめる傾向があるのか」を今回の被ナンパ兼世間話兼インタビューで解明の糸口を探してみたいと思った。お口の形勢逆転、今度はこちらがグイグイだ。まず、このおにーさんその35歳の女性のどのような点に魅力・マッチングを感じたのかを聞き取り調査したいと考えた。おにーさんの「理想の良い女」を探り、ゆくゆくはその女を手に入れて「俺が」どうなりたいのかの解明まで掘り下げていければとワクワクドキがムネムネだった。
 
「その展望についてきてくれる感じっていうのは、具体的にどういうことですか?」
「えー。俺はさ、ゆくゆくは海外に行くっていう方向性があるわけ」
「はい」
「そーゆーときにさ、英語もろくに話せないのにただ俺の言いなりになってついてくるだけ、あるいはそんなところまで行かないでって止めてくる人は無しなんだよね」
「おんぶに抱っこでは困る、と。つまりある程度の意思だったり展望、あと向こうでで活動できる語学力をを女性自身にも持ってほしい、ってことで合ってますか?」
「うーんまぁ、そんな感じかな。頼られてもさ、向こうで俺がどうなるかなんて誰にもわからないんだしね」
「その、これは言える範囲でいいんですが、昨晩の女性のどういう態度だったりで「この人は大丈夫だ」みたいに思ったんですか。気になる」
「その人もふつーにバリキャリしてる人でさ。上昇志向が強いのが会話の端々で伝わってきた。」
「なるほど。」
「てか、おねーさんいい匂いするね」
「はぁ、そーですか(話はぐらかされたー)」
 
 
おにーさんはズケズケ言ってくるのが気に食わなかったのか、警戒をしてしまったのか、そこから話を煙に巻いてしまい聞き取りは断念せざるをえなかった。無念。
 
おねーさん彼氏は?いないの?どれくらいいないの?クリスマスはどうするの?肌綺麗だね。スタイルいいね。コートの色お揃いだね。
そこからのテンプレートマシンガンを鉄仮面の笑みと定型あいづちで切り抜け、気がつくと電車は私の降りる駅に到着していた。私は試合に負けた気分だった。
 
「じゃ、どーも」
「どーせ俺のことなんて忘れると思うけど、元気でね。おねーさんお持ち帰りしたかったわ」
 
本当にこの平成27年のご時世に「お持ち帰りしたい」なんて言葉を使う人いるんだ、と思いつつ私は適当に即答した。
 
「おにーさんのことは忘れると思いますけど、ファスティングのことは多分忘れないです」
 
 
 
ごめん、おにーさん嘘でした。いえーい、みてる?ちゃんとブログネタにしたよ。
 
 
 
 
 

自称メンヘラが心理学部に行ってよかったなあと思ってる理由2つ

 

タイトル通りです。私は中高をメンヘラとして過ごしてきました。そんな私が大学では心理学を専攻し、よかったなと思っている理由を述べていきます。
 
 

1.「誰かに自分のことをわかってほしい」なんて思わなくなる

 
Twitterやリアルでエンカウントしたメンヘラな人たちを見ていると彼らは口々に「誰も私のことを分かってくれない」と嘆いていらっしゃいます。そういうのを見てると、ああ彼らは「自分を分かってほしいんだな」って感じます。かくいう私もそうでした。
 
しかし、心理学を学部レベルで齧るとわかるのですが、まじで人の心って果てしない。この薬剤にこの液入れれば、絶対こうなるっていう化学とは違い、皆さんもご存知の通りこの人にこう言えば、その人は心で絶対こう思うってのはないんです。同じ「お疲れ様です、」って言葉をかけても、AさんとBさんでは意味の捉え方も、そのあと思うことも違う。
 
何か事象が起きた際の心の反応(=事象に対する認知とそこから派生して生まれる感情)って、確かにそこにはあるのに、無限の可能性とパターンを秘めている。
 
客観的にその仕組みの全てを観察しようなんて不可能な話。私の心を分かってったって、そんなの分かりようがない。心って下手したら、宇宙みたいなもんかもしれません。
 
だからそんな無限大の心を研究する心理学では、様々な分野から「心ってなんぞや」ってアプローチをしています。心理学って聞くと、心病む→よっしゃカウンセリングみたいな印象つよいですけど、心理学って意外と色々な分野があるんですよ。臨床心理学、生理心理学、家族心理学、発達心理学、社会心理学教育心理学認知心理学産業心理学、パーソナリティ心理学、コミュニティ心理学、犯罪心理学
 
分野によっては、学ぶ・研究をする上で医学の知識が必要だったり、仮説を検証するために実験をして、結果を統計にかけることもあります。生理心理学とかはもろ理系で水槽を牛乳で満たしてそこにネズミを泳がせる実験したり、うん。
こうしてみると心理学って結構ね、手びろくいろいろやってるんです。それでもじゃあ心って何?という問いに対する具体的なコレという答えは分かってない。
 
心って何?そんなの具体的に物体としてあるわけじゃない。客観的に観測できないものを学問として追求するって哲学と変わんなくね?心理学の専門職志望は別として、学ぶことによってなんかスキルアップに繋がったりとかすんの?とかいわれたらまじそれまでです。ですが、職業選択やその後のキャリアにかかわらず、心理学に触れることで「私たちはよくわからん心というものをもっている」と認知することって意味があるんじゃないかなと思います。
まあ要するに、心理学を学んでの個人的な体感を述べると、あんたの心もわからんし、私の心もわからんわ、って気がつけて、余計な落胆とか恨みとか喧嘩とか失望とか減って、精神健康上とても楽だよってことです。(当社比)
 
 

2.自分の感情を分析できるようになることによって、感情に振り回されてヘトヘト…ってのが少なくなる

 
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ストレスも溜まります。私まだ学生っていういいご身分ですけど、ニュース見たり、本読んだり、お母さんの愚痴聞いたり、おばあちゃんの苦労話きいたり、バイトで嫌な客の対応したり、就活始めてみたり、はてなとかTwitterで色々な人の話を聞いてると、世の中って本当歪んでるしやべーなって体感します。
 
だいたいみんな、自分のことしか考えてないし、自分のことが一番可愛いんですよね。だから、すごい身勝手なことしてきてこっちがばっちりくらったり、こちらのとこ知りもしないのに決めつけて腹立つこと言ってきたり、本当に人間って面倒くさい。
 
そういう時、イラーーーーーーーーっとしたり、はぁーーーーーーー???ってなったりするのはもう当たり前だと思うのですが、そういう湧き上がってくる感情ってものすごく疲れる。本当に疲れる。
 
そういう気持ちが湧き上がってきた時、どう対処しますか?お酒を飲んだり、やけ食いしたり、セックスしたり、運動したり、自分より弱い立場の人間を攻撃したり…色々方法はあるかと思います。
 
心理学を専攻すると、自分が不快な気持ちになった時に、その気持ちが「何によって引き起こされるのか」「どういう状況でより強く感じるのか」「今不快な気持ちになったが、具体的にどのような状況に変われば『不快でなくなる』のか」といった自分の感情の分析方法について体系だって学ぶことができます。これは臨床心理学分野で徹底的に叩き込まれる思考方法で認知行動療法と言われていて、これは結構、今学会ではどーなのって声も出てたり、やろうとすると最初は糞めんどいんですけど、やってくと割りかし楽しい思考法?です。
 
この思考方法のよいところは、分析をすることによって、不快感情を防ぐための具体的な方略が取りやすくなることです。
 
なんかイライラするーっていうのと、こういう状況でこの人にこう言われるとこう嫌な気持ちになるって分かるのとでは、だいぶ違うのではないのでしょうか。
 
 
以上。独断と偏見でした。