斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL2年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

2種のチーズ入りパンという私

徒歩20分かけて来たヤオコーのパン売り場、おつとめ品30円引きシールが貼られたパンの中から、彼がおもむろに1つのパンを取った時に私は思わずあっ、と声を漏らした。


フランスパンのような硬めの生地、十文字に切られた中心には角切りのチーズが詰め込まれ、切り口から溢れたチーズはこんがりと焼きあげられて、パンの表面を覆っている。

 

小学生の頃の私は、このパンのことを《限界パン》と密かに呼んでいた。

 

密かに、というからには実際に声に出していっていたわけではない。
私が幼い頃から職を転々としていて、ついに職を転々とすることも諦めた父が、あたりまえのように無職になって。社会にも家族にも自分にももうすべきことなど何もないはずなのに、律儀に近所の24時間営業のスーパーの売り場で毎日毎日明け方に買ってきたのがこのパンだった。朝、食卓に乱雑に置かれていたこのパンをみるにつけ、私は誰にも気づかれないように頭の中で、あっ、また《限界パン》だ、と律儀に言って、全く手をつけずに家を出て、クラスに友達が1人しかいない学校へ向かっていた。

幼心に、《限界》なのはパンだけではないという強い確信があった。
働く母、薬を飲み始めてから少し落ち着いたもののまだまだ興奮するとその辺りを駆け回る落ち着きのない「なかよし学級」の弟、老いた祖母、どこからも誰からも必要とされていない父、クラスのどの仲良しグループにも入れない私。

その頃の私は、世の中には、誰も教えてはくれないけど、《限界》側の人間とそうでない人間がいる、と本気で信じていた。《限界側でない人間》にとって《限界》側の人間はいてもいなくてもわからないような「非人間」で、《限界》側の人間にとっては《限界側ではない人間》は「意味がよくわからないが、強いて言うならよく笑う生き物」で、両者が分かり合えることは絶対にない。稚拙な仮説を立てて、その稚拙な仮説になんとか納得をしていた。それと同時に、私は《限界》側の人間だけども、それをちゃんと「分かっている」ので、「大丈夫だ」と強く自分に言い聞かせてもいた。

 

 

 

 

 

また徒歩20分かけて家まで帰って、冷蔵庫の水出し麦茶を飲みながら、トースターにヤオコーで買ってきたパンを2つ乗せ、温めボタンを押した。

「ねえこのパン好きなの?」
と彼に聞くと、何も言わずうなづくので、そうか、と言って、ベットに横になってスマホをいじる。


《限界パン》が食卓に並び始めた当初ー当初なので私はそのパンが《限界》の象徴であるということをまだ認識していなかったーに、私は《限界パン》を食べてみたことがあった。

パンを包む弱々しいビニールは、パンから滲み出た油でベトベトしていて、じゃあ包装を剥がそう、とすると、粘着したバーコード付きの商品名シールやおつとめ品シールが邪魔でなかなかパンにありつけない。
やっと包装を剥がし、口に運んでみると、時間が経って硬くなったパンに歯を立てなんとか噛み切る羽目になり、噛み切った断面からはボソボソとしたパン生地とモソモソとした角切りのチーズが口の中に広がる。

 

 

端的に言えば、美味しくはなかった。

 

 

美味しくはないが、私はしばらくそのパンを食べていた。
そのパンをしばらく食べていたが、しばらく食べたからと言って、私がそのパンを美味しく感じるわけでもなくて、しばらく食べたからと言って、《限界父》や《限界家族》の状況が好転するわけではないということを察知した。私はそのパンを食べるのを一切やめ、《限界》という称号を与えた。そして、毎朝食卓に鎮座するそれを、父にするのと同じように、見て見ぬ振りをすることに徹した。

《限界父》は、それでこそ《限界父》たる所以なのか、自分が買ってきたパンが食卓で見向きもされないことをおそらく分かっていないようだった。私はそれを見て、どうやら《限界》間にも断絶というものはあるようだ、と悟った。親・子ども、男・女、かなり限界・それなりに限界。稚拙な厭世観はさらに強固なものとなった。

 

 

 

 

トースターから温めが完了した音がして、のそのそと起き上がり、温まったパンを皿の上に乗せ、座卓に運んだ。

彼は座卓の前にちょこんと座っていて、私にお礼を言い、私が隣に並んで床に座ると、ゆっくりと、あの、《限界パン》を口にいれた。

 

「おいしい?」

 

 

固唾をのんで見守っていることに、自分の体に力が入っていることに気がついた。
私は、彼に言っているのか自分に言っているのか、それとも昔の私に言っているのかわからない声をかけると、今私の隣にいる彼が、うんおいしいよと答える。

あのとき、あのヤオコーには、おつとめ品が貼ってあるパンは、他にも色々あった。砂糖がまぶされたツイストパン、クリームが挟まれたフレンチトーストサンド、ベーコンエピ、もち明太フォカッチオ。

そんな中からおもむろに選ばれたのがこの《限界パン》であった。私はあの時に《限界》と決めつけたはずのそれを、彼はおもむろに選んだのだ。意味がわからない。不思議だ。おかしい。気になる。

 

私は、彼にお願いをしてかの《限界パン》を少し分けてもらうことにした。

 

手でちぎられた限界パンを口元近くまで運び、少しためらう。
それでも恐る恐る食べてみると、温めなおしたパンの表面が歯に当たってカリ、っと小気味良い音がした。
温かくなったチーズは塩っ気があり、少し柔らかくなっているように感じる。パンの生地自体も、少し硬いような気がするが、気になる硬さではない。

しばらく咀嚼をして、そうして私はやっと納得して、言葉を発した。

 

 

 

「これおいしいね」

 

 


大学を卒業し、月給でサラリーする身分になってもう直ぐ三年が過ぎようとしている。
この三年余りの時間は、私はどうやら月給でサラリーするくらいしか金を生み出せないようだ、と言うことに気がつかせてくれたし、実際に見たり、本当か嘘かの伝聞の中で、40を過ぎた平凡なサラリーの男が直面する《限界》についての知見を深めるよい機会となった。

 

私の父は、おつとめ品の「2種のチーズ入りパン」は温めないと美味しくないということ分からず、まともな職歴を積まないまま転職を繰り返すことがどう言うことかもわからず、酒に溺れることがどういうことかもわからず、それなりに苦しんで生き、死んだ。

 

これから先の、私自身ー驚くような高さの生産性もなく変革の激しいこの世に提供できる価値を創造することもできない人間ーの人生について思考を巡らせようとすると、頭に浮かぶ言葉は《限界》の2文字以外見当たらないが、《限界パン》にも本当の名前があるように、《限界パン》でも家のトースターで温めれば以外と美味しくなるように、《限界パン》には《限界》なりの何かがちゃんとある…そんなことを思い起こしながら、生活を過ごしていくのがきっと凡人の人生なのだ、と漠然と思う。そう思う。


20時過ぎて、一斉に、続々と、数え切れないくらい、おつとめ品シール貼られるわたし達。ハイソな客はもうとっくに全員帰ってて、店内には2000年代のj-popが無限ループ。
《限界》といえば、それはそうかもしれないが、《限界》なりにもおそらくきっと、矜持はある、かもしれない。