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斎藤はどこへ行った

大衆大学へっぽこ心理学部にわか心理学科専攻のJD

全ての人に「布の母」を

読みました。黒子のバスケ脅迫事件の被告人最終意見陳述書。

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

素晴らしい文章です。本当にすごい。

ある種の人にとって、ずっと心の中に引っかかっていたけど、

言語化できなかったモヤモヤ・不安・不快感・嫌悪感を、非常にロジカルに端的に、例えを交えて分かりやすく論じています。

これを読んだ一部のインターネッツピーポーは親指でスワイプをしながら、あるいはマウスでカーソルを動かしながら、ため息のようなか細い「それな」という音を喉からもらしたことと思います。

 

私は彼の文章を一通り読んでいて、ある心理学の実験を思い出しました。

それはハリー・ハーロー(Harry Harlow, 1905-1981)が行ったアカゲザルの子どもを用いて「愛着」についてを検証した実験です。

 

「布の母」について

 ハローはアカゲザルの赤ちゃんを母親と分離させ一人きりにし、その子の前に二種類の「母親の模型」を設置しました。

 

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右側が針金製で哺乳瓶を付けた模型

左側も針金製なのですが布が巻き付けられている模型です。

 

ハローは当初、アカゲザルの子は針金哺乳瓶模型 に愛着をしめす(=くっついて離れないのでは)と考えてました。

なぜならば、子供が親に愛着を持つのは「自分を養育してくれる存在だから」、つまりいってしまえば「メシを食わせてくれるから」であると仮定していたからです。

 

しかし、実験結果は驚くべきものでした。

まあ、写真見たらわかるわって話ですが。

赤ちゃんザルは始めは針金哺乳瓶に抱き着き、おなか一杯になるまでたらふくミルクを飲んだ後、すぐに布を巻いた模型に抱き着きそこを決して離れなかったのです。

付け加え、赤ちゃんに対して大きな音を立てて恐怖を煽ってみると、必ず赤ちゃんは布の模型(=布の母)にしがみついたといいます。

 

さらに、実験には後日談があって、

この赤ちゃんは実験後親元・仲間のサルたちの元へと戻されるのですが、なかなか集団になじめず、親や仲間に対して問題行動をとってしまったといいます。

攻撃的になったり、関係の構築を回避してしまったのです。

 

この実験が示したことはとても興味深く、そして重いことであると思います。

「だた、メシを食わせるだけが親の役割ではないのではないか」ということです。

「子どもにとっての心地よい接触を与えること」

「子どもが何かあった時の安全基地となること」

 

これらの役割をはたして初めて親は親となりえ、子どもは子どもとして社会的に成長ができるのではないか。この実験はそんな残酷な事実を突きつけているのでしょう。

 

黒子のバスケの人に思うこと

バスケの人は、意見陳述の冒頭でいくつかの「独自用語」を提示・定義付け・解説していましたが、そのなかで特に目をひく語句がありました。それは「安心」です。

氏はこの安心が「社会的存在になるために必要不可欠」な「人間が生きる力の源」とした上で、このように述べています。

 

乳幼児期に両親もしくはそれに該当する養育者に適切に世話をされれば、子供は「安心」を持つことができます。

例えば子供が転んで泣いたとします。母親はすぐに子供に駆け寄って「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」と言って子供を慰めながら、すりむいた膝の手当てをしてあげます。すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できます。これが「感情の共有」です。子供は「痛い」という言葉の意味を理解できて初めて母親から「転んだら痛いから走らないようにしなさい」と注意された意味が理解できます。そして「注意を守ろう」と考えるようになります。これが「規範の共有」です。さらに注意を守れば実際に転びません。「痛い」という不快感を回避できます。これで規範に従った対価に「安心」を得ることができます。さらに「痛い」という不快感を母親が取り除いてくれたことにより、子供は被保護感を持ち「安心」をさらに得ることができます。この「感情を共有しているから規範を共有でき、規範を共有でき、規範に従った対価として『安心』を得る」というリサイクルの積み重ねがしつけです。このしつけを経て、子供の心の中に「社会的存在」となる基礎ができ上がります。

またこの過程で「保護者の内在化」という現象が起こります。子供の心の中に両親が常に存在するという現象です。すると子供は両親がいなくても不安になりませんから、1人で学校にも行けるようになりますし、両親に見られているような気がして、両親が見てなくても規範を守るようになります。このプロセスの基本になる親子の関係は「愛着関係」と呼ばれます。

 

なじみはあるけど、どこかあいまいな「安心」という概念を本当に的確に表現している名文なので、まるっと引用をしました。

 

文章はこの後、論題は安心を獲得できなかった者がたどる末路、「生ける屍」についての解説と考察になるのですが、私はこの部分を読んでいて、先に述べた「布の母」の実験が頭から離れませんでした。

 

氏に対し、いい歳なんだから全部親のせいにするんじゃねえ、という批判があるようですが、それは違うと私は思います。

実験した子ザルが社会的生活を送りにくくなってしまったこと。そしてこの氏が「生ける屍」になってしまったその背景には、親との愛着関係の不成立という自身で(その当時、養育される立場としては)どうすることもできない因果があります。

 

地球に住んでいると、酸素があって息ができるのが当たり前で特に意識もありがたみも感じませんが、いざ宇宙に出てみれば息を吸うこと、それは死活問題です。

いかに息を吸うか・吸い続けられるかが重視され、価値を持つ宇宙空間と、とくにそれが見向きもされず、価値を持たない地球。地球に住む人は、宇宙で息を吸うということがどれだけ難しくて、どれだけ大変か、知る由もないでしょう。

この関係は氏への批判にもつながる気がします。人は自分が当たり前に持っているものの価値を見くびる傾向があるからです。親のせいばかりにしすぎという人は、「健全な愛着関係を築ける親」を特別なものだと思っていません。だってそれは自分の親だし、友達の親も大そうだから。そんな親、あってあたりまえだから。

彼らにとっては当たり前だからあってもプラスにはならないけど、なかったらマイナスになるでしょう。いや、マイナスどころか「当人の努力不足・能力不足・我侭のために所持していない」というレッテルも貼りかねない。


あなたが我がままいったから親が冷たくしたんじゃないの?

あなたがいい子にしなかったからじゃないの?

そりゃあ親だって人間だから、いい子出来る子の方を可愛がるでしょ?



悲しいです。悲しいですが!「まともな親」のみならす、世の中はそんな当たり前の人たちが当たり前だと思って持っているのものであふれています。平均的年収・平均的学歴・平均的コミュニケーション能力・平均的容姿。

なんで?なんで持ってないの?なんで?

そんな声が聞こえてくる気がします。

ああ最高に世知辛くてギルティですね。

 

だからこそ、だからこそ、氏は得ることができなかった安心を求めたのでしょう。

ちょっと当たり前でなくても、不完全でも、欠けていても、持ってなくても、生きていていい。

たったその言葉がほしかったのです。生きていていい。たった七文字のその言葉を。

 

このクソみたいな世の中のすべての人、能力のある人・ない人、頭のいい人・悪い人、容姿がいい人・悪い人、自信がある人・持てない人、すべての人に安心を。すべての人に布の母を。私は、本当に、そう思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに心理学における愛着研究の第一人者がこの方です。

人間における母子間の愛着形成がその後の人間関係にどのような影響を与えるのかということが述べてあり、とてもおもしろい(人によっては読んでて辛いかも)です。

ボウルビイ母子関係入門

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