斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL一年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

斎藤くん(仮名)、お元気ですか


ブログタイトルの由来になった斎藤くん(仮名)のお話。


斎藤くんと私は小学校2年生のときに始めて同じクラスになった。

出席番号が近く、家もそこそこ近かった私達はなんだかんだで仲良くなって、ある日同じく番号の近い佐々木君(仮名)を交えて放課後公園で遊ぶことになった。

「自転車で公園集合ね!」

下校の別れ際笑顔で言われて、当時8歳だった私はとても焦った。

なぜなら、私は自転車に乗れなかったからだ。

いい出せずに別れ、どうしたもんかと悩んで、思わず母さんに相談したけど、とりあえず集合場所に歩いて行ってみたらと言われて、そうした。

駆け足でやって来た私を2人は察したのか、自転車乗れないの?次は自転車のれるようになってねーと別れ際に言うだけで、普通に遊んでくれたことをなんとなく覚えている。優しい子達だった。ちなみに私が自転車に乗れるようになったのは、恥ずかしながら小学5年生になってからである。


斎藤くんは、小柄で色白で、兄弟がいっぱいいる家の長男だった。

ほんわかした笑顔と舌たらずな喋り方が特徴的だった。授業でさされるとはにかんで「わかんない」とよく答えていたけれど、運動神経は抜群に良かった。特に縄跳びが得意だったから、クラスの縄跳び四天王みたいな称号を持っていて、体育の時間はいつも誇らしげだった。

二重跳び、はやぶさ、あやとび。いつもはマイペースな斎藤君も、縄跳びの上達は誰よりも早かった。


残念ながら3年生のクラス替え以降、斎藤くんとの交友は学年が上がるごとになくなって、ついに話すことも無くなり、そして私達は地元の中学校に進学した。

1,2年生は別々のクラスだったけど、初めて3年生で同じクラスになって、とても驚いた。


斎藤くんは、結構重めのいじられキャラになっていた。

いじられだったか、もはやいじめだったのか、何もしなかった外野がとやかく言う資格はないのかもしれない。けれど、その扱いが本人の意に反してないことくらいはわかった。笑顔がとても卑屈なものに変わっていたからだ。


クラスは居心地が悪かった。

斎藤くんを執拗にいじっていたのは、一般的に優等生とされる部類の奴らだった。イケメンともてはやされて、勉強もそれなりにできて、なおかつ推薦ですでに進学校への入学が決まっている奴らが、暇つぶしとばかりに片手間に、でもねちっこく、斎藤くんに絡んでいた。


「お前は馬鹿だし、家貧乏だから受験勉強しなくていいからいいよな。どうせ高校いかねーんだろ?」

「昨日の晩なにやってた?俺は塾行ってたけど、お前は?そっかー、馬鹿だからゲームやってたんだよな」

「本当お前ゲームしか取り得ないな」


担任がいる前でもお構いなかった。注意を受けてものらりくらりと回転の早い頭はいいわけを叩き出して、卑しく笑って誤魔化してた。

辛い記憶や自分に都合の悪い記憶はは脳が抹消するというけど、これ以降の彼に関する記憶は、恥ずかしながら私にない。


卒業をしてから5年経つ。今斎藤くんがどうしているのだろうか。

高校には行かなかったと聞いた。

成人式後の中学の同窓会、私は行かなかったけど、リア充な人たちがSNSに流して来た写真の中にもそれらしき人はいなかった。


優しくて、縄跳び上手の斎藤くん。今何をしてるのかな。どこにいるのかな。ちゃんと社会と繋がれていて、すこしでも幸せを感じていれればと勝手ながら祈ってます。不登校になるとか言われた私もなんとか大学まで通えてるよ、大丈夫だよ、とネットの海に向けて呼びかけてみる。


思い返せば、斎藤くんだけじゃない。他にもたくさん、呼びかけたい人はいる。正しいけどはっきりした物言いで学年から嫌煙されて、いつも一人ぼっちだったフィリピーナのあの子、小柄でおどおどしてて、きもいってずっといじめられてたあの子、学年1のギャルだったのに、些細な喧嘩で仲良しグループ縁切られて、現在消息不明な、小学校の頃仲良かったあの子。


みんなみんな、現実という荒波に吸い込まれて、こちらから見えなくなってしまった。

なんだかなあ、悲しいな、悔しいな、情けないなあと思いながら、私は波間に漂う粗末な板きれになんとか今日もしがみついている。