斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL一年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

6年間続けてきたものを7年目に辞めた話



プロを目指してたとか、そういった大層な話ではない。


私が中学一年生の時に吹奏楽部に入ったきっかけは、友達のkちゃんのお姉ちゃんの影響だった。

祖母同士交友があって、幼稚園からの付き合いだったkちゃんに連れられて、小学生6年生のとき私はお姉ちゃんの演奏会を聴きに行った。そこで一目惚れをしたのだ。

小柄なお姉ちゃんが担いで演奏していたトロンボーンにである。


昔からこうと決めたら猛進する傾向がある私は、地元の中学に入学するとすぐさま吹奏楽部に入った。幸か不幸か、トロンボーンを希望する子は同じ学年にはいなくて、私はめでたくぴかぴかでかっこいいトロンボーンを担当できることになった。kちゃんのお姉ちゃんは「お姉さん」から私の「先輩」に変わった。


地元の中学は吹奏楽部がそこそこ上手いところで、夏のコンクールで関東大会までいけることもあったし、県大会までいけることもあったし、でも地区予選で落ちることもある、そんな学校だった。

だから練習は、やっぱりそれなりに厳しいところだった。楽譜もまともに読めなくて、おまけに今以上に引っ込み思案でコミュ障だった私は、譜読み練習だとか、けっこう厳しめな他楽器の先輩たちとかかわるのが本当に大変で、辛かったことを今でもはっきり覚えてる。


正直に、そして端的にいえば、中学のとき私はぜんぜんトロンボーンが上手くなかった。し、上手くならなかった。

才能がなかったというより、能力がなかった。いくら練習してもダメだった。「そこそこ」どころか「それなり」どころか、普通以下だった。

歯医者行くたびに珍しがられるくらいの歯並びの悪さとか、体が弱かったとか、楽器を持てる筋力がついてなかったとか今なら色々理由は分かるけど、そんなのは後から分かったことで、当時の私としては単純に単純に辛かった。悔しかった。だって練習しても下手なままだから。


それでも3年間続けた。辛かったし、先生には嫌われてたし、部員の前で怒鳴られたり、合奏中に教室から追い出され泣きながら個人練習をしたりもしたけど、辞めなかった。kちゃんのお姉ちゃんをはじめとするトロンボーンの先輩が優しくて好きだった、下手の横好きでも演奏をするのが楽しかった、そして部活の友達が大好きだった。練習終わりに校門の前で駄弁ったり、土日の練習の時お昼を一緒に食べたり、おかず交換こしたり。みんなで待ち合わせて浴衣きて地元のお祭り行ったり。私の居場所は部活にしかなかった。


うちの中学は周辺でも名を轟かせるバカ校だった。成績の内心も「あそこの中学の5は他の学校の3か、よくて4だ」とか散々な言われようだった。九九を言えない人が学年に3人くらいいた気がする。

さっき言ったとおり、私は引っ込み思案のコミュ障で読書と漫画と音楽が好きな、不細工な文学少女もどきだった。もちろんクラスや学年に馴染めるわけはなくて、いつも長いスカートを引きずりながら同じクラスの部活の子のあとをついて歩いてた。部活関係の子とそれ以外では1人しか友達はいなかった。

当時の私にとって部活を辞めるということは、居場所を失って学校を辞めるということに直結していた。幼いながらに中学はちゃんと行かねばと思っていた私は学校も部活も頑張って行ったのだ。


そんな3年間をトロンボーンとともに泣きながら過ごし、やっとのことで中学を卒業した。

嫌われてた指導の先生から、「あなたのような人は高校で不登校になります」とか言われつつも、私はなんとか地元の中堅公立高校に進学することができた。

高校は本当に、本当に、フツーの高校だった。みんな九九を当たり前に言えたし、ある程度は勉強ができるし、なにより常識的だった。県立で古い学校で、けっこう辺鄙なとこにあって、だからか生徒はみんな素朴で穏やかで、結構素敵なところだったと思う。

入学当初、私は分厚くて癖のあるだっさい前髪の下の目をキラキラさせながら、どんな高校生活を送ろうかなんて考えていた。

なんちゃんて進学校だったうちの高校は、部活の参加率が8割強の「文武両道」が売りだった。もちろん私も、どこかの部活に入ろうと考えた。


3年間の洗脳っていうのは怖いもので、まずあ見学に行ったのはあんなに辛かった吹奏楽部だった。

私にとって、部活といえばイコール吹奏楽部以外の何物でも無くなっていたのだ。


結局高校も吹奏楽部に入った。今度は自ら選択して、入部をした。運動部は運動音痴だから無理、軽音はチャラくてリア充多い馴染めない、漫研はなんか嫌。冴えない割りに注文の多い私は、居場所はここにしかない、と15歳ながら直感したのだった。

今度は中学と違って規模が大きな部活で、新入部員は50人弱いた。その中でトロンボーン希望は私含め7人いた。入部してすぐ、トロンボーンの先輩に、7人で呼び出されてどうにか2人降りてほしいと頼み込まれた。私は、これで中学の嫌な記憶を捨てれると躊躇うことなくすぐに希望を降りて、そして誰も希望していなかったユーフォニアムになった。

中学のときの先輩だった、kちゃんのお姉ちゃんも同じ高校の同じ部活に所属してた。お姉ちゃんもトロンボーン希望者が多すぎて、別の楽器に移ってた。オーボエだった。らしいなって思った。


中学の練習に対する姿勢が嘘みたいに、省エネモードでユーフォに取り組んだ。やっぱり、ここでも私は普通以下だったけども、頑張ってなかったからそんなに悔しくなかったし、辛くなかった。部内には先輩に後輩同学年問わず自分より下手な人もそれなりに居て、それがより私から頑張りを削いで行った。高校3年間通じて、私は練習では一回も泣くことはなかった。


中学と違って高校の吹奏楽は経験者が多いから、一般的にコンクールのレベルは高い。上手な私立とかは、音大生が使うような新品の楽器を持って、プロのバンドみたいな音でCDのような演奏をする。

そんなコンクールにおいて我が校は、数年に一度結果を残したりでも大抵は残せず敗退する咬ませ犬みたいなポジションだった。


咬ませ犬の中でだらだらと過ごして、あっという間にここでの3年間も終わった。楽しかった。怒られることなく部活ができるって本当にこんなにのびのびできるんだって、大発見だった。

あいかわらず部活にしかまともに友達ができなかったけど、高校の同学年の四人に1人が吹部だったから、友達はそれなりにできた。卒業してからもまめに年賀状をくれる可愛い後輩もできた。

今でも彼らとは繋がれてる。本当にありがたいなと思う。


高校卒業後は地元から首都圏の文系私大に進学した。偏差値は本当に普通。高校と同じくらい。初めての私立だった。よくも悪くも自由な大学生活。私は迷うことなく部活をやろう、と考えた。


しかし、この頃から私は歯の矯正を始めていた。矯正中に管楽器を吹こうものなら瞬時に口の中は血だらけになる。楽器演奏はご法度だった。吹奏楽部は今回はやめようと思った。

どうしたもんかと落研だとか、ボラサーを幾つか見学して、私はオーケストラ部に入ることに決めた。なんか楽しそうと思ったから。洗脳って本当に恐ろしいね。

また大所帯で音楽をやる集団に入るーー高校の部活を引きずっていたのは自分が一番理解していた。



気がつけば素人なりに楽器に携わって7年目に入っていた。


トロンボーン、ユーフォときて、今度の相棒はチェロだった。

口を使わなくていい弦楽器で、なおかつ音域が前述の二つと重なる。

今度の楽器とも四年間の付き合いになるだと私は疑いもしなかった。


吹奏楽とオーケストラの大きな違いに気がついたのは、入部して数ヶ月が経った頃だった。

まず、金持ちの子が多い。新入部員のほとんどは経験者たちだった。3歳からバイオリンをやるような子供たちはやはり、有る程度の生活水準で育ってるってこと。

オーケストラは本当にお金がかかる。

練習場所への交通費、場所代、先生へのレッスン費、個人レッスン費、そして月々の部費、演奏会をやる度の会費、打ち上げ、ドレス、楽譜、その他必要雑貨、7泊8日ある合宿。

あとあと計算したらトータルで年間20万を超えていた。当時はそれをどうにかバイトをして捻出していた。

春と秋にある演奏会に向け、年二回の合宿があり、そのあとに練習強化期間に入って、本番まで土曜入れた週4で練習があった。

昼間学校が終わってから、別のキャンパスにある楽器倉庫に重い楽器を取りに行って、練習場所に行って練習して、夜11時くらいに電車に揺られて帰る日々だった。あとの2日は学校帰りにバイトをやって、残りの日曜はひたすら寝るか、学校の課題に追われてた。

インドア派にとってはただただ、時間だけが過ぎて行く日々だった。


周りの子達は、本当お金ないよーといいつつも、ブランド物の化粧を買いあさったり、練習サボって海外旅行行ったりしてた。

会話もFacebookの話題も、Twitterの呟きも、高校の頃とは全然違う。コンビニでアイスやけで買っちゃったとか、自転車で隣の市まで行ったよとか、そんなんじゃなかった。別次元だった。

みんな、なんちゃってじゃない本物の進学校出身で、親がだいたい一流企業か公務員で、この学校は滑り止めなんだーまぁ楽しいからいいや、就職は親の会社のコネあるしって、常にそんな感じ。

パリ、ロンドンに家族旅行で2週間滞在したよ。横浜にあるうちの家が持ってるビルがさあ。高級鉄板料理店で家族でディナー。そこでこんな綺麗なネックレスもらったのみてみて。コンビニのプリンとか不味くて食べれない。パステルのプリンは好きかな。


中学の時に父親がアル中拗らせて肝硬変なってからろくな外食も旅行もしてなくて、一応この大学を第一志望にしてたなんちゃって進学校出身でコネのない私は、そっとSNSをやめた。

お金ないよねーって言ってる異世界の彼らが、もうどうでもよくなってしまった。


人類皆兄弟とかいうけれども、やっぱり住む世界というものは存在して、住人によって価値観はまるで異なるのだろう。今でも断言できる。ここは私の居場所ではなかった。

私は1年でオーケストラをやめた。


吹奏楽部に入ってたら、もし国公立だったら(まぁそんな頭はないけどね)

といろいろ思わなくもないけれど、7年目に辞めた本質はそこではないような気がする。


あくまで、吹奏楽部とか音楽系部活っていうのは媒介に過ぎなかった。同じ価値観、同じ世界の住民と繋がるための媒介だ。

本当に音楽がもうめちゃくちゃ好きで、楽器がめちゃくちゃ好きだったら、何浪してでも音大か専門に行こうとするだろうし、口の中が血だらけになろうとも楽器を演奏し続けるだろうし、どんなに周囲が異世界だろうともひたむきにチェロを練習し続けたはずだ。

それをしなかったっていうのは、所詮音楽への思いがその程度だったってこと。音楽が目的ではなく、ただの出会いツールみたいなものでしかなかったってことです。出会い厨か。バッハに謝れ。


オケを辞め、現在私は2回生。やることもなく新しい居場所を求め、新しいツールを探索しつつフラフラとしています。