まさかと人生
2017年3月3日正午前、弊大学の卒業確定者の告示がインターネッツの片隅にて行われた。
告示ページには、8桁の学籍番号だけがつらつらと表示されていた。番号順で。個人情報保護のためである。
先日の入社前研修から帰宅後、サイズオーバーで垢抜けないスーツを脱いで速攻、風呂にも入らず眠り込んでいた。痒い頭をポリポリと搔きながら、スマホを起動し、告示ページを開き、さっさと私は自分の学籍番号を数字の列から見つけ出す。「まーじで4月から働きたくないんですけど」などと思いながら、雨戸をあけもせずに二度寝をした。
二度寝をして、しばらくたったころである。
枕元でLINE通知が鳴り、目が覚めた。
「○○の番号なかったんだけど大丈夫かな」
友人からだった。共通の友人(○○)の番号が見当たらないという。
そんなまさかなことがあるんかいなと思い、その子の学籍番号を調べ、もう一度告示ページに飛ぶ。番号を探す、探す、もう一回探す。ない、ないのである。番号はなかった。
LINEをしてきた友人が続ける。
「○○、会社の宿泊研修で缶詰だからLINE既読つかない。だからこのこと知らないと思う」
そんなと思い、以前控えていた携帯電話のほうの番号に電話をかける。つながらない。留守電にも接続されなかった。
連絡してきた友人に、その子の幼稚園の頃からの友人である知り合いにあたって実家の電話番号を調べて連絡するようにお願いをする。
慌てて、弊大学在学生用サイトの履修要綱ページに飛んだ。卒業不可学生への救済措置等はないのか調べる。ひとつそれらしきものを見つける。本年度の履修申請時にある特定の条件をみたしていた学生にのみ、科目の再試験を実施できるという。
措置を受けるため申請方法を見ると、本日15:30までに大学の所定窓口にて受け付けるとある。後日該当学生本人が申請を行うという条件付きで代理申請も可能。しかし所定の日程以外の申請は不可という文字に頭が真っ白になる。スマホの時計は午後14時を回っていた。
フケ塗れのぼさぼさ髪のまま、しょぼくれた黒のダッフルコートを着て外に出る。
とんでもないことになってしまった、と思った。その子がはたしてその条件に該当する生徒なのかは定かではない。しかしでももうそんなことは言っていられなくて、このままほっておくと確実に卒業不可だし、もし特定条件に該当してなくて再試験が受けられなくても不可だし、いやもうどうあがいても15:30までに学校に行ってみないと不可じゃん!本当にやばい!やばかった。
電車に飛び乗ってからも頭が真っ白だった。
実家・その子の母親に連絡を取ろうとしてくれていた友人からLINEがくる。
「番号はわかったけどどっちもつながらないし、留守電にもならない」
友人に救済措置制度の説明をして、今自分が大学へ向かっていること・窓口で直にその子が条件に該当するのか問い合わせ、該当するならその場で自分が代理人申請を行うことを伝えた。
1時間ほどで大学に到着した。
学内説明会に参加するリクルートスーツたちを尻目に、やばいやばいと学内に駆け込み、窓口のチャイムをならす。
奥からカピバラみたいな顔の若いにいさんが出てきて、これこれこういうわけで代理申請をお願いしますというと、にいさんはまた奥に引っ込んでいった。
しばらく引っ込んでいて、私はまだかまだかよって待っていて、でも来なくて、うううううううううううってなっているころにおにいさんはのそのそと戻ってきた。
そして私は、確認したんですが、その学生さんは制度対象の条件に該当していないですという旨、そして救済措置対象者には別個で連絡が来ているはずだという旨を聞いた。
私はしばらく黙り込んでしまって、そうですか、わかりました、連絡が来てるかどうかは知らないです、その子と連絡が取れなくてといって、窓口を立ち去った。
校門横、旧喫煙所横の自動販売機に引き寄せられるように歩み寄ってミニッツメイドを買う。近くのベンチに腰掛けようとして、足がもつれて、転びかけた。
ベンチに座って、ミニッツメイドを飲む。
ミニッツメイドはまじでおいしかったけど、もう本当にしんどい気持ちになった。
いろいろなことが、頭の中にあらわれたり、湧き上がったり、浮かび上がったり、立ち消えたり、ささやいてきたりした。
最初に浮かんだのはその子の顔だった。
それから徐々にその子の顔の後ろに背景が浮かんできて、その背景というのは弊大学の銀杏並木だった。秋だ。秋のある日にその子とした会話を思い出したのだ。
「卒論やめようと思うんだよね」
「えーまじか、なんで?」
「しんどいし」
「まあしんどいけどねえ。書かなくても卒業はできるけど、君のところの教授さ、卒論書きやがれカス!書かねえやつは大学の屑!って煽ってくる感じの教授じゃん。卒論かかないとゼミの単位とかやばくなるんじゃないの?」
「ん、だからゼミ論にするよ」
「あーなるほどその手があったか~~」
「でも会社の研修と部活と入社前までに自動車免許取らなきゃいけなくて、全然ゼミ行けてない」
「まじか」
その子と銀杏並木は徐々に頭から立ち消えて行く。
次に浮かんだのは、大教室にひしめくいくつもの目、目、目だった。
私は壇上にいて、卒業論文の発表準備をしていた。
私は公の場で発表や発言をする際、かなりの確率で緘黙をしてしまう。なので事前に家で何度も何度も練習をして、もう寿限無をそらんじるように発言内容を一字一句を暗記して、発表に臨んでいた。
壇上で一人、腕時計に目を落とす。タイムキーパーの学生の方を見る。苦笑いが帰ってきた。私も苦笑いを返した。なんと、私の担当教授が遅刻していて発表を始めることができないのだ。
壇上から上手側の席を見る。不機嫌な顔をした発表評価担当の教授が座っている。
数分遅れて教授はやって来て、発表は行われた。
緘黙することなく発表を行った。質疑応答の時間になる。評価担当教授が手を挙げた。私の実験方法の不適切な点を淡々と述べ、具体的な代替案をどや顔で言われる。
私は思わず担当教授を見た。
教授はそっぽをむいている。
代替案というのは、以前私が提案していた方法だった。でもそれを担当教授に反対され、私はそれを「納得させるのが面倒くさかった」ので、研究方法を教授の指示通りに変えたのである。
それまでの学生たちはべた褒めだったのに、と頭が真っ白になる。
私はたくさんの目の前で、ひとり、ただ、緘黙をしていた。
ぞわぞわするような不快感は徐々に立ち消えた。
私の頭はまた別の風景を思い浮かべていた。
新宿の曇った空。どでかい自社ビルに私は意気揚々と駆け込んでいった。
信じられない気持ちでいっぱいだった。給料がいい。本当に給料が良い。福利厚生もちゃんとしている。よかった。父、やったよ。母、やったよ。これならきっと知的障害のある弟を食わせて行けるし、私も自立した生活を送っていける。やった。父、やったよ。
エレベーターを上がって、豪華な応接室で交通費をもらう。
しばらく待って、でかい会議室の前に誘導される。
「ノックを3回して入ってくださいね」
綺麗な女性社員にささやかれて、私は会議室に入った。
怖そうで偉いんだろうなっておじさんが3人いた。
私はそこで父親の顔を思い出した。えらいおじさんになれずにアル中になり退職しアルバイトになり無職になりみじめに死んでいった父の顔を思い出した。
体中がこわばって、のどが鉄パイプのように固くなって、動かない。
そんな馬鹿な、あれだけ練習をしたのに私は緘黙をしてしまったのである。
気がついたら手元のミニッツメイドを飲み干していて、そんでもって頭に浮かぶよしなしごとは立ち消えていた。
ゴミ箱に缶を捨てて、立ち上がる。
帰りの電車に揺られながら、私は、人生というものが途方もなく、怖くて怖くて、たまらなくなった。
あの子の卒業不可も私の卒論の酷評・就活失敗も、また私の父の転落と死も、言ってしまえば、予兆を見逃した各個人による自業自得である。
あの子は卒論執筆を断念することも視野に入れてもっと余裕を持った履修計画を組むべきだったし、私は教授とバチバチになってでも自分がやろうと思った研究方法を通すべきだったし、就活をする前にカウンセリングなりなんなりに通って心の問題を解決するべきだったし、父が酒におぼれ始めた時に周囲は何が何でも止めればよかったのである。
物事にはすべて予兆がある。
私たちは考えることができる葦なのだから、常に将来を見通し、予兆を察知し、現状を的確に把握し、決断し、行動していくことができるはずだし、そうしてしかるべきなのだろう。当たり前だ。そんなのはわかっている。そしてそういうことができる人間だけが生き残っていくことができるのだろう。
だがしかし、世の中の人間がすべて、そんな簡単に、「考える葦」でいれるわけではないんじゃないだろうか。
わたしたちは多分、日常の中にたくさん紛れる予兆を気づかずにスルーしたり、あるいは気づいていても取りこぼすといったことを繰り返している。
こうありたい
こうであってほしい
めんどくさい
こわい
しりたくない
そういったいくつもの感情が、私たちを簡単に「考える葦」から「愚かな動物」に変えてしまって、そうして、たぶんそこから。たくさんの不幸や理不尽や悲しみや憎しみが生まれているのだろう。
人生には沢山のまさかがある。
まさか、は怖い。だって急にくるし、乗り越えるのは大変だし。
でも何よりも、まさかが発してくれた予兆を見す見すしてしまうであろう自分が怖い。
人生というものはただでさえ不確定で、果てがみえなくて、理不尽で、道しるべがなくて、混とんとしているのに、私たちが知る以上にたくさんのまさかがある。
そんなことに気がついてしまって、怖くて怖くて、途方に暮れている。