『魔女の宅急便』からみる13歳の就活
魔女の宅急便、今見ると趣きが全く違います。
これは、13歳の女の子が歯を食いしばって就活して、自分で生きていこうとする話です。今の私にはそう見えました。以下、感じたことのメモ。
1.「空を飛ぶしか能がない」
「空を飛ぶしかできない」という言葉、物語の至る所に登場します。
旅立つ前、実家のお母さん(魔女)が病気のおばあさんに薬を作ってあげながら、「あの子(=キキ)は空を飛ぶことしかできないから」
旅立ちの夜、出会った先輩魔女が一言。
「私は占いができたからなんとかやっていけてるわ。あなた特技ないの?」
に対してキキ
「私は飛ぶしか能がないので」
後半、魔法の力が弱まり空を飛べなくなったキキが一言。
「私は修業中の身です。空が飛べなくなったら、本当に私ただの能無しになっちゃう」
魔女の中では「空を飛べること」ってあたりまえなんですよね。出来てもプラス加点はされないけど、かといって出来ないと大幅なマイナスになる。
だから、「それしか能がない」とか、「それしかできない」と卑下の言葉をつけないと、特技として話せない。し、出来なくなったら「こんなこともできないなんて本当に能なしだ」と必要以上に落ち込んでしまうんでしょう。
キキや魔女たちにとって箒で自由に空を飛ぶということは、特技なんて言えるほどのものじゃない(と思ってる)んです。
一方で、魔女が一切いないコミュニティ、大都会コリコでは、キキの空を飛ぶ力は賞賛の的となります。
「あんたすごいじゃない!気に入った」とキキの力と人柄を気に入ったおソノさん。
空を飛ぶことを夢見ていて、実際に空を軽々と飛んでしまうキキに関心を持つトンボ。
キキの箒にわくわくしてまたがって、こっそり真似をする「コスモス色」の服を着たおばばさん。
(冒頭で魔女の黒い服を初めて着たキキが「コスモス色ならいいのにな」とむくれるシーンとの対比かな?)
これってようは、フィールドによって自分の能力は「特技」にも「それしか能がない」とも言い換えられるということだと思います。
ここで、就活でお馴染みの質問事項「あなたの強みはなんですか?」
強みとか知るかよ、ただの普通のバイトと授業とゼミに明け暮れるJDだわって、これまでは思ってました。ですが、キキの姿を見て、そんな私にもフィールドを変えれば(=視点を変えれば)自分じゃ気がつかなかった特技や能力に気付けるのかなって
思うわけないじゃん!!実際何もないわ!ぼけ!
2.「コミュ力を持ってしても避けられないクソとのエンカウンター」と「1人ですべてを背負う覚悟」
冒頭の田園風景から一転、大都会に転がり込んだキキにとって、毎日は驚きでいっぱい。そしてなんとか適応し渡り歩いていくのに必死です。
もともと、お母さんの作る薬を買いに来たお客のおばあさんに愛想よくハキハキ挨拶できたり、旅立ちの見送りに友達がたくさん来ていたことからコミュ力の高さを見せつけていたキキ。
しかし、1人で世の中を生きていくって愛想とコミュ力という大きな武器をもってしても難しいんだなと。それが新しい環境なら尚更で。
どんなにコミュ力があっても、愛想良くしても、嫌なやつや理不尽なこととのエンカウンターって避けられないんですよね。働くってなったらそれはなおさらで。
これまでは、そのエンカウンターを親や周りの大人がある程度一緒に引き受けてくれたけど、これからは1人で背負わなければいけないんだなぁって。
生意気なニシンのパイの少女の配達の帰り、雨に濡れ熱を出してしまったキキ。
翌朝おソノさんがあったかいミルク粥をもってきてくれて、しばらくキキの様子を見た後店番に戻るため、立ち去ろうとする。
「おソノさん」
ってキキは呼びかけるけど
「……ううん、なんでもない」
ってすぐに言葉を切るんですね。このシーン多分、「もっと一緒にいて」って言いたかったんだろうなぁと。
昨日頑張って配達したのにこんな嫌な客がいて、腹が立って、しかも雨にも打たれて、パーティーにも行けなくて、熱でダルくて、とっても辛い。
って言いたかったんだろうなぁって思って、胸を打たれました。どんなクソなことやクソな奴に会っても自分で消化して乗り越えなきゃいけない、人には頼れないし頼らない。キキのそんな覚悟が見えた気がしました。ここすごいジーンとした。
総括すると魔女の宅急便ってすごい話ですね。思春期の話と宮崎監督は言ってましたが、どっちかっていうと思春期の子(第二次性徴期の開始から終わりまで)よりは、社会に出る前の、独り立ちする前の青年期の人の方が胸にくるものがあるんじゃないかなー。
独り立ちの過程として、私たちには就活があり、キキには修業がある。
そんなことを考えながら、ぼんやりとテレビを見てました。