斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL一年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

理◯の人、いい人でした。



大学の友人から、こんな笑い話を聞いた。


県内でも下から数えた方が早い学校へと転任した恩師を、友人たち教え子が囲む機会があった。そこで恩師から赴任中の学校でのこんな出来事を聞いたという。


ある日、1人の真面目そうな生徒が職員室にいた恩師のもとへ質問をしに来た。なんだろうと思って聞いたら、『先生、この前水族館行ったんだけど、水槽に干物が全然泳いでなかったよ、なんで?』


小学校なら微笑ましく美しい学び舎の一コマになり得るが、残念なことにこれは県立高校の職員室での一コマである。

恩師のその話に囲んでいた生徒達からどっと笑いが起きて、それをうけた恩師はお前達を受け持ったいた頃にもどりたいよ、となんとも言えない顔でため息をついたという。友人からの又聞きであるけれど、私も思わず笑ってしまった。




つい先日、通っている大学の必修授業の外部講師として、STAP細胞のあの人が所属していた某研究所の方が来た。

初回授業冒頭の軽い自己紹介で、先生は自身の学歴と今の立場をまるでマックで商品を注文するかのように思い入れもなく淡々と説明した。パソコン室内の生徒はみんな、スマホをいじる指を止め、LINEを閉じ、あっけに取られて、ただただ先生を見つめた。私ももれなく、先生を見つめた。

四流文系私大のしかもたかが一学部の演習授業になぜそのような方が。間違いなくそれがクラス29人の総意だった。


なんとか筆を選ばすという古いことわざ通り、先生はそんな私達を気にするでもなくさっさと自己紹介を終えると授業内容の説明プリントを配布し始めた。

事前学習用に配られたプリント記載されてた意味不明な用語達が、中学生でもわかるように書き直され、解説され、紙面に踊っている。しかもご丁寧にPOPでライトな絵図つき。実にゲーム・漫画好きのゆとりっ子に歩み寄ったプリントだった。

なんだ、これならわかりそうだぞと事前学習の際に感じていた不安が和らぎ、私は教室の隅でほっと一息をついた。このころにはみんなも緊張がほどけたのか、Twitterの画面を開く人もちらほらと現れる。そして誰からともなくこう呟き出したのだった。


「◯◯先生やばい、◯研だって。結構かっこいい(*^_^*)」


女子というのは自分もそうだけれど権力や肩書きに弱くて、ミーハーなものだ。7:3で女子生徒が圧倒的に多く、男性講師はお年を召された方が多いこの学部において、うら若い女子大生が、理◯で、割と若くて、高学歴な先生にときめきを感じてしまうのも有る意味自然の摂理なのかもしれない。悲しいかな異性方面のアンテナがへし折られている私は、この人すごいバンドやってそう。ギターではなくベースやってそう。とWordを立ち上げつつ1人で思っていたのだった。


授業の腕ではなく自身のルックスが女子生徒たちに値踏みされているとも知らずに、淡々と解説を終えた先生は今度は次回の授業で行う実験に関して説明をしだした。


「というわけで、以上の解説を踏まえて次回、検証のための簡単な実験を行います。実験内容は、再来週、課題レポートとしてまとめてもらうから。」


そこで先生は一息ついて、パソコン室の58の瞳を見渡した。


「実験データの分析には少し数学の知識が必要です。…一応聞いときますね。みなさん、対数って覚えてますか?ちゃんと説明できる人、います?」


………はて。

私は思わず固まってしまった。




対数って、ほら、logなんちゃらだよ。高校の時、数Ⅱでやった…

それくらいはいくらなんでも覚えていた。だが、逆にそれだけしか覚えてはいなかった。

いくら頑張って思い出そうとしても、授業中の私語に頭を赤くして怒ってた自称パグ似の数学のY先生の顔しか思い浮かばない。

当たり前だ。高校2年の三角関数のテストで赤点の半分以下、100点満点中10点をたたき出して以降、私は数学を極力避ける人生を送ってきた。この大学には英語と国語と世界史で、何とかすべりこんだ有様。


そういえばY先生はブタ草アレルギーで、よく秋になるとマスクをしていたっけ。俯きながら思い出に浸り現実逃避をしていると、生徒全員から目をそらされて、色々と察した先生が苦笑いをした。


「えー、っと。はい。じゃあまずですね。数学、苦手な人?手を上げてみて」


優しい声色だった。まるで幼稚園児を相手にする、でんじろう先生のような優しさ。慈愛を感じた。そうだよな、お前らだってゆとり教育の犠牲者だもんな。そうだよこっちだって好きで馬鹿やってるわけじゃないんだ!

そんな声のない問答があったかなかったかはさておき。

それを受けほとんどの生徒が一斉に目線を上げ、堂々と手を頭上にあげた。私も手をあげた。


「自信満々ですね」


先生は、なんともいえない顔になった。


きっと、この教室の誰かに「この前水族館行ったんですけど、干物がどこにも泳いでなかったんです」と言われても先生はこんな顔をするんだろう。会ったことも見たこともない友人の恩師も、きっとこんな顔でため息をついたんだろうと私はなんとなく思った。

若干の沈黙の後、先生は、じゃあ累乗って分かりますか?指数は?と義務教育までさかのぼって私達に解説を始めた。


懇切丁寧な説明のお陰で、翌週無事実験は終わった。課題レポート作成のため、実験終了後は各自集計した実験データを四苦八苦で分析した。先生は、男女問わず、質問責めされていた。みんな必死だった。何がわかっていないのかすらよくわからない私達に、先生は「でももうこれ以上は説明のしようがないんだけどなあ、」を枕詞として挟みながら、根気づよく解説をし続けた。

そうやってなんとかレポートとしてまとめると、先生の周りからさあっと人垣は減った。それらしい考察を考えるため、今度は自分の席で皆ひいひい言いながらWordとにらめっこする。翌々週の期限内までに私はなんとかまとめたレポートを提出することができた。


しばらくして返ってきた添削済みのレポートは、冒頭の章なんか一行に一言訂正がなされるくらいの散々な出来だった。やっぱりなあと読み上げながら肩を落としていた私は、最後のページに目を奪われた。

頭を捻って、さも理解している風に誤魔化しつつ書いた考察の3行目に、黒い下線が引っ張ってある。そこから矢印がのびていて辿ってみると、先生からのコメントが鉛筆で書いてあった。

「ここらへんは、ちゃんと専門用語を利用して考察ができていていいです。」



思わず笑みがこぼれた。

やっぱり私もミーハーだったのだ。