斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL2年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

「可」もなく、また、「不可」もない

デスクトップパソコンのモニターに、警告音とともにある一文が表示された。

 

無機質な男性の声が、不快な警告音に被さるように、表示された一文を読み上げる。

某国を名乗るその一文は、諸般の事情を鑑みた結果、我が国に最新鋭のミサイルを投下することを決定した、との旨を淡々と語っており、最後通告の思いやりなのか、正義の審判者としての慈悲のポージングなのか、投下時刻とともに我々一般国民への避難を呼びかけていた。

文章が書かれた不気味なウィンドウが立ち上がり、消え、また立ち上がり、を何度も繰り返す。

私はしばらくウィンドウの裏にあるエクセルに向かって所定のデータ入力を続けていたが、あまりにも何度も立ち上がり消えるそれがうっとおしすぎて、しかたなくパソコンの電源を切った。

 

 

家の中は少々慌ただしかった。

トスん、トスん、と乾いた音が等間隔で聞こえてくる。なんだろうと思って音のする方に行き、二階からベランダに出ると、丸くまとめられた掛け布団がよたよたと庭に転がっているのが見えた。布団にプリントされている錦絵もどきの赤い花柄が、くるくると回転して、しばらくするとこちらからは見えなくなる。

布団の横には、他の家具類や日用雑貨も散乱していた。どうやら誰かが二階から庭に家財道具を落としているようだった。

 

「避難しないと」

 

声が聞こえたのでそちらを向くと、同居している祖母がいた。

近頃は足腰が弱く、赤みがかった鼈甲色の杖を手放せない彼女だったが、私の前にいる彼女は、腹からずっしりと地に足をつけて、緊迫した表情で仁王立ちをしている。

 

 

避難って言ったって一体どこに?

 

 

私は口からそう言った、いや、もしかしたら言ってはいなかったかもしれないが、気がつくと、地元近郊で一番大きいターミナル駅JR線ホームに立っていた。

私と、母と弟と祖母がいた。あれだけ転がっていた家財道具を誰も持ってはいなかった。誰も何も手に抱えてはいなかったし、誰も何も背負ってはいなかった。駅のホームは驚くほど閑散としていて、私はみんな《諦めてしまった》のだろうか、などと思う。

ホームにやってくる在来線に乗ったとして、いったい私たちはどこに向かおうとしているのか、全く見当がつかなかった。

中部地方に住む親戚の顔が少しちらついたが、すぐにそのイメージも消え、そのうちに彼らの顔も分からなくなる。

 

ホームに突如、サイレンが鳴り響いた。

しばらく鳴り続ける。鳴り続ける。鳴り続ける。幾分長い。

それは、なおも鳴り続いて、それでやっと私はこのサイレンが、駅のなんらかの設備が鳴らしてるそれではなく、どうやらお国の国防が、今この時この瞬間に、懸命に仕事を全うしているようだ、ということに気がついた。

サイレンがようやく止まり、少しの間をおいて、今度は気の抜けた炭酸飲料のペットボトルを開けた時のような音がした。

音ともに、ヒューと心もとない煙が数筋、鈍色の空に吸い込まれていく。一本、二本、三本。出た途端から消え始める、あまりに弱々しい煙の筋だったものをみて、私は合点する。なるほど、どうやらこれが、件の迎撃装置のようだった。

とある言葉のイメージが頭の中に浮かんだ。おぼろげな輪郭だったそれは、国防の煙の筋があたかたもなく灰色の空に溶けて消えた時に、ようやくはっきりとした言葉になった。

 

 

 

あっ、これもうダメなやつだわ

 

 

 

確信を持った言葉が頭の中にこだました後、私はおもむろに、コンクリートの地面に膝をついた。次にお腹をつけて、肘をつけて、最後に頭を垂れて、真っ黒なガムの汚れが付着している地面を、ただじっと見つめた。そうして体をまるくして地面にうずくまった。

私は、私の体は出来るだけコンパクトにしておいた方がいい、と思った。出来るだけコンパクトになっておいた方が、おそらく後の人が片付けがしやすいであろう、とも思った。後の人がはたしてこの場所にやってこれるのか、やってこれたとして、私たちを片付けてくれるのかということは、この際なんでもよくて、どうでもよかった。

 

右ほほがジワリと暖かくなる。

遠くで眩いばかりの光がポーーーーンと弾けたのを感じる。

それからきっかりふた呼吸後、私にとってはたしかに2秒後に、今まで見たことも聞いたことも感じたこともない爆風と爆音が体に降りかかってきた。鼓膜が破ける、というのを今から体感するんだろうか、と思った矢先に、母が私を呼ぶ声が耳に飛び込んでくる。

汚いコンクリートの地面しか見えなかった視界の端に、母が履いているライトグレーのズボンの裾が見えた。私の名前を呼び、母は、危ないと叫びながら、どうやら、うずくまった私の体に自身の身体を覆いかぶせてきているようだった。

 

もう、私たちのまわりの、どこもかしこも「危ない」はずだった。たとえ身を呈して覆いかぶさって何かを守ろうとしたって、そんなのもう全部無駄に決まっていた。母も私も、誰も彼も死ぬのは決まりきったことだった。こんなことしても無駄だと言おうとして、自分の耳がもう聞こえなくなっていることに気がついた。視界の中の母の灰色のズボンの裾に、てんてんてん、と模様がついていく。血でできた模様だった。爆風で飛ばされた瓦礫の破片が、私たちの体にいくつもいくつも突き刺さっているのだ。

 

私は緩慢に目を閉じる。

そうして目を閉じるとそこにあったのはただの「無」で、私はその「無」の中で、自我の輪郭がおぼろげになって、跡形もなくなり、やがて消えていくのをたしかに実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い室内だった。横には丸まったタオルブランケットがあった。

横になったまま身じろぎすると、枕元に前の会社で貿易事業部の鈴本さんからもらった、ピンク色のあざらしのぬいぐるみが転がっているのが見える。

 

私は、自室で目を覚ましていた。

 

雨戸の隙間から入る日光が、室内に舞うチリやゴミをキラキラと煌めかせていて、しばらくそれをじっと見つめる。

枕元にある充電中のiPhone6を触る、647分。たしかにそこには、202078日水曜日の朝があった。

 

あの時、たしかに私は死んだはずだった。

しかし、今このとき、私はこうして、生きているようだった。

自分の生死について問える自我に生きてる実感をまざまざと感じながら、私はやけに落ち着き払った思考の中で、とある確信を得ていた。

 

さっきの死は、まぎれもなく、誰かに降りかかった「死」であった。

それは未来の私に降りかかるものなのか、この世界の過去のどこかで誰かに降りかかったものなのか、それとも未来の誰かに降りかかるものなのか、それはわかりもしないことだった。

 

しかしながら、件の迎撃装置の煙が、薄暗い空に消えていくのを見て感じたあの感覚は、この世のどこかで誰かが必ず経験したそれで、そしてこれから誰かが必ず経験するであろうそれだった。断言できた。からからに乾ききっていて、軽く息を吹きかければ飛んでいきそうで、芯がなく、重みもなく、実体もなく、論理的な理由もなく、ただ薄暗い空に浮遊して、私にまとわりついてきたそれ。一度まとわりついたらもう引き剥がせないそれ。それとはまさしく、「絶望感」だった。

 

私は、自分が記憶しうる限りの災厄を思い起こしていた。それは洪水であり、地震であり、津波であり、竜巻であり、落雷であり、噴火であり、こちらに雪崩れてくる土砂であった。それらの真っ只中にいて、あの乾いた絶望感に包まれる、私や誰かを想像した。しかし、思いをめぐらせながら気がつく。いや、でもこんなもんではない。あれはそれだけではない。あれの本質は、「人間には太刀打ちできない、大いなる自然の力」だけなどではなくて、「手に負えない大きな流れ」などではなくて、もっと根深くて、もっと卑近で、もっと身につまされるものでもあった。そう気がついた。

 

あれは、炸裂した新型爆弾でもあり、降り注ぐ焼夷弾でもあり、刃渡り15センチの果物ナイフが背に突き立てられる痛みでもあり、首を結束バンドで締め付けられた時の喉がぐっと詰まる感じでもあった。隣席の人が怒鳴られている時の会議室の居心地の悪さでもあり、「机に伏せて、心当たりがある人は手をあげてください」と言われたときの教室の空気でもあり、プラ込みの日のゴミ集積所に平然と紛れ込んできた生ゴミでパンパンのゴミ袋でもあり、雑踏の中で耳が拾った誰かの舌打ちでもあった。どれも身に覚えがあって、どこかで誰かにおこっているのを見たものであって、見たのに見て見ぬ振りをしたものであった。

 

 

 

変化の目まぐるしいこの21世記を生きる私や私たちは、多様性を重視し、慣例に捉われない自由で発展的な思考でもって、限られた資源と上手に折り合いをつけながら、常に自身や社会の生産性を高めていかなければならない、ということを、いろいろな人が思ったり、思わなかったり、声高く発言したり、発言しなかったりしている。

慣例に捉われない自由で発展的な思考をもって多様性を重視し限られた資源と折り合いをつけながら生産性を高めてく社会ーが昨今ぼちぼちと求められているのは、おそらくそれが一番、「世が持続できる可能性が高い」シナリオであるからなのだろう。

 

世は持続するべきである。私やあなたや私たちやあなたたちが、肉体維持の限界を迎え、この世から自我を持った物体としての消失を迎えたとしても、それでも世は持続すべきである。それが「良い」から、そうするべきである。なにより、持続可能性のある世の中は、それ自体が正しく、健全で、倫理的であるからして、持続ができるのだ。つまり、持続できるのが正しい世の姿で、正しい世の姿には持続可能性がある。

 

まごうことなく持続すべき、健全で倫理的で正しいこの世では、至る所でカラカラにかわいた絶望感が、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしているようだった。そうして、湧いたり、吹き出したり、浮遊したり、現れたりしたそれらは、そもそもなかったことにされたり、語り継がれたり、忘れ去られたりしているようだった。

いずれかの命が誕生し、いずれかの命が消失し、それがたまたま今日まで持続的に行われているというただそれだけの事実があることによって、私たちの世界は持続に値する世であるとー持続が「可」とされる世であるーとされているようだった。うっわ、まじかよ、それって、正気か?

 

 

 

 

寝返りを打って見たiPhone 6の画面が732分を示している。

 

私は良い加減、ベッドに横たわって天井を見つめるのをやめて、身支度をして、出勤して、労働して、退勤して、身支度をして、寝なければならないようだった。何度も何度も私はそれを繰り返して、いつまで続くかわからない連続した自我とともに、来るのか来ないのかわからない未来という余白を埋め続けなければいけないようだった。

 

カラカラに乾いた絶望感の上に成り立つことを前提とする私や世は、本当に持続「可」とすべき対象なのか、という問いについて考える。それと共に、なんらかの事象によって私や世が持続「不可」となった”いつか”について、乏しい想像を膨らませる。苦笑する。確固たる「可」も、穏便な「不可」もない。どこにも。なんだこれ、まじで詰んでるんだがどういうことだよ。

 

 

私は思考を停止させて、最寄駅8:12分発の電車に乗るために、身支度をして、家を出た。