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斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL一年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

麻婆茄子つくった

実家暮らし21歳、初めて麻婆茄子をつくった。

 

 

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泊まった友達の家でこれが出てきたら「あっ、こいつのお母さん、料理別にそんなに上手じゃないな」と察しつつも、でも普通にそこまで抵抗もなく食べれてしまうレベルの、可もなく不可もない感じの出来栄えだ。

パッと見、なんでこんなに見た目がビミョーなのかなあと思ったけど、たぶん具材の大きさをバラバラに切ってしまったからだろう。不揃いな感じがいかにも「慣れてない感」を絶妙に演出している。

 

ちなみにおとなしくクックドゥを使ったので、味つけに関しては全く問題がなかった。

でも、この麻婆茄子、すごく致命的な欠点を抱えていて、それはなにかというと

 

 

ニンジンがもう、信じられないくらいめちゃめちゃかたい

 

 

尋常じゃないくらいかたい。え?????????生???????????

ってくらいかたい。咀嚼するときガリゴリ鳴るんじゃないかってくらいかたい。

 

でも、私としては、懸命に箱の裏の調理手順にそってつくったつもりである。

調理手順は以下の通りだ。

 

①茄子(中サイズ3本程度350g)を縦に6~8等分する。ニンジン(4分の1本)は短冊切り、ピーマン(中3個)は縦に6等分に切る。

②熱したフライパンに油を大さじ3杯入れ、茄子に焼き目がつくまで炒める。焼き目がついたら、ニンジン・ピーマンを入れ、野菜に色がついたらフライパンから炒めた野菜をあげる。(この行程は中火~弱火で行うこと)

③あげたフライパンにひき肉を投入する。火が通ったら、一旦火を止め、素を加えて再度火をつける。そのあとすぐに野菜類を投入して手早く炒める。(この行程は中火で行うこと)

④完成

 

なんで手順にしたがったのにこんなことになってしまったんだと思ったけど、考えていくうちに、自分が調理の際に陥ったとあるポイントに気がついた。

 

 

料理を作る際に必要なのは「共通言語の習得」である

調理をしていく際、正直、パニックに陥るシーンが何度かあった。


そのひとつが、冒頭の具材を切るシーンである。

 

 

例えば茄子。

 

縦に6~8等分切るとしか書いていなかったけど、さすがに私でも「等分にする前にヘタを切らなきゃいけない」ということはわかっている。

 

でも問題はそのヘタの切り方である。

 

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「ヘタを切るということ」は知っているのだが、「ヘタを切るということが具体的に茄子の端からどのくらいを切り落とすことなのか」ということがよくわからない。

 

茎につながっていた部分はもちろん食べれないし、元「ガク」?であったヘタ部分も食べれないことはもちろんわかっている。じゃあ図で示したように、くるん矢印で示したところを切ってしまうのも、可食部を多く捨ててしまうような気がする。

かといって、ヘタが茄子の実からどれだけはがれやすいのかもよくわからないので、直線矢印で切って全然ヘタが実からはがれなかったらどうしようと思ってしまう。

 

結局、二つの矢印の間位を切って、母親に「もっと茎に近いところで切れるよ」と言われてしまった。

 

 

 

パニックになったもうひとつが、野菜を炒めるシーンである。

 

 

「茄子に焼き目がつくまで炒める」

 

これの意味が全く分からなかった。

「焼き目」と言ってもいろいろある。

切った茄子の縁がほんのりシナッてして色が変わるらいなのか、茄子の切り口全体がこんがり色づくくらいなのか、全く分からない。


じゃあ普段の麻婆茄子を思い出せと言われても、普段食べる時に麻婆茄子の見た目に特に意識を注いでいないので、いまいちピンとこない。だから、わりと、混乱した。



しかし茄子はまだ良かった。



問題はニンジンとピーマンである。


「野菜に色がつくまで炒める」



色がつくまで????????????

わけがわからない。

そもそも、すでに野菜に色はついている。

綺麗なオレンジと綺麗な緑色だ。


それがさらに色づくとはどういうことなの?

???????焦げ目がつく、焼き目がつくとは、また違うの??????なんなの????????わけがわからない?????????????


そんな感じで頭にハテナを浮かべた結果、私は結果的に野菜を早くフライパンからあげてしまい、激カタにんじん麻婆茄子を錬成してしまったのである。









思えばこれまで、料理において、似たような体験はいくつもしてきた。


照りが出るまで煮詰めるの「照り」がよくわからなかったり、

根菜・葉物・肉を雑多に入れた炒め物の「全体に火が通ったら」がよくわからなかったり、

「水気がなくなってきたら」がわからなかったり


思うに、料理にまつわる語句たちは日本語なのだけど、私にはそれらが日本語じゃないみたいに感じることがある。


そういった時、私は、とんでもなく、置いてけぼりをくらった気がして、そんでもってとてつもなく恥ずかしくなったりする。


特に、他の人がスイスイと料理をこなしている姿を見ると、余計にその恥ずかしさが増して、増した結果、居た堪れなくなる。自分自身が、居た堪れなくなるのだ。


みんな、あのよくわからない説明や語句て理解してちゃんと作れているのに、私だけ理解できずに作れないなんて、ちょっと、ヤバイんじゃないだろうか。そんな考えで頭の中がいっぱいになって、うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーとなってしまって。なってしまうので、私はできるだけ料理をすることを避けている。



いや、料理だけではない。他にも、そういった「共通言語を理解できないから」という理由で避けていること、逃げてきたことはたくさんある。


カラオケ

クラスの打ち上げ

チームスポーツ競技全般

恋バナ

集団行動

その場にいない誰かの陰口大会

そんなに親しくない人との飲み会

同窓会



たくさんたくさんある。


どれもその場での適切な振る舞いだとか、その場でやりとりされる曖昧な言語をきちんと聞きとって、理解して、っていう、そういうことが、私はあんまりできない。



歳をとるにつれて、そういう理解できない自分を取り繕うための小手先の方法ばかり頭に詰め込んで、誤魔化すのだけ、取り繕うのだけがうまくなってしまった。


好かれるためのコミュニケーション方法

人の心をつかむ話し方50

あなたを幸せに導く引き寄せの法則


そんな感じの自己啓発もどきみたいなコミュニケーション本に依存して、読みふけって、それで本当は出来てないのに、私はみんなの共通言語を理解して、マスターした気になって、使いこなせてるふりをして日々をやり過ごしている。




誰でも美味しく麻婆茄子を作るためのクックドゥーは市販されてるけども、

誰からも好かれるLINEを返すためのテンプレートツールは残念ながらまだ発売されていない。



時代の進歩とテクノロジーの進化を祈りながら、そのうち自分の人生をオートモードで過ごせないもんかなあ、なんて、そんなアホみたいなことを考える、夏である。