斎藤はどこへ行った

ベリベリエモーショナルOL2年目(元大衆大学へっぽこ心理学部生)

目黒線でナンパしてきた男の人の心を解体新書しようとした話

 

 
祝日の早朝の車内、人はまばら。
最寄り駅から車両に乗り込んでいた私は、端っこの席で来月末のtoeicのためにダラダラと単語帳を見ていた。
私の座席の列には誰も座ってなくて、しばらく気楽にガタンガタン。こりゃー寝るぞと思った矢先、どっかの駅で「寒みーな」とデカめの独り言をつぶやきながら、人が隣に座ってきた。
 
その独り言が、まーわりと結構デカめで。
 
私は、高校のクラスにいた、イケメン高身長&サッカー部という恵まれたスペックを持ちながらも独り言の多さとナルシスト傾向の強さから、男子たちからややハブられ、女子からは遠巻きにされていた田島くん(仮名)のことを唐突に思い出した。そして、あーそういえば元気してるかなあと感慨に浸っていた。
 
「寒いっすね」
 
だから、隣からそう話しかけられて、驚いた。「ん???あれ?田島くん??!大学では上手くいったの??!!!」と脳内はてんやわんや大混乱し、慌てて隣を向く。
 
そこで目があったのは3代目のがんちゃん似イケメンの田島くんじゃなくて、宮川大輔を綺麗にした感じのおにーさんだった。まあ当たり前だ。ちなみに、この大ちゃん似おにーさん、酒臭かった。
 
「寒いですね」
 
あーこれ酔っ払いだわ、絡まれたわと直感。反射的に返答をした。
 
このおにーさん、足元は石原純一よろしく素足で、半端丈パンツに高そうなとんがった革靴という出で立ちだった。靴擦れの目立つ足首がもろ露出。だから寒いんだよ大輔。
 
「おねーさんそれ☆○*¥っすか?」
「え??」
「だから、それ、とーいっくすか?英語勉強してるんですか?」
 
おにーさんの声は呂律が回ってなくて聞き取りにくい。でも彼はどうやら私の手にある単語帳に関心を示したようだった。
 
「はい。そうですね」
「なんで?なんでとーいっくやるの?」
「えーー?まぁ、自分の英語力を試してみたいからですかね」
「ふーん。おねーさん大学生だよね?慶応?」(沿線に日吉・三田両キャンパスがある)
「いや、そんなわけないです」
 
 
本当は就活の履歴書にかければいいな〜と思ってのことだったけど、なんか就活の話して年齢が分かるのがだるかったから、話を濁した。し、大学も濁した。
 
「今度お茶しよーよおねーさん」とLINEをきかれた。ここで、「あ、これってナンパなんだ?私ナンパされているんだ」と思った。20年生きてきて、人生数えるほどしかナンパをされたことがない。最寄りの駅の高架下でバングラデシュ人に「オネーサンカワイネーso beautiful.coffe飲まない?」って可愛い笑顔で握手をされた記念すべき初ナンパ以来、半年ぶり2回目のナンパであった。
 
ああーおにーさんのID聞くんで、あとから友達申請します〜っつてかわした。「まーそういってさーみんな逃げるんだからー。別に良いんだよ俺はさ」と言われる。おにーさん慣れてる。
その口ぶりから色々な人に当たってくだけていそうなおにーさんの姿が浮かんできて、あーナンパも飛び込み営業もそんな変わんないんだなぁとか思ったりした。ある程度自分の中の「何か」を捨てないと取り組めない作業。自意識過剰、臆病な自尊心、尊大な羞恥心………果たして私に出来るだろうか。ふと思う。
 
「てかさ、とーいっく受けるんだ。でもさーそれってあれなんだよね、日本人と韓国人向けに作られてるテストなんだよね〜」
「はぁ」
「今、酒臭い奴に絡まれてめんどくせーなーって思ってる?」
「いやぁ、特に」
 
ちょくちょくこういう風に、おにーさんはこちらの心を探ろうとする態度を提示してきた。「今こういう風に思ってるでしょ」「こう考えてるでしょ」
心理学部生の端くれだから、この提示の意図するところはなんとなくわかる。
多分、おにーさんは俺はお前の心を把握してんだよと見せかけることで、この会話の主導権を握ってコントロールをしようと思ってる。そんな気がした。その推測を裏付けるように、おにーさんは一方的に自分を大きく見せるような話を饒舌にし始めた。
 
「俺は、今度さ、会社から#@☆♪(後から調べた。おそらくIELTSと言っていたと思われる)受けるように言われてんだよね。ほらあのさーTOEFLみたいなもんでさー。言っちゃえばさ、とーいっくとは全然レベルが違うわけよ。」
TOEFLは知ってます。すごいテストなんですね。TOEFLとかと一緒ってことは、スピーキングとかもあるんですよね?大変そう」
「英語なんてたいしたことないよーはなせるはなせる。俺はさ〜」
 
ここから英語話せる俺エピソードみたいなものを話される。すげー長かった。割愛。
 
「なんか話しててわかるわーおねーさん意志が強いね。自分を持ってる」
「あ、そーですか。ありがとうございます。どんなところでそう思いました?」
「俺も割と自分持ってるって言われんだけどさ」
「あーーー(笑)はい。(…….スルーかよ)」
「今仕事辞めてさ、独立しようと思ってんだよね。」
「へーそうなんですね。てか、社会人の方だったんですね。」
「学生に見えたー?」(おにーさん結構ご機嫌に)
「えーおいくつですか?」(←とりあえず聞いた)
「25」
「えーーーーーーーー」(取り敢えず言っておいた)
「見えない?」
「びっくりしました(社交辞令)」
 
ここからおにーさんは今働いているところ(法律関係)の話と年収の話(年収500万)と新規で事業を立ち上げようとしている話をしてきた。ファスティング事業を立ち上げたいらしい。ファスティングって初耳だったので尋ねてみると、酵素?を使った断食のことを指すみたいだった。断食=ラマダンって認識だったので驚く。なんなんだろう。おしゃれヘルシーファッション断食がファスティングで、ガチ勢がラマダン?どちらにしろお腹減っても何も食べないなんて、複雑怪奇だ。
 
そんなことを思いながら。なんか新事業の話は特に聞いて欲しそうだったので、うんうんと深掘りして話半分に聞く。ファスティングの良さについて熱く語られる。最初は辛いけど、ある一定の日を超えると頭がめちゃめちゃ冴えて気持ちいいらしい。え、それって普通にヤバくない??大丈夫なの?
車窓に多摩川が映る。電車がガタンゴトンと多摩川を越える。
なんか、自身でもファスティングするらしい。14日間。やべーな。普通にガチ勢じゃん。
 
「俺の身の回りのやつはさ、皆頭良くて優秀で稼いでるわけ。だからさ、俺もこーんなね、500万ぽっちで使われるんじゃなくて、何かデッカいことしたいわけよ。バカなりに何かやってこうって思ってさ、それで、このね、ファスティングをってわけ」
「(だんだん酔いが覚めてきたのかな、饒舌になってきた)でも、20代で500万って今でも十分すごいですよ。比べてる周りの方がすごすぎるだけじゃないんですか?」
 
話を締めつつ、おにーさんは急に自分を卑下しだしたので、とっさにフォローした。私の父は、私が中学に上がった頃から無職&アル中で、その後病気で結局死んだので、20代で500万稼ぐとか十分すごいじゃんっていうのは、心からの賛辞の言葉であった。労働is尊い。
 
「いやー確かにね。この歳で俺くらいの給料もらってる奴なんて全体の☆♪%だって、わかってるけどね。」
「………………(いやーーーー切り替え早!てかあんま気にしてないんやないかーーい!自虐風自慢だったんやないかーーい)」
「やっぱなんだかんだ俺の周りはみんな優秀なのよ。なのに俺なんか、偏差値65だからさ。私立☆☆☆☆なのよ、出身。知ってる?中高一貫のとこ」
「わーー知ってまーすすごーい」(知らない)
 
こうなってくると茶番だった。もういっそこの電車を降りてしまって次の電車を待とうにも、そうすると目的の時間に間に合わない。だるすぎる。
ならば私はここで、このクソくだらないなんの生産性もない会話に何か目的や使命を設定しようと思った。そうじゃなきゃやってらんない。電車に乗る数十分の精神的健康をゴミ箱に捨てたくない。ただ、酔っ払いナンパ師のクソつまんねー話を聞いてなんだったんだよもーとモヤモヤするより、この会話を通じて何か発見や新たな学びを得たかった。
 
ここでふと思った。ナンパ師の心を解体新書してみたら、面白いんじゃなかろうか。
 
 
 
 
 
心を解体新書と一口に言っても、その切り口は様々ある。とりあえず様子を見る質問でジャブを入れてから様子を見よう、そう思った。
 
 
 
 
 
「昨晩はお酒、飲んだみたいですけど、どこで飲んだんですか?」
 
まず、手近にした行動から探りを入れようと聞いてみた。人の価値観は行動に現れる、はず。「どーせ若い女or綺麗な若い女と昨夜もよろしくやってたんだろう。そっから好みの女の傾向でも探って、手始めにナンパ師がどーやって女と出会うのかでも聞き出せたら」と踏んでいた。
 
「あれだよー〇〇(沿線某駅)でねーおねーさんと飲んでた。35歳。結構よかった。俺の将来の展望についてきてくれそうな感じで。」
 
正直衝撃だった。それは、えーーめっちゃ年上攻めんな、10個上?!!ってのがひとつ。次にブサイク+低身長+性悪+ナンパマスターでサークルの後輩女子を格安キャバ嬢のように扱ってたくせに超絶人望はあった大学の男の先輩×2(現在大手商社・銀行に勤務)もこぞって年上好きだったなぁ、この人もなのか、、ってのがひとつ。
(彼らのことは後々文章に起こしたいと思う。)
 
そして、おにーさんの声のトーンが存外に真面目なものだったっていう点がひとつ。おにーさんの目に浮かぶこれまでの軽薄なものとは違った何かを、私は感じ取った。
 
ここはもっと深く聞き取りをしたほうが良いポイントなのでは思った。この人はなぜ35歳の女性をナンパしたのか。いや、そもそもおにーさん含めナンパ師はなぜナンパをするのか。女とやりたかったら風俗に行けば済ませられるのに、なぜナンパするのか。ナンパをする際、どんな相手とのマッチングを求めるのか。そして、私の出会ってきたナンパ師はなぜこぞって年上が好きなのか。
 
これらの根底にあるテーマ「ナンパ師はナンパに何をもとめる傾向があるのか」を今回の被ナンパ兼世間話兼インタビューで解明の糸口を探してみたいと思った。お口の形勢逆転、今度はこちらがグイグイだ。まず、このおにーさんその35歳の女性のどのような点に魅力・マッチングを感じたのかを聞き取り調査したいと考えた。おにーさんの「理想の良い女」を探り、ゆくゆくはその女を手に入れて「俺が」どうなりたいのかの解明まで掘り下げていければとワクワクドキがムネムネだった。
 
「その展望についてきてくれる感じっていうのは、具体的にどういうことですか?」
「えー。俺はさ、ゆくゆくは海外に行くっていう方向性があるわけ」
「はい」
「そーゆーときにさ、英語もろくに話せないのにただ俺の言いなりになってついてくるだけ、あるいはそんなところまで行かないでって止めてくる人は無しなんだよね」
「おんぶに抱っこでは困る、と。つまりある程度の意思だったり展望、あと向こうでで活動できる語学力をを女性自身にも持ってほしい、ってことで合ってますか?」
「うーんまぁ、そんな感じかな。頼られてもさ、向こうで俺がどうなるかなんて誰にもわからないんだしね」
「その、これは言える範囲でいいんですが、昨晩の女性のどういう態度だったりで「この人は大丈夫だ」みたいに思ったんですか。気になる」
「その人もふつーにバリキャリしてる人でさ。上昇志向が強いのが会話の端々で伝わってきた。」
「なるほど。」
「てか、おねーさんいい匂いするね」
「はぁ、そーですか(話はぐらかされたー)」
 
 
おにーさんはズケズケ言ってくるのが気に食わなかったのか、警戒をしてしまったのか、そこから話を煙に巻いてしまい聞き取りは断念せざるをえなかった。無念。
 
おねーさん彼氏は?いないの?どれくらいいないの?クリスマスはどうするの?肌綺麗だね。スタイルいいね。コートの色お揃いだね。
そこからのテンプレートマシンガンを鉄仮面の笑みと定型あいづちで切り抜け、気がつくと電車は私の降りる駅に到着していた。私は試合に負けた気分だった。
 
「じゃ、どーも」
「どーせ俺のことなんて忘れると思うけど、元気でね。おねーさんお持ち帰りしたかったわ」
 
本当にこの平成27年のご時世に「お持ち帰りしたい」なんて言葉を使う人いるんだ、と思いつつ私は適当に即答した。
 
「おにーさんのことは忘れると思いますけど、ファスティングのことは多分忘れないです」
 
 
 
ごめん、おにーさん嘘でした。いえーい、みてる?ちゃんとブログネタにしたよ。
 
 
 
 
 

自称メンヘラが心理学部に行ってよかったなあと思ってる理由2つ

 

タイトル通りです。私は中高をメンヘラとして過ごしてきました。そんな私が大学では心理学を専攻し、よかったなと思っている理由を述べていきます。
 
 

1.「誰かに自分のことをわかってほしい」なんて思わなくなる

 
Twitterやリアルでエンカウントしたメンヘラな人たちを見ていると彼らは口々に「誰も私のことを分かってくれない」と嘆いていらっしゃいます。そういうのを見てると、ああ彼らは「自分を分かってほしいんだな」って感じます。かくいう私もそうでした。
 
しかし、心理学を学部レベルで齧るとわかるのですが、まじで人の心って果てしない。この薬剤にこの液入れれば、絶対こうなるっていう化学とは違い、皆さんもご存知の通りこの人にこう言えば、その人は心で絶対こう思うってのはないんです。同じ「お疲れ様です、」って言葉をかけても、AさんとBさんでは意味の捉え方も、そのあと思うことも違う。
 
何か事象が起きた際の心の反応(=事象に対する認知とそこから派生して生まれる感情)って、確かにそこにはあるのに、無限の可能性とパターンを秘めている。
 
客観的にその仕組みの全てを観察しようなんて不可能な話。私の心を分かってったって、そんなの分かりようがない。心って下手したら、宇宙みたいなもんかもしれません。
 
だからそんな無限大の心を研究する心理学では、様々な分野から「心ってなんぞや」ってアプローチをしています。心理学って聞くと、心病む→よっしゃカウンセリングみたいな印象つよいですけど、心理学って意外と色々な分野があるんですよ。臨床心理学、生理心理学、家族心理学、発達心理学、社会心理学教育心理学認知心理学産業心理学、パーソナリティ心理学、コミュニティ心理学、犯罪心理学
 
分野によっては、学ぶ・研究をする上で医学の知識が必要だったり、仮説を検証するために実験をして、結果を統計にかけることもあります。生理心理学とかはもろ理系で水槽を牛乳で満たしてそこにネズミを泳がせる実験したり、うん。
こうしてみると心理学って結構ね、手びろくいろいろやってるんです。それでもじゃあ心って何?という問いに対する具体的なコレという答えは分かってない。
 
心って何?そんなの具体的に物体としてあるわけじゃない。客観的に観測できないものを学問として追求するって哲学と変わんなくね?心理学の専門職志望は別として、学ぶことによってなんかスキルアップに繋がったりとかすんの?とかいわれたらまじそれまでです。ですが、職業選択やその後のキャリアにかかわらず、心理学に触れることで「私たちはよくわからん心というものをもっている」と認知することって意味があるんじゃないかなと思います。
まあ要するに、心理学を学んでの個人的な体感を述べると、あんたの心もわからんし、私の心もわからんわ、って気がつけて、余計な落胆とか恨みとか喧嘩とか失望とか減って、精神健康上とても楽だよってことです。(当社比)
 
 

2.自分の感情を分析できるようになることによって、感情に振り回されてヘトヘト…ってのが少なくなる

 
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ストレスも溜まります。私まだ学生っていういいご身分ですけど、ニュース見たり、本読んだり、お母さんの愚痴聞いたり、おばあちゃんの苦労話きいたり、バイトで嫌な客の対応したり、就活始めてみたり、はてなとかTwitterで色々な人の話を聞いてると、世の中って本当歪んでるしやべーなって体感します。
 
だいたいみんな、自分のことしか考えてないし、自分のことが一番可愛いんですよね。だから、すごい身勝手なことしてきてこっちがばっちりくらったり、こちらのとこ知りもしないのに決めつけて腹立つこと言ってきたり、本当に人間って面倒くさい。
 
そういう時、イラーーーーーーーーっとしたり、はぁーーーーーーー???ってなったりするのはもう当たり前だと思うのですが、そういう湧き上がってくる感情ってものすごく疲れる。本当に疲れる。
 
そういう気持ちが湧き上がってきた時、どう対処しますか?お酒を飲んだり、やけ食いしたり、セックスしたり、運動したり、自分より弱い立場の人間を攻撃したり…色々方法はあるかと思います。
 
心理学を専攻すると、自分が不快な気持ちになった時に、その気持ちが「何によって引き起こされるのか」「どういう状況でより強く感じるのか」「今不快な気持ちになったが、具体的にどのような状況に変われば『不快でなくなる』のか」といった自分の感情の分析方法について体系だって学ぶことができます。これは臨床心理学分野で徹底的に叩き込まれる思考方法で認知行動療法と言われていて、これは結構、今学会ではどーなのって声も出てたり、やろうとすると最初は糞めんどいんですけど、やってくと割りかし楽しい思考法?です。
 
この思考方法のよいところは、分析をすることによって、不快感情を防ぐための具体的な方略が取りやすくなることです。
 
なんかイライラするーっていうのと、こういう状況でこの人にこう言われるとこう嫌な気持ちになるって分かるのとでは、だいぶ違うのではないのでしょうか。
 
 
以上。独断と偏見でした。
 

(500)日のサマーをみて、自分のトラウマをお焚き上げた話

 

 
勝手にフォローをしている某女史のTLがこの映画の話題で持ちきりだったので、遅ばせながら(500)日のサマーをTSUTAYAで借り、みてみた。
 
おしゃれでキラキラしてポップな画面の間から人間の業がちらついて見えた気がした。男も女もみーんなどうしようもなく不完全で、しょーもなくて、生臭くて。良くも悪くも、この映画の人たちって「生身」だなと思った。いやーでも改めて、生身の人間っ身震いものだって痛感。存在そのものが闇、深淵って感じ。
 
きっとお洒落でポップで可愛くなきゃ誰もこんな深淵、すすんで覗かないだろう。もし深淵から覗き返されでもしたら、たまったもんじゃないし。
そう考えると、この(500)日のサマーは「おい!みろ!ここに闇あんだぞ!?わかってるか?!スルーすんじゃねえ!」っていうキツーイお節介をすすんでしてくれるありがたーい映画なのかもしれない。お節介がありがたいかは別として。
 
前置きはこれくらいにする。
 
以下、女史達のTLで散々叩かれてたトムの深淵を見つめてたら、うっかり過去の自分のトラウマをほじくり返してしまった話をネタバレをしつつ順を追って述べていきたい。要は、案の定深淵に覗き返されたってとこです☆くわばら!!!
 

まずトムについての考察を。

私は、トムの痛さの根底は、自己認識を見誤り「自分は特別である」と思っている点だと思う。
自分は特別と思っているから「運命の人(=自分の理想に合致し、なおかつ本当は建築の仕事をするはずだったのにグリーディングカードを作成している《まだ本気出してない気だるげな俺》をステキと思ってくれるイケてる女)」と「出会え」た上で「結ばれる」と信じ込めるのだ。だって俺はそのスペシャルな女に値する特別な人間だから。
 
そうはいっても正直、何をもって人が誰かを「特別」とするかは色々な物差しがこの世の中にはあるのでなんとも言えない部分はある。
けど、この映画でトムはサマーから「トムは(サマーにとっての)特別ではない」と言われてしまう。これが真実だ。少なくともサマーの中のトムは、特別ではないのだ。
 
 
また、トムの言動はすべて「自分が特別である」という思い込みによって、歪められていて、なおかつ、特別である自分をどうにか守るために肝心なところで受け身的である。まじでなにこれ、アメリカ版おしゃれ山月記
 
だから、この映画で関係が進行するときは全部サマーが行動を起こしてくれてる。サマーにとっては、傷つくことなんて髪の毛切った時痛くないわってくらい、どうってないことだから。
あたしもSmith好き♡って言ったのもサマー、友達になろ♡って言ったのもサマー、キスしたのもサマーから、雨が降る夜の中「ごめんね、だいすき♡って謝りに来たのもサマー、結婚式に向かう車内で「久しぶりー♡」ってしたのもぜーーーーんぶサマー。
 
だから映画でトムを見てて、私は大嫌いなラノベのやれやれ系主人公を思い出してイライラした。
 
俺は別にどーだっていいんだけどね、なんかイケてる女(サマー)がお友だちになりましょうって言ってきてさー。俺全然そんなグレーなカンケーとか余裕だからさ、てか絶対そのうち俺に落ちるし。まっ、とりあえず受けてやったわヤレヤレ…………
 
 
……やれやれしたいのはこっち。観てる側である。お前、臆病な自尊心と尊大な羞恥心で見事に深淵に引き込まれてるぞ、気づけ。やれやれしてる場合じゃねーよ、と突っ込まずにはいられない。
 
心で思っていることは行動に現れるから気をつけなはれやという先人の言葉があるように、トムの中の深淵は物語の進行とともに暴走を始め、関係の破綻の要因となる。
サマーの部屋入って、彼女の夢の話聞いてポーカーフェイスで内心ドヤったり、めちゃ歳の離れた妹に何の生産性もない一人語り(相談に非ず)したり、折角気を利かせて話を聞いてくれた普通女子アリソンにおめー何様だ?みたいな態度を取ってみたり、結局惰性でしてる仕事でだって、周囲に当たり散らして…。もうやめてくれと言わんばかりの深淵っぷりだ。
 
 

しかし、途中で深淵に除き返された

 
 
とまあ、こんな風にお、おおぅ…と余裕を持って見つめてきたトムの深淵。だがしかし終盤のあるシーンで私は見事に深淵に覗き返された。
 
それは、知り合いの結婚式で再会後、サマーの婚約パーティーにそうとは知らずお呼ばれしたトムが土産を持ってくるシーン。
 
サマーが包み紙をあけてみると、そこには……再会した電車でトムが手にしていた建築本が……
 
て、はぁーーーーー???????建築本!!!!!!!!!!???????
 
今書いてても思わず感情的になるくらい、本当にこのチョイスは訳がわからなかった。お前、これって電車でサマーと鉢合わせて、でも自分から声かけられなくてもだもだしてたら向こうからこっち来て「久しぶりー♡コーヒー飲まない?あ、本読んでるなら邪魔か」「いや、全然大丈夫さHAHAHA」ってなって、すぐ読むの辞めたやつだろ?!
つか読んでもなかっただろ、気まずくて読むポーズとっただけだろ、建築の仕事志してる俺演出の小道具でしかなかっただろ?!それ!!!!
 
そんな小道具にサマーが少しもそれに関心をしめしていないのは明白だ。だって「2人の」会話、「2人の」思い出の中にはこの本は一切登場しない。サマーはこれを読んでもないし、一言も読みたいとも言っていない。
なのにこれをトムはチョイスした。なぜならだってこれは建築の夢追ってる俺の特別さを示すには格好の媒体だから………
 
 
と、そこで私は深淵と目があった。私の脳裏に消していた記憶が浮かびあがる。それは、誕生日に例の男友達(笑)からもらった業の深い最強3点プレゼント。
 
1,俺が好きな朗読CD
2,俺が大学のときに書いた小説
   (クソつまらない)が十数本入ったUSB
3,俺が考えた面白ギャグor自作ラノベの冒頭       
   が書かれた、手作りの日めくりカレンダー
 
お前も!!!ぜんぶ!!!!俺!!!!!!か!!!!!よ!!!!!!!!!!!
 
なんで今まで忘れてたんだと、捨てるのも恐ろしすぎて部屋の奥に封印したそれを見つけ、速攻、庭へもってき、ライターで火をつけ、すべてお焚き上げてきました。
 
(500)日のサマーをみていなかったら、私は彼の怨念が詰まったそれとずっと共同生活を送っていたことだろう。くわばらくわばら。
 
夜の帳の中、勢いよく燃えていく深淵を見つめながら、あー、ぱぷりこさんまじありがとーって私は日本の片隅でつぶやいたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

キモい私は、初めてできたキモい異性の友人とキモい関係になってしまい、それが嫌になってブッチした

結構身勝手な話します。当人含め、読んで不快になる方もいるかもしれない。一応ボカシはいれている。

 
小学生以来、異性の友達がいなかった。中学では部活の男子と、業務連絡または自虐ネタでしか絡めなかった典型的喪女だったし、高校もそんな感じ。男子なんか女子の顔しか見てないし!てか何話したらいいかわかんない!でも彼氏欲しい!彼氏がいるっていうステータスがほしい!だってみんないるから!私がみんなより劣ってるなんてありえない!
と思春期は激しくこじらせていたから、いない歴=年齢、男友達0っていうのは無理もない話だった。
 
話を戻す。
 
その人は、半年前からやってるバイトで知り合った。25歳、5つ上の社員。5つ上だから結構大人かと思いきや、どう贔屓目に見ても中学生にしか見えないような人だった。いつもダボダボのよくわからんズボンにダイエーで買ったような安っぽいスニーカーをはいて、キン肉マンがプリントされた紺の肩掛けカバンに、らんま1/2のキャラクターTシャツ。
決してイケメンではないし、フツメンかと言われても、正直首をひねってしまう。というのも、青髭で剃り残しがあって、ニキビも結構あって、ほっぺがブラマヨのヒーハーしてない方みたいなかんじだったから。清潔感とか、皆無。まじで肌がクレーターだった。だから、彼への第一印象はあんまりよくなかった。なんか不潔なダサい人いるなっていうのが、やっぱ正直なところだった。
 
バイト先は超絶ブラックの飲食で、新卒社員が3年未満で半分以上やめてくような、はちゃめちゃな企業だった(notすき家)から、その人も漏れなく社畜してた。私がシフト入ってるところは必ずその人がいた。当たり前だ、この店舗に社員はその人しかいない。
一ヶ月半無休で通し勤務(早朝の開店準備〜閉店まで)。クーラのきかない灼熱の厨房。切りすぎて漆黒のタイムカード。一人で行う終わらない閉め作業。私土日の早朝〜昼ピーク過ぎまでしか入ってなかったけど、しんどくて大変そうだなってのは見ててわかったし気の毒だった。でもそれ以上でも以下でもない。ただただ気の毒だな、と。それだけだった。
 
気の毒な人から気の合う人、そしてゆくゆくは男友達兼彼氏候補(笑)に変わっていったのだが、気の合う人に変わった転機はかれこれ3〜4ヶ月前くらいだった。
きっかけとかあんまり覚えてないけど、雑談してて、なんか読書の趣味が合ったかなんか?だった気がする。それから何気なく小説書いてたっていう黒歴史を向こうが話してきて、私にももれなくその黒歴史があって、とトントン拍子に共通項が見つかっていった。
前々からおしゃべりが好きな人とは知ってたけど、打ち解けてみると話がすっごく面白い人だった。し、結構友達も多いおしゃべり好きの、人好きな性格みたいだった。お笑い好き、お互い片方の親を病気で亡くしてる、読書好き、文章書くの好き、哲学的なこと考えるの好き。共通点はそれなりにあって、会話は弾んだ。そのノリで、バイト終わりに2人でラーメン食べに行ったり、その人の休みに回転寿司行ったりした。男と2人で行くのはどれも初めての体験だった。
それでも話足りなくて深夜、LINE電話で人生の意味とは、だとか、人と人はなぜ分かり合えないのか、みたいな、先人たちに使い古された議題から、さも新発見みたいな意見をお互い披露しあって、酔いしれたりしてた。3時間くらい。暇かよ。
 
気がつけば知らず知らずのうちに依存をしていって、私は自分のことや自分の周りのことをあの人に何でも話すようになった。多分これがいけなかったんだと思う。関係性の腐敗はここから始まっていった。
友達のこと、初恋のこと、大学のこと、家のこと、今食べてるカフェのランチのこと。
女子大生のくそつまらん定期botにもその人はいちいち反応し、返信をした。だいたいはラノベみたいなくどくどした長文だった。つまんなかった。けど必ず反応してくれたから、暇つぶしにはうってつけだった。なによりも、構われてるっていう優越感が、承認欲求の塊にとってはたまらなかった。
 
あの人のすごい?ていうか、今思えばそれがすごくキモくて嫌だったんだけど、あの人は私が一度会話で言ったことは全部覚えた。私の大学の授業の週間スケジュール、高校の頃の親友の名前、部活の顧問の先生の名前、母親の名前・誕生日、弟の名前・修学旅行先、大学の友達の名前・出身地・それぞれの所属サークル、Twitterでしか言ってない通ってる教習場の名前。一度言えばあの人は全部引き出しの中に入れて、次回の会話でうやうやしくその情報を取り出して使ってきた。ここで察すればよかったのだが、何をとち狂ったか、私はその人の関心を引く自分という自己像に酔いしれていた。プチ女王様気分である。Twitterをフォローしあってたから、友達との写メを更新すれば可愛い可愛いとLINEが来た。今思えばキモい。
 
でも喪女は異性からの可愛いに飢えていたので、すっかり気を良くして向こうのLINEに写メを送ったりもした。もうこうなってくると、被害者も加害者もいない泥沼状態である。私は生まれて初めての家族以外からの姫扱い?に上機嫌だった。
不潔だけど、ここまでアタシが好きなら別に付き合ってもイイカモ!向こうから言ってくれればネ☆!つくづく馬鹿で、愚かだ。
 
派手にこんなんずっとやってると、まぁ話は広まるわけで。というか、向こうは結構周りに話をしていたらしい。そのうち、パートの主婦さんから付き合ってる認定みたいなのされた。実際告られてはなかった。し、この後も告られることはなかったのだが、私は、も〜やめてください☆と言いつつ、当時若干満更でもなかった。おそらく私は、少女漫画やアニメの世界だけだと思ってたそのセリフを言えたことに、少なからず興奮していた。言ってる自分に酔いしれてたのだ。冒頭で述べたとおりあの人を不潔なダサい人と断じていたくせに、それを忘れて、いい気なもんである。
 
でもやっぱり、どんなに承認欲求を満たしてくれても、どんなに姫扱いしてくれても、どんなに暇つぶししてくれても、どんなに可愛い可愛いと言われても、結局それは「そう言ってくれる人」であるから魅力的でイイカモ☆!と思えるのであって、断じて「あの人」自体に魅力を感じていたわけではなかったのだと思う。ここが私の最大のギルティポイントであり、キモさの根源だ。
最初は確かに、純粋な楽しさと純粋な友情があった。でも私の勘違いと姫願望という奇行に影響され、おそらく馬鹿な女子大生あわよくば手篭めにしたいモードに入ってしまったあの人は、いつの間にか全くおしゃべりがつまらない、メンヘラな私の機嫌をとるだけのイエスマンと成り果てていた。
 
気がつくとあの人は、私が友達の愚痴を言えば、友達を悪く言うことなく、でも私の苛立ちに共感してくれるようになっていた。例のボランティアの彼がLINE返してくれないと言えば、こうしたらいいんじゃないか君は魅力的だから大丈夫とアドバイスをくれた。バイトで年上のフリーターの後輩にイビラれたと言えば、憤って共に怒ってくれた。
でも私は、あの人から今日のお昼はこれ食べてると食べかけのカップ焼きそばの画像が送られてきても、就業後の夜食のポテチの画像が送られてきても、なんかよくわからん私の浴衣姿可愛いというポエムが送られてきても、全部返しは一緒だった。「ははは」3文字。以上。ゆがんだ気持ち悪い関係性の誕生である。
 
自分とあの人のキモさ、何よりこの関係性へのキモさに気がついたのは、例の慶應ボーイと音信不通になって、しばらく経ってからである。
1日授業のないOFFである水曜日に時間ある?とランチに誘われて、ご飯を割り勘で済ませた後、目黒川を2人で散歩しているときだった。桜が散り切った並木、青々した美しい新緑の木漏れ日の下で、隣を歩くふと彼の横顔を見たときに、私は、「あ、この人といても楽しくないし、なんか気持ち悪いなあ」と気が付いた。
 
思えば、ずっとフタをしていた感情だった。あの人が「お疲れ様でし」と言うたびに、顎を引いた上目遣いで「ねっ!」とこちらにお伺いを立ててくるたびに、パステルオレンジとエメラルドグリーンの布が継ぎ接ぎで組み合わされた不思議なシャツにボロボロでぶかぶかなカーゴパンツはいて、改札の雑踏からこちらに近づいてくるのを見た時に。それはいつだって浮かんできた。それを、気がつかないふりをしていただけだった。
「この人」から目をそらして、「彼氏みたいな人」「自分の思い通りになる人」「自分を祭り上げてくれる人」としかこの人を見ていなかったから、気がつけなかった感情だった。振り返れば、気の合う人から彼氏候補☆になった時に、もうとっくにこの人とは楽しい時間は過ごせてはいなかったのだ。歪んだ死に体。ゾンビみたいな関係になっていたのだ。それを自分の承認欲求と姫願望を満たすために飼い殺して、繋ぎとめておいただけだったのだ。自分のキモさと愚かさを私は彼のクレーターみたいな頬に見つけた気がした。
 
それからは、自業自得とはいえ苦痛だった。バイトであの人が休憩中わざわざ隣に来て自身の武勇伝を話しかけてくるたび、「◯◯(私)ちゃんのTwitter盛り上がってるね、俺は入れないけど、ちゃんと見てるよ」と個人LINEしてくるたび、これまでと同じように、何かあると顎を引いて上目遣いで伺うようにこちらを見てくるたび、バイト中に他の人と雑談が盛り上がるとその日のうちに「嫉妬しちゃうな」とLINEしてくるたび、本当に気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて、気持ち悪くて仕方がなかった。
 
精神的に辛くてどうしたもんかとおもっていた折、朗報が届いた。先月いっぱいで退職をするとのことだった。息子を見かねた親からの強い意向もあって、秋入社で親のコネで転職するらしい。
私は心底ホッとして、もうこれで終われると思って、パートさん達から任命された送別プレゼント係の仕事を全うし、門出を祝うことにした。あの人の最後の勤務日、全力の作り笑顔で花束とプレゼントを渡して帰宅すると、あっちは勤務中にもかかわらず向こうからLINEがきていた。「最近、◯◯ちゃんすごく冷たいなと思ってます。もうこれで俺たちは会えないですが、これからもお友達でいてくれますか?あと、よかったら俺の転職祝いと◯◯ちゃんの免許取得祝いも兼ねて、旅行でも行きましょう。行ったことないんだけど、俺海外とか行ってみたいんだよね」
 
私はスマホを投げ出した。
色々な考えが頭を巡って駆け抜けた。
 
(友達、というものは「いてくれるか?」なんてお伺いをたてるようなものではない。それをした瞬間に「媚びる側」と「られる側」に別れ、上下関係がうまれるだろう。果たしてそれは友情なのか?私はそうは思わない。)
(そうまでして、媚びてまで、私を繋ぎ止めてどうしようというのか。今更、あなたからどんなおしゃれフレンチを奢られようとも、華奢で可愛いアクセサリーでも送られようとも、私はあなたの隣にいる時はゾンビみたいな顔しかできない。そこまでして共にいて、互いになんの得がある?)
(だいたい、この人はどんだけ面倒くさいんだ、告白もしてないのに。付き合ってもないのに。告白する度胸も自然消滅を受け入れる器もないのかよ。てか旅行って。行きたいなら1人で行ってよ、男なんだし。女々しすぎだろ重すぎる気持ち悪い)
 
考えれば考えるほど、本当に気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くなったので、TwitterとLINEを即刻ブロックした。
 
 
 
 
今日ふと思い出して、ああ私もあの人も気持ち悪かったなあと自己嫌悪して、家にあった赤ワイン一気して、今これ書いた。
 
もう男友達☆はこりごりです。喪女には敷居が高すぎました。互いに呪いしか生み出せなかった。非生産的。ああ、本当に気持ち悪い。
 
 

呪いと絶望は、祈りと希望でもある

端的に言うと、失恋をした。

失恋をした、というかこれ以上あるかないのかわからない、あのこの脈を盲信し、進展を祈る気力がなくなってしまったというのが正しい。魔法がとけてしまったとでもいうのだろうか。




あのこというのはもちろん前回の記事http://ttt414141.hatenablog.com/entry/2015/04/16/231221のあのこである。


一回目のデート以降放流され、Facebookからの通知でご存知であろう私の誕生日もスルー。それでも恋に落ちた私は猪突猛進、痛々しく健気に、ここ1ヶ月ほど週一のペースでLINEを送っていた。喰いつきは割といいのに、進展はなかった。しかしつい先日、玉砕覚悟で食事に誘ってOKを貰って大喜び…からの「共通の友達も誘おう」である。


ずこーーーーーーー

という効果音が頭の上に浮かんだのも無理はない。


もっとショックを受けるものかとも思ったけど、案外冷静な自分でいられたことに驚いた。まーやっぱなという気持ちと、なんかもうどうでもいいんですけどという気持ちを噛み殺しつつ、私は女子会を企画する幹事のようなLINEを「彼」とした。


激萎えで過ごしていた折、はてなブログを回遊していて、とある方の記事に行き着いた。


http://papuriko.hatenablog.com/entry/2014/12/16/110508






引き込まれるように読みはじめ、沼に沈むように読みふけり、読み終わる頃には体力を一気に奪われたかのような倦怠感に包まれていた。そして思った。



お、大人って、つれーーーーーーーー


放流、喰いつき、回遊ときて釣れ、いや辛いである。


著者の方とここに登場する元魔法少女さんは、私のようなケツの青い「ガキ」ではなく、酸いも甘いも経験された「女性」なのだと思う。だいたい私は処女だし、いない歴=年齢だし。異性から選ばれる、あるいは性的な接触をしていない時点で私はまだ女子でも女性でもない、私はただの子どもなんだ……なんて言い出すときりがないので本題戻します。


ようするに、魅力的な熟練の釣り姐様たちでもこんなめにあっているのだ。恋愛経験のろくにない私のようなクソガキがうまくいかなくて、慶応ボーイに放流されるなんて、本当にたいしたことないし、ありふれてるし、てか本当にたいしたことないんだと思った。私的にはあのことの時間は一春の甘酸っぱい想い出だったけど、この甘酸っぱい想い出は瓶に詰められて大量生産されてるアオハタのイチゴジャムと本質は変わらない。アオハタは美味しいけどもね。


「あのこ」に恋していたときの「私いま、この恋物語の主役なの」とドヤ顔して生きていた様を思い出して急に可笑しくなった。爆笑した。結局私は魚っていうより、蛙だったみたいだ。自意識の中のかわずだ。

棒切れにタコ糸つけたおもちゃの釣竿で、田んぼの隅っこで、黒光りするランドセル背負った慶応ボーイに釣り上げられたウシガエルだったのだ。


性的な魅力があり、牧場の羊にある意味で選ばれた元魔法少女さんとは異なり、私はなにもなかったかのように生簀から川へと放流をされた。

この選ばれなかった事実を無理くりポジティブにとらえるならば、中途半端にヤることやっちゃうところまで進めなかったのはある意味で私にとって幸福なことであったといえる。


向こうが私の地雷を感じ取ったというか、特に食指がそそらなかったというだけなんだろうけど、気まぐれ起こされてヤられでもしたら、まじで私、魔女化待ったなしだった。性的な魅力がないというのも、神様が与えてくれた一種の自衛の才能なのかもしれない。


なにはともあれ、これでまた笑い話ができた。人生初のデートは楽しかったし、いい想いもできた。それで私は、蛙は、十分である。

希望が呪いをうむとしても、希望のない世の中を生きれるともおもわないし、生きようとも思わない。強がりだけど、今はそう信じている。


最後に釣り師の彼に一言だけ言いたい。

ずっといいたかったけど、履いてた靴、カブトムシのメスみたいだったね。

恋に落ちた話


恋に落ちるという言葉があるのは知識としては知っていたけれど、まさか自分がその沼にはまるとは思わなかった。


その子とは先日行った国際ボランティアで知りあった。笑顔が素敵で、子どもに好かれて、純粋で。


理屈抜きでまさしく「落ちた」。本当にあのことずっと一緒にいたいと思う。と同時に、ただただあのこには幸せでいてほしいという思いもある。その二つがせめぎ合っている。


何気無くLINEしたら食事に誘われて、歯矯正してて汚ないから映画いこうっていって映画みて。人生で初めてのデートだった。本当に。楽しかった。彼氏いる?って聞かれてすごく心臓がどきどきした。やっぱり付き合うなら年上がいいのかなって、もうそんなのなんでもいいわ。


どうしても会いたくなってもう一回こっちから誘ってみたけど忙しいからって謝られた。あーもうそうだよね、忙しいよね。ごめんごめんLINEして。


初恋は実らないという格言通り、多分なんかもうダメだとは思うけど、一つだけはっきりとしていることがある。かの大槻ケンヂさんもこう言ってる。


そして、「でもやれたからいいか」とつぶやける度量があれば、ストーカーなどになることもない。 
「で、でも、まだやってねーんだよーっ!!」と、お嘆きの方々もあろう。 
そういう場合は、二人の関係性の頂点と思える段階を、「やれたから」の部分に置き換えてみるとよい。 
「でも、抱き合えたからいいか」そこまでも到っていないとしたら、また入れ替えてみたらいい。 
「でも、キスしたからいいか」「でも、手をつなげたからいいか」「でも、ドライブに行けたからいいか」 
「でも、映画を観たからいいか」「でも、一緒にお酒を飲めたからいいか」「でも、告白できたからいいか」 
「でも、声をかけられたからいいか」「でも、目と目が合ったからいいか」「でも、出会えたのだからいいか」 
「でも、そこにいてくれたのだからいいか」「でも、生まれてきてくれたのだからいいか」 



あのこにはこれから先、ただ幸せに自分らしく生きていってほしい。ただそれだけ、ただそれだけだ。


ぜんぶ、妖怪のせいだ

 

今、妖怪ウォッチがちびっ子達の心を鷲掴みにしている。

 

国をあげて失敗作だと名指しされ、教育方針の改正でもはや無かったことにされそうなゆとり世代の一員である私は、そんな妖怪が覇権を握る現実を見るたびに、なんだかとっても寂しくて、切ない気持ちになる。

 

私が小学生の頃、一斉を風靡していたゲーム・アニメといえば、ポケットモンスター略してポケモンだった。

今となっては分厚くね?!とNOWなちびっ子達に馬鹿にされそうな懐かしのゲームボーイアドバンス。起動するとキーンピュイーンって、めっちゃかっこいい音がしたあいつ。

誰かの家の通信ケーブルを使って友達同士通信して、男の子女の子問わず夢中にポケモンマスターを目指していた。そういえば、たまごっちみたいなピカチュウ育成携帯ゲーム機もあったっけ。万歩計みたいなやつ。名前忘れた。

例に漏れず、当時小学生だった私のお気に入りゲームも、とっとこハム太郎3ラブラブ大冒険でちゅとポケットモンスターのエメラルドだった

 

今となってはポケモンと同じく、ハム太郎さんも現役を退いた感がある。もう完全に自分は子供というカテゴリから切り離されつつあるってことなのだろうか。ブログを書きつつそんな事実を否応に実感し、ちょっと切なくなる。冒頭で言った寂しさ、切なさは多分ここから来るのだ。正直、この前出た成人式より胸に来るものは大きい。

 

私はまだまだ子供でいたいんだーとばかり、カラオケにいくとめざせポケモンマスターを歌ったりする。ストーリ性の高い歌詞を気持ちよく歌い切った後、ふと思う。

ゲラゲラポーとヨーデルヨーデルは紅白に出れて、なんでこの曲はダメだったんだろう。ポケモン世代の私はやっぱりどうして肩入れしてしまうのだ。

 

百歩譲ってまだゲラゲラポーはいい。なんかこう、ネットで繋がってばかりってどうなの?!みたいな気持ちが伝わらなくもないから。

でもヨーデルはダメ。朝眠いのも、僕ちゃんイケメンなのに振られたのも、ピーマン食べれたのも、うんちが臭いのも、それはそういうものだからです。仕方ないです。むしろピーマン食べれたのはお前の努力の成果だわ、自信持て。

でもあの歌ってる子達はみんな可愛くて正直好きです。

 

小さな頃は、20歳になれば、自分は大人になれるもんだと思ってた。でも実際はそんなわけなくて、自分から大人にならなければ、一生歳くった子供のまんまってことに最近気づいたのでした。