目黒線でナンパしてきた男の人の心を解体新書しようとした話
自称メンヘラが心理学部に行ってよかったなあと思ってる理由2つ
1.「誰かに自分のことをわかってほしい」なんて思わなくなる
2.自分の感情を分析できるようになることによって、感情に振り回されてヘトヘト…ってのが少なくなる
(500)日のサマーをみて、自分のトラウマをお焚き上げた話
まずトムについての考察を。
しかし、途中で深淵に除き返された
キモい私は、初めてできたキモい異性の友人とキモい関係になってしまい、それが嫌になってブッチした
結構身勝手な話します。当人含め、読んで不快になる方もいるかもしれない。一応ボカシはいれている。
呪いと絶望は、祈りと希望でもある
端的に言うと、失恋をした。
失恋をした、というかこれ以上あるかないのかわからない、あのこの脈を盲信し、進展を祈る気力がなくなってしまったというのが正しい。魔法がとけてしまったとでもいうのだろうか。
あのこというのはもちろん前回の記事http://ttt414141.hatenablog.com/entry/2015/04/16/231221のあのこである。
一回目のデート以降放流され、Facebookからの通知でご存知であろう私の誕生日もスルー。それでも恋に落ちた私は猪突猛進、痛々しく健気に、ここ1ヶ月ほど週一のペースでLINEを送っていた。喰いつきは割といいのに、進展はなかった。しかしつい先日、玉砕覚悟で食事に誘ってOKを貰って大喜び…からの「共通の友達も誘おう」である。
ずこーーーーーーー
という効果音が頭の上に浮かんだのも無理はない。
もっとショックを受けるものかとも思ったけど、案外冷静な自分でいられたことに驚いた。まーやっぱなという気持ちと、なんかもうどうでもいいんですけどという気持ちを噛み殺しつつ、私は女子会を企画する幹事のようなLINEを「彼」とした。
激萎えで過ごしていた折、はてなブログを回遊していて、とある方の記事に行き着いた。
http://papuriko.hatenablog.com/entry/2014/12/16/110508
引き込まれるように読みはじめ、沼に沈むように読みふけり、読み終わる頃には体力を一気に奪われたかのような倦怠感に包まれていた。そして思った。
お、大人って、つれーーーーーーーー
放流、喰いつき、回遊ときて釣れ、いや辛いである。
著者の方とここに登場する元魔法少女さんは、私のようなケツの青い「ガキ」ではなく、酸いも甘いも経験された「女性」なのだと思う。だいたい私は処女だし、いない歴=年齢だし。異性から選ばれる、あるいは性的な接触をしていない時点で私はまだ女子でも女性でもない、私はただの子どもなんだ……なんて言い出すときりがないので本題戻します。
ようするに、魅力的な熟練の釣り姐様たちでもこんなめにあっているのだ。恋愛経験のろくにない私のようなクソガキがうまくいかなくて、慶応ボーイに放流されるなんて、本当にたいしたことないし、ありふれてるし、てか本当にたいしたことないんだと思った。私的にはあのことの時間は一春の甘酸っぱい想い出だったけど、この甘酸っぱい想い出は瓶に詰められて大量生産されてるアオハタのイチゴジャムと本質は変わらない。アオハタは美味しいけどもね。
「あのこ」に恋していたときの「私いま、この恋物語の主役なの」とドヤ顔して生きていた様を思い出して急に可笑しくなった。爆笑した。結局私は魚っていうより、蛙だったみたいだ。自意識の中のかわずだ。
棒切れにタコ糸つけたおもちゃの釣竿で、田んぼの隅っこで、黒光りするランドセル背負った慶応ボーイに釣り上げられたウシガエルだったのだ。
性的な魅力があり、牧場の羊にある意味で選ばれた元魔法少女さんとは異なり、私はなにもなかったかのように生簀から川へと放流をされた。
この選ばれなかった事実を無理くりポジティブにとらえるならば、中途半端にヤることやっちゃうところまで進めなかったのはある意味で私にとって幸福なことであったといえる。
向こうが私の地雷を感じ取ったというか、特に食指がそそらなかったというだけなんだろうけど、気まぐれ起こされてヤられでもしたら、まじで私、魔女化待ったなしだった。性的な魅力がないというのも、神様が与えてくれた一種の自衛の才能なのかもしれない。
なにはともあれ、これでまた笑い話ができた。人生初のデートは楽しかったし、いい想いもできた。それで私は、蛙は、十分である。
希望が呪いをうむとしても、希望のない世の中を生きれるともおもわないし、生きようとも思わない。強がりだけど、今はそう信じている。
最後に釣り師の彼に一言だけ言いたい。
ずっといいたかったけど、履いてた靴、カブトムシのメスみたいだったね。
恋に落ちた話
恋に落ちるという言葉があるのは知識としては知っていたけれど、まさか自分がその沼にはまるとは思わなかった。
その子とは先日行った国際ボランティアで知りあった。笑顔が素敵で、子どもに好かれて、純粋で。
理屈抜きでまさしく「落ちた」。本当にあのことずっと一緒にいたいと思う。と同時に、ただただあのこには幸せでいてほしいという思いもある。その二つがせめぎ合っている。
何気無くLINEしたら食事に誘われて、歯矯正してて汚ないから映画いこうっていって映画みて。人生で初めてのデートだった。本当に。楽しかった。彼氏いる?って聞かれてすごく心臓がどきどきした。やっぱり付き合うなら年上がいいのかなって、もうそんなのなんでもいいわ。
どうしても会いたくなってもう一回こっちから誘ってみたけど忙しいからって謝られた。あーもうそうだよね、忙しいよね。ごめんごめんLINEして。
初恋は実らないという格言通り、多分なんかもうダメだとは思うけど、一つだけはっきりとしていることがある。かの大槻ケンヂさんもこう言ってる。
そして、「でもやれたからいいか」とつぶやける度量があれば、ストーカーなどになることもない。
「で、でも、まだやってねーんだよーっ!!」と、お嘆きの方々もあろう。
そういう場合は、二人の関係性の頂点と思える段階を、「やれたから」の部分に置き換えてみるとよい。
「でも、抱き合えたからいいか」そこまでも到っていないとしたら、また入れ替えてみたらいい。
「でも、キスしたからいいか」「でも、手をつなげたからいいか」「でも、ドライブに行けたからいいか」
「でも、映画を観たからいいか」「でも、一緒にお酒を飲めたからいいか」「でも、告白できたからいいか」
「でも、声をかけられたからいいか」「でも、目と目が合ったからいいか」「でも、出会えたのだからいいか」
「でも、そこにいてくれたのだからいいか」「でも、生まれてきてくれたのだからいいか」
あのこにはこれから先、ただ幸せに自分らしく生きていってほしい。ただそれだけ、ただそれだけだ。
ぜんぶ、妖怪のせいだ
今、妖怪ウォッチがちびっ子達の心を鷲掴みにしている。
国をあげて失敗作だと名指しされ、教育方針の改正でもはや無かったことにされそうなゆとり世代の一員である私は、そんな妖怪が覇権を握る現実を見るたびに、なんだかとっても寂しくて、切ない気持ちになる。
私が小学生の頃、一斉を風靡していたゲーム・アニメといえば、ポケットモンスター略してポケモンだった。
今となっては分厚くね?!とNOWなちびっ子達に馬鹿にされそうな懐かしのゲームボーイアドバンス。起動するとキーンピュイーンって、めっちゃかっこいい音がしたあいつ。
誰かの家の通信ケーブルを使って友達同士通信して、男の子女の子問わず夢中にポケモンマスターを目指していた。そういえば、たまごっちみたいなピカチュウ育成携帯ゲーム機もあったっけ。万歩計みたいなやつ。名前忘れた。
例に漏れず、当時小学生だった私のお気に入りゲームも、とっとこハム太郎3ラブラブ大冒険でちゅとポケットモンスターのエメラルドだった。
今となってはポケモンと同じく、ハム太郎さんも現役を退いた感がある。もう完全に自分は子供というカテゴリから切り離されつつあるってことなのだろうか。ブログを書きつつそんな事実を否応に実感し、ちょっと切なくなる。冒頭で言った寂しさ、切なさは多分ここから来るのだ。正直、この前出た成人式より胸に来るものは大きい。
私はまだまだ子供でいたいんだーとばかり、カラオケにいくとめざせポケモンマスターを歌ったりする。ストーリ性の高い歌詞を気持ちよく歌い切った後、ふと思う。
ゲラゲラポーとヨーデルヨーデルは紅白に出れて、なんでこの曲はダメだったんだろう。ポケモン世代の私はやっぱりどうして肩入れしてしまうのだ。
百歩譲ってまだゲラゲラポーはいい。なんかこう、ネットで繋がってばかりってどうなの?!みたいな気持ちが伝わらなくもないから。
でもヨーデルはダメ。朝眠いのも、僕ちゃんイケメンなのに振られたのも、ピーマン食べれたのも、うんちが臭いのも、それはそういうものだからです。仕方ないです。むしろピーマン食べれたのはお前の努力の成果だわ、自信持て。
でもあの歌ってる子達はみんな可愛くて正直好きです。
小さな頃は、20歳になれば、自分は大人になれるもんだと思ってた。でも実際はそんなわけなくて、自分から大人にならなければ、一生歳くった子供のまんまってことに最近気づいたのでした。